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江戸の町は平静を取り戻した。
それは全て鶴松のおかげ。
鶴松が全ての怪異を祓ったという名声は江戸だけではなく近隣の諸国まで噂は流れた。
鶴松は久しぶりに自分の離れへと美坂野、野乃助、千代吉、染芳と共に戻った。
家族はただ鶴松を見て怯えていた。
もうここにはいられないんだな、と鶴松は悟った。
「鶴松の御家族の皆様。鶴松はあたしたちで引き取るよ。鶴松が化け物たちを調伏して江戸の町もあなたたち御家族にも平静が訪れた、でもあなたたち御家族は鶴松をそんな目で見る」
千代吉は鶴松の家族を静かに責めた。
「千代吉姐さん」
鶴松が袖を引く。
「父様母様姉様今までお世話になりました。鶴松はこれから立派に生きて行きます」
鶴松は恨んではいなかった。
家族も辛かったし何かがあったんだろうと思う。
台車に鶴松の離れの物を積み、人夫を雇って全てを運び出させた。
鶴松の姿を見て拝む者もいた。
遠巻きに鶴松を見て口ぐちに噂する者もいた。
誰も近寄ろうとはせず遠巻きに見ていた。
決して怖がっている、というものではなかったが。
ただ一歩引いたところで鶴松を見ていた。
鶴松はなんだか寂しかった。
千代吉はそんな町の様子や鶴松の家族を見て鶴松を救ったがこれでよかったのかと自問自答する。
「鶴松、ちょいと顔を貸しておくれ」
荷物は全て人夫に任せて千代吉たちは江戸屋敷へと向かった。
大きな屋敷に上がると大名がいた。
「お主が鶴松か。噂は聞いておる。どれ、拍子木を打ち鳴らしてはくれまいか」
「はい」
鶴松は拍子木を打ち鳴らすと大名は喜んだ。
「これはありがたい。この屋敷によー響く」
「でしょう?この拍子木が化け物を追い払いましたのさ。なんだか明るい気持ちになれるねえ。どれあたしも舞おうかね、野乃助、美坂野。唄と三味線をつけておくれ」
と昼間から大名屋敷で酒宴となった。
「これはおひねりだ。楽しい酒宴となった」
「ありがたき幸せ」
全員に大名から金子が渡された。
町民が大名にお目通りすることは元来なら出来ないものである。
大名行列の時に町民は道の端によけて頭を上げてはいけない、というように会えない存在、目も合わせてはいけない存在なのだが千代吉は違うし、そして鶴松も町民より上の者と認識されたのだ。大名が許したということである。
鶴松が拍子木を叩くと穢(けが)れを払えると評判になり大名屋敷や金持ちの家に呼ばれて拍子木を打ち鳴らす。
そして美坂野の舞台で幕開きの時には鶴松が必ず拍子木を叩くようになった。
鶴松が打ち鳴らす拍子木は縁起物として流行った。
美坂野の舞台も鶴松の拍子木に負けない位に神がかった演技、舞台と評判を呼ぶ。
それは鶴松の拍子木に恥じぬよう切磋琢磨して美坂野が舞台に身を投じたからである。
「なあ、鶴松。最近お互い忙しいな」
「うん!!でも楽しいよ」
美坂野と鶴松は元いた美坂野の家ではなく新しい家を借りていた。
二人で住むには狭かったのと鶴松の荷物が多かったからである。
「花火行きたかったなあ」
「来年行けばいいさ」
季節は秋になっていた。
「鶴松、今日は休みだし天気もいい。紅葉狩りでも行こうか」
「うん!!茶屋で団子食べたい!!」
「そうだな」
美坂野と鶴松は上野寛永寺へと出向いた。
桜でも有名だが紅葉狩りでも江戸では人気があった。
紅葉の舞う中二人は紅葉を見ながら楽しんでいた。
前から見知った顔が歩いて来た。
小志乃と千代吉だった。
「美坂野、道を譲りな」
「お前がどけ」
美坂野と千代吉は紅葉の舞う中対峙(たいじ)する。
鶴松と小志乃は目を合わせて苦笑いをする。
周囲の紅葉狩りに来ていた者たちはその二大スターの出現にさらには神様と呼ばれた鶴松、長唄の師匠の小志乃という取り合わせを遠巻きに見守っていた。
誰も近付けないような緊迫感がある。
どれ程対峙していただろう。
「姐さん方、何をしているんですか」
「そんな怖い目をしてどうしたのだ?」
野乃助と染芳が現れた。
美坂野は目をそらさず聞く。
「お前ら何してやがるんだ」
「何してやがるんだってお前らと同じだ。紅葉狩りに来た」
「そうかい。野乃助、染芳殿も久しゅう、元気にしてたかい?」
「千代吉殿もお元気そうで・・・・・」
野乃助染芳たちには目もくれず千代吉も美坂野を睨んだまま話す。
目をそらしたら負けという位に睨み合っていた。
鶴松がいつも肌身離さず持っている拍子木を背負っている風呂敷から取り出して打ち鳴らした。
美坂野と千代吉が鶴松を見る。
「はい、そこまで!!春ちゃんいないかなー。いたらみんな揃うのにね。鶴賀様はお仕事だろうし。木曽様はまだ便りないし」
楽しそうに鶴松が笑う。
「鶴松の顔に免じて許してやらぁ」
「ふん、こっちのセリフだよ」
皆で紅葉の舞う中境内を歩いた。
紅葉狩りは、桜の下でどんちゃん騒ぎをするようなノリはない。
浮世絵に描かれた物を見ると女や子供も紅葉狩りをしただろうが、多くは文人、医者、僧侶、豪商、武士といった富裕層だったようである。
しっとりとした静けさの中で全員がのんびりと紅葉を見ながら散策をした。
「染芳、このたびはおめでとう」
「ああ、ありがとう」
美坂野の言葉に染芳は礼を言う。
「あら、何かあったんですの?」
「小志乃師匠、染芳は奉行所に入ったのですよ」
鶴賀の推薦もあり、染芳は与力として働くことになっていた。
元旗本という家柄もあったし、何よりその腕っ節の強さと剣術の申し分の無さを買われた形である。家が没落した染芳としては大出世であった。
千代吉が大名に口利きをし根回しをしたというのもあるが。
染芳は長屋を出て新しい家で生活をすることになる。
そこにはもう一人寄り添う者がいる。
野乃助はお白粉売りを辞めて染芳の下で働く者となるそうだ。
体裁ではそういうことにしているが夫婦みたいなものである。
その内染芳の御両親も江戸に呼び寄せるだろう。
「ああ、今年の夏は長かったねぇ染芳殿おめでとうござります」
「千代吉様、今は何をなされているのです?」
染芳が礼を言いながら千代吉に問う。
「あたしかい?あたしはそうだねえ・・・・・まだ何も考えてはいないよ。また吉原に戻るか考えている」
「ええ!?」
鶴松の驚いた声に千代吉は笑う。
「今度はお客の前には出ないよ。お店の人間として、遊女たちの身の回りの世話などをする人間として働くか考えているのさ」
長く吉原で勤めた遊女はそのまま店のスタッフとして働く者もいた。
遊女の身の回りを世話したりシフト管理をしたり客あしらいをしたり。
その内やり手婆と呼ばれるようになるのである。
遣手(やりて)とは吉原の言葉でもある。
客は遊女を決めて見世に上がると、二階の引付部屋に通される。
ここで登場するのが遣手である。
遣手は元遊女。だいたい30歳くらいを過ぎた、当時でいう大年増なので「遣手婆」と言われる。
引付で客は遣手と交渉する。
遊女の値段から、酒や食べ物、芸者衆を呼ぶかどうか、何時までいるつもりなのかなどをやり取りする。負けたり、ときにはふっかけたり、見世を儲けさせるために上手に値段を交渉する。
客が指名した遊女ではなく、違う遊女を勧めることもある。あまり客のつかない遊女をうまく回すのである。したがって遣手は遊女を含めて遊郭のすべ てに通じていなければならない。基本的な遊女の値段は決まっているものの、その他のお金は遣手の胸先三寸でどうにでもなった。
遣手は吉原の主人ではないものの、経営者から見れば重要な任務を帯びた役目であり、見世の繁盛は遣手次第という面もあったのである。
千代吉は吉原で長く働いてたくさんのことを見て来た。
それに。
遊女たちに楽をさせてあげたい、吉原が嫌いというわけではない。
元いた仙吉楼の旦那からも「助けてくれないか?」と声もかかっている為考えてはいた。
遊女の気持ちは遊女にしか分からない。
千代吉はそう思って考えるようにしたのである。
「また吉原に逆戻りすんのかよ」
「美坂野、ちゃちゃ入れるんじゃないよ。戻ると言ってもあたしはいつでも大門を抜けられる身。ただあたしには何が出来るかと思ってね」
「千代吉姐さん、時間はたっぷりあるしお金もあるんですからゆっくり考えればいいですよ」
「そうだね。そうしよう、野乃助は染芳について行くんだね」
「はい」
「そうかい」
一陣の風が強く吹いた。
紅葉が舞う。
季節が移ろうように人もまた。
移ろうていくもの。
皆の進退を聞きながら小志乃はそう思っていた。
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