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翳(かげ)りゆく
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小志乃は三味線を一人弾いていた。
千代吉は吉原に戻っていた。
「あたしには吉原が合うようだね」
と小志乃にお礼を行って千代吉は吉原の元いた遊郭仙吉楼に戻って店側の人間としてうまく切り盛りしているらしい。
「小志乃師匠」
「鶴賀様」
垣根から笑顔を見せている鶴賀がいた。
「そのようなところにいらっしゃらず、どうぞ中へ。お茶でも」
「かたじけない」
座敷に鶴賀が上がり、二人で差し向かいに茶を飲んだ。
「染芳殿は元気でいらっしゃいますか?」
「はい、染芳は仕事に精を出しております。上の覚えもよく」
「さようでございますか。家柄のよいお人でしたし誠実な方でしたからさぞ真面目にお仕事に取り組んでいらっしゃるのでしょう」
「そうですな。たまにはハメを外せと申して居るのですが仕事が終わったら真っすぐ家に帰っているようです」
「まぁ。野乃助さんがいらっしゃるからでしょう」
二人は笑う。
「ところで小さい陰間の男が居りましたが今は茶屋にはいないようですな」
「ええ。春駒は茶屋を抜けて今は近くの店に奉公に上がっておりますわ。丁稚(でっち)奉公にしては14歳で遅過ぎますけどそれでも真面目で計算も早いから店の人間にもよく可愛がられているようでございます」
「さようか」
「はい、この前会ったらいい顔をしていましたわ。ゆくゆくは店の番頭になるのではないかしら。頼もしくなられた」
季節は春を迎えていた。
「蓮華王院様、いえ、木曽様から便りが来ていたと聞きましたが」
「ええ、木曽様は行脚していた途中の村で懇願されてその村の寺にとどまることになったそうでございます。無人寺で坊主もいないということで。もう江戸にいらっしゃることはないかと思います」
「さようか。もうお会いすることも叶わずなのですな」
「ええ」
去年の夏のことが夢のようだった。
二人で茶を飲みながら思いを馳せた。
「美坂野は一時休業するらしいですな」
「はい。若さんの容体が芳しくないとのことでしばらく休んで二人で旅に出たいとのことで」
今でも鶴松のことを若さんと呼んでしまう。
鶴松は目が次第に見えなくなっていく病にかかった。
鶴松に対する流行は今は下火になり、その目が悪くなっていく鶴松を評して
「きっとあれは化け物を江戸から祓ったから化け物の恨みを買ったんだ」
とか
「きっと力を使い果たして体にガタが来ているんだろう」
などと町人たちから噂されていた。
口さがない(くちさがない:たちの悪い意地の悪いの意味)者に至っては
「鶴松のそばにいたり関わると化け物の恨みを買うんじゃないか」
と言う者までいた。
小志乃は溜息が自然と出た。
私たちの仕組んだこととはいえ。
怪異から救われた町人たちは鶴松を崇め、そして。
貶(おとし)める。
人はなんて残酷で冷たい。
小志乃の頬につーっと涙がこぼれた。
「小志乃殿」
「わたしたちのしたことは本当によいことだったのかといまだに悩んでおりまする。若さんを助ける為、そばにおりたいと願って来たことも今となっては」
「間違いではござらん。鶴松は小志乃師匠たちが動かなければどうなっていたことか」
「ですが。町が若さんを」
否定し始めている。
「私たちがいれば大丈夫でござる。小志乃師匠の気持ちも鶴松にも伝わっております」
「そうでしょうか。私は若さんに申し訳なくて会いにすら最近は行っていないのです」
「鶴松にそのような辛い顔を向けますな。我らが鶴松のことで心痛めてると知れば鶴松が辛いでしょう」
「そうですわね」
皆が新しい生活を始めて鶴松のことを思う気持ちも薄れ始める。
それを責めることは出来ない。
それぞれの生活があるのだ。
ただ鶴松と美坂野の家のそばに住んでいて独り身の小志乃には鶴松が町から追い詰められていく現状を嘆くのに充分な時間と考える時間があった。
「私に出来ることはなんなのか」
と自問する日々。
「小志乃殿。美人がそのようにふさぎこんでいては町の男たちがどうしたことかと気に病みますぞ」
「年増を捕まえて冗談はおやめ下さりませ」
「なにを言うか。町の男たちは千代吉殿がこちらにいらした時もそうですが美人二人が住んでいるとそれは大騒ぎでした」
「千代吉さんがいらっしゃった時はそれはもう大騒ぎの日々でしたわ」
町の男たちが垣根から覗けば茶をぶっかけ、湯屋に行くのを待ち構える者がいれば
「大名屋敷のを借りましょう」
と女二人でお目通りも入ることもないはずの世界の住人の屋敷の内風呂を借りた。
鼻の下を伸ばして来る男の手習いの者がいれば
「違うと言ってるだろう!!」
とピシリと扇子で手を叩き、頭をはたき
「あんたには無理だ辞めちまいな」
と啖呵を切る。
騒々しくも楽しい日々だった。
「千代吉さんはお元気にしてるかしら」
「あの方はお元気でしょう」
そう言っているところで戸がガラガラっと開いた。
「小志乃師匠元気かい?」
「ち・千代吉さん!?」
こざっぱりした格好の千代吉が戸の所に立っていた。
「どうされたんですか?吉原にいらっしゃるのでは?大門をくぐることは女人には出来ないはず」
「あたしは吉原抜けてるし役人もあたしの顔をよっく知っているから大門の行き来は自由さ。休み取れたんでね。遊びに来たよ。皆元気にしてるかい?」
「さようでしたか」
千代吉に上座を鶴賀は譲る。
当たり前のように千代吉は上座に座った。
こういうところはまだ花魁の頃の名残が捨てきれないのである。
三人で前述のような内容を再び話した。
「そうかい・・・・・」
やはり。いばら道だったね美坂野、鶴松。
以前二人の行く道をそう思った時の己の言葉を千代吉は思い出す。
「美坂野と鶴松は今は新しい家で二人で住んでいるんだね。行くとしよう」
「ですが今お二人は・・・・・」
小志乃は二人が今どのようになっているか人づてに聞いた話から知っていた。
「気にして何もしないよりはいいさ。行こうじゃないか」
千代吉は腰を上げた。
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