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賭け
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「染芳殿!!」
奉行所の同心や与力の元にたどり着いた染芳は彼らに馬を頼んだ。
「よく頑張ったな」
馬を撫でて手綱を近くの同心に渡した。
「馬を頼む。千代吉殿や美坂野たちは?」
「分かりませぬ。先ほどまでいたのですが姿が見えませぬ」
「分かった。小志乃殿は?」
「それが・・・・・」
困惑して馬小屋の方を同心は見る。
「前を開けなされ!!」
馬に乗った小志乃を役人たちが止めている。
「どうなさいました?」
「染芳殿!!」
「小志乃殿も馬に乗れたのですか?」
「おなごとは言え、小さき頃より手習いとして馬にも親しんでおります!!この者たちに前を開けるようにお伝え下さいませ!!」
奉行所の馬に小志乃はまたがり今にも馬で役人たちを蹴飛ばすような勢いで怒鳴る。
「どきませぬと怪我をします!!」
「小志乃殿、落ち着いて下さい。鶴松は見つかりました。今野乃助が鶴松の側におります」
染芳の言葉に小志乃は一瞬虚(きょ)をつかれたがみるみる泣き顔になった。
「若さん見つかったのですね。本当によかった」
まだ小志乃には言わない方がいいだろう、鶴松が意識を失って倒れているのを。
「千代吉殿と美坂野は?」
「お二人は・・・・・・町民の立ち入れないところへ向かうと言って出かけられました」
江戸屋敷か?
大名を出して来るつもりなのだろうか。
染芳は考えたがそれよりも明日一番で医者を寄越せるように手配が先だ、と戻って来た鶴賀と共に慌ただしく動き出した。
その頃。
千代吉と美坂野はある場所へ向かっていた。
「美坂野、あんた鶴松の為にその命かけられるかい?」
「ああ」
「丁か半か。一か八かだけどね。あたしも命をかけるとしよう」
「何をする気だ」
「さあね、鶴松を生きやすくする社会を。世界を」
江戸屋敷の門番が千代吉の顔を見て何も言わず門を開ける。
一言も交わさず大名屋敷の中に入って行く千代吉と美坂野。
訳知りのように大名屋敷内を進む千代吉。
ある座敷で二人は待つ。
その屋敷の主の大名が現れる。
「どうしたこのような夜更けに千代吉」
「御無礼を承知で参りました。お願いしたきことがありんす」
「なんだ?吉原を抜けたお前がまた花魁に戻るのか?」
「いいえ。これなるは江戸の町の役者の美坂野。以前連れて参ったこともあるのでお目通りはしたことがあるかと存じます」
「ああ、知っておる。町で有名な役者であろう?」
「ありがたきお言葉」
大名がそう言葉をかける間、美坂野は頭を一度も上げずに畳に頭をつけていた。
「頭を上げよ、美坂野とやら」
表を上げる。
「大奥の皆様も美坂野の舞台は大変お気に召されていると聞いておりますし観劇にいらしているとお伺いしておりまする」
「それがどうした?」
「大奥御年寄とお目通りをしたいでありんす」
「なんと!?」
千代吉の申し出に大名は唖然とする。
大奥御年寄と言えば、表向きの役職、家老や老中に匹敵する権力者である。
千代吉には考えがあった。
「千代吉、大奥御年寄と言えば我らでも・・・・・」
大名は千代吉のいきなりの申し出と、出て来た名前に怖れおののいた。
大奥の御年寄と言えば将軍などに見(まみ)えることが出来る女官である。
さらに大奥の中を取り仕切る実力者。
大名クラス以上の権力の持ち主だったりする。
将軍の家老や老中たちとも対等に話をし、表舞台でも権力があったのはある程度資料では分かる。
その大奥御年寄と面合わせの機会を千代吉は望んだのである。
「千代吉、何故大奥御年寄との面会を。。。。それは私にも無理だ。どんなわがままも聞くがそれは出来ない。私がお目通りするのも難しいやもしれぬ」
「大丈夫です。美坂野の名前を出して下さりませ。美坂野よりたっての願いがあると」
「なんと?」
千代吉は大奥御年寄やお付きの御目見え(将軍と謁見を許される役職)以上の奥の女性たちが寛永寺や増上寺に将軍家の代わりに代参後、非公式に観劇をして楽しんでいるのは知っていた。
もちろん、舞台役者の美坂野も何度も舞台後に大奥の者たちに挨拶をしている。
大奥は女の牢獄で入ったら一生出られないということなんかはなく。
結構ユルイのである。
御目見え以下の奥女中の場合は宿下がりといって、規定の日数御年寄の許可の元に外の世界に出ることが許されていた。
日数は奉公3年目に初めて許されて6日の暇を許される。
6年目に12日間、9年目に16日間でそれ以上は増える事がなかったという。非常に厳しいようだが商家奉公の場合は盆と正月に1日の暇しか与えられない時代なので結構ユルイのだ。
男子禁制では一応ある大奥には広敷といわれる一角があり男性職員が多数詰めている。
例えば、御台所の食事などは基本的には、この広敷の台所役人(男性)によって作られる。
この広敷と大奥御殿は自由に出入りが出来るわけではなく御広敷御錠口によってのみしか出入りができない。厳重に管理されている。
だが13代将軍家定の御台所に愛猫がおり、姿を消すたびに広敷役人が探しまくったという話もあるから御用があれば割と出入りしていたのかもしれない。
享保年間の大奥法度によれば「九歳までの子・兄弟・甥・孫」の呼び寄せが可であり事情によっては1泊のみ認められた。
御殿内には老中などの表役人が御年寄と対談する「御広座敷」という部屋も用意されていた。
しかしこれらの大奥のしきたり、男子禁制に関しては当時の権勢を振るう実質権力ナンバー1の大奥御年寄や名目上ではナンバー1の地位にある上臈御年寄(じょうろうおとしより:大奥の年中行事を取り仕切る形だけのナンバー1。公家から嫁いだ正室の女中がなることが多い。なので江戸の人間である将軍や将軍の生母は彼女たちに権力は与えることによい顔をしなかったと思われる。ただ綱吉時代の右衛門佐局【えもんのすけのつぼね】のような権力を持った者もいる)の采配加減があったと思われる。
例えば4代将軍の御年寄矢島局(やしまのつぼね)の権勢の時には江戸城内に歌舞伎役者を住まわせたり、江戸城の火事の際に男子禁制のはずの大奥から男性の焼死体が見つかるなどして矢島局が犬の死骸として処理させたという話もある。
が、これは真実かどうかは疑わしい。
矢島局が死去したのは1656年とされているのに対し1657年が明暦の大火である。
これが江戸城全焼とされる火事だ。
とある動画でテレビ番組でこの場面を案内していて出典もテロップで出して本当にあったことのように伝えているが、矢島局はその火事の際にはもう死んでいる。
微妙なラインではあるが男子禁制とはされるがそういうゆるさがあったということを伝える逸話の類だろうと推測する。
その当時の御年寄の采配によりしきたりや男性に対する接し方も奥女中たちの意識に違いがあったということではないか。
特に外に用事を作っては出ることが出来るお目見え以上の者で延命院や感応寺に参拝と称して男性と逢瀬を重ねる事件もあった。
感応寺に関しては大奥の女性30人近くが不貞をしていた為、不問とし寺の者を処罰する処遇を寺社奉行が出している。
千代吉は同じ女として知っていた。
美坂野の出る舞台を奥女中たちが楽しみにしているのも。
美坂野の容姿に魅かれているのも。
これは賭けだ。
下手をすると千代吉と美坂野は打ち首だ。
「おい、大奥のお偉いさんと会ってどうすんだよ?」
「黙ってな。あたしの言う通りにしな」
千代吉は最後の賭けをしたのである。
命をはった賭け。
「さて、出目はどう出るかね」
千代吉は美坂野の顔を見て笑った。
命を賭(と)してもなお。
千代吉は平然と構えていた。
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