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花道
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「美坂野、鶴松いるか!!」
静かに家で待機していた美坂野と鶴松は戸を開けて息を切らしている小屋の人間を見た。
「小屋へ・・・・・!!大奥の皆様が・・・・・!!」
「美坂野さん!!鶴松さん、お二人が来るのをお待ちです!!来ねえと旦那の首が。俺らの首も飛ぶ!!」
小屋の人間が座っている二人に嘆願した。
事情は二人には分からない。
だが。
「鶴松行くかい?」
「はい」
小屋の人間たちとは対称的に鶴松も美坂野も落ち着いていた。
依里小路の手腕は分からないが、どうでもよかった。
美坂野は自分の舞台人生の有終の美を飾ることと鶴松が江戸の町で生きていけるようにする為。
鶴松は美坂野をもう一度舞台に戻したいが為。
それぞれに思うところがあったので。
そのことだけ。
他はどうでもよかった。
「急いでくれ!!」
小屋の人間が急かすのを構わず二人はゆっくりと歩んで行く。
途中で鶴賀が合流した。
「依里小路様と大奥の御一行は小屋に入ったそうだ。美坂野と鶴松はまだかと仰っているらしい」
「そうか」
「小屋には町の人間も詰めている。中にいるのは金持ちの町人だらけだが小屋の外には野次馬だらけだ。奉行所から護衛として二人を守るように言われている」
「依里小路様からかい?」
「それもあるが、奉行所は元よりそのつもりだった」
「元から?」
「江戸の町の怪異を収めたのは鶴松である。それを守るのは我らが奉行所としても誉(ほま)れなこと。美坂野鶴松を守れと我らの中で決まっておった。出遅れてしまってこのような結末になってしまって済まない」
「そうかい。鶴賀の旦那。俺たちが怪異を・・・・」
鶴賀も俺たちが江戸の怪異を起こしていたのは知っているし鶴賀も巻き込んだ。
「それ以上言うな。お前たちが江戸の怪異を収めたのだ。それでいいではないか」
小屋の前には多数の野次馬がいた。
小屋の中には町の実力者や金持ちしか入れなかったのだろう。
大奥の人間たちと観劇が出来るのは選ばれた町民のみだったのかもしれない。
小屋には入れなかった町民たちが蟻のように小屋の周囲を囲んでいた。
「美坂野と鶴松が来たぞ!!」
「やっと来たか」
町民たちが鶴松と美坂野を見つけて騒ぎ始めた。
「美坂野、鶴松行け!!」
鶴賀は二人から離れて押し寄せる町民たちを制圧に入った。
奉行所の人間と小屋の人間が人の波を割って一つの道を作っていた。
よく見ると染芳、野乃助、小志乃、春駒も町民たちを押さえている。
人の盾で出来た道を二人歩いて小屋へと入った。
「お待ちしておりました」
小屋の入口を入って楽屋へと続く道の途中に千代吉がいた。
「なんでぇ、千代吉。こんなところで」
「楽屋への道案内でございます」
「そうかい、御苦労だな」
千代吉は綺麗に髪を結い、化粧を施しいつもの着崩した着方ではなく襟(えり)もしっかりと締めて二人の前に立ち、暗い舞台裏の道を灯籠を持って先導する。
小屋においては。
美坂野が主役。
千代吉は小屋においては美坂野よりも格下と自覚していた。
千代吉は美坂野と鶴松の為に最後の花道への道案内役を買って出たのだ。
楽屋に行くと旦那や役者衆、楽師たちが美坂野と鶴松を待っていた。
「美坂野、鶴松来てくれたか!!随分と皆様をお待たせしている!!」
「実は大奥の皆様から・・・・・」
舞台から去った美坂野と鶴松をまた呼び寄せた理由を話そう、言い訳をしようとする小屋の人間たちを美坂野は片手を上げて遮(さえぎ)った。
「客待たせてんだろ?演目は?」
「お前の言うやつで行く!!ひどい舞台を見せるわけにはいけねぇ。小屋の威信もかかっている」
「そうか。じゃあ演目は俺の言うやつでしてくれ。みんな幕開けまで短い時間だがよろしく頼む」
美坂野が言った演目を聞くと楽師は楽譜を用意しすぐに音合わせをし始めた。
役者はその場で体に叩きこんだセリフ回しや見得を切る動きを確認しだした。
楽屋裏に活気がわく。
「千代吉姐さん」
美坂野が指示を出しながら慌ただしくなる楽屋裏を端の方で見ていた千代吉に鶴松が声をかける。
「これ。千代吉姐さんありがとう」
鶴松は巾着につけている千代吉からもらった鈴を手に持っていた。
「もういいのかい?」
「うん。千代吉姐さんの優しさに頼ってばかりいられないから。鈴の音が鳴ると優しい気持ちになれた。ありがとう。千代吉姐さんの優しさ返す」
「そうかい。いい顔になったね鶴松」
「今度は僕が千代吉姐さんと美坂野兄ちゃんを守る」
「分かった」
千代吉は鶴松から鈴を受け取る。
チリンと鈴が鳴った。
千代吉は泣いた。
嬉し泣きである。
千代吉も美坂野も依里小路からどのような沙汰が下されるのかは分からないが。
死んでもいいと千代吉は思った。
鶴松がこんなに立派になって自分の足で立とうとしてる。
千代吉と美坂野を守ると言う。
もうその気持ちだけで充分だった。
江戸の町でさらし者にされた後死罪になる位ならと千代吉は懐刃を隠し持っていた。
舞台が終わってお縄をかけられる前に。
自害するつもりだった。
襟元には美坂野の減刑を訴える嘆願書が入っていた。
私一人でいい。
全て巻き込んだのは私だ。
最後に鶴松と美坂野の花道に付き合えてよかった。
最後の二人の晴れ舞台になるかもしれない。
それを千代吉は静かに待った。
外で人の整理をしていた染芳、野乃助たちは小屋の中に戻っていた。
「なんとか美坂野と鶴松は小屋に入って行ったようだな」
「そうだな。俺たちも席に着こう」
染芳、野乃助、鶴賀、小志乃、春駒は用意されていた席に着く。
二階席を見上げると大奥の人間が見えた。
依里小路と皆が目が合う。
ニコっと依里小路は笑ったように見えた。
周囲の客は全員大奥と同じ空間で観劇を許された町人たち。
ある程度の身分や金を持っている人間で埋め尽くされていた。
この席を用意してくれたのも依里小路だろう。
近くの席に鶴松を保護していた家の爺と婆がいた。
初めて来たのだろう、慣れない様子で小さい背中を丸めていた。
「そのように緊張せずとも」
鶴賀が声をかけた。
「かようなところにワシらが居てもよいものか」
「お召し物まで頂いて」
爺と婆はいつもの襤褸(ぼろ)ではなく綺麗な仕立ての着物を着ていた。
役人が持って来て江戸の町までの籠も準備してくれたという。
依里小路に違いない。
「あの方は町の鶴松と美坂野に対する風向きを変えたな」
「ああ」
「野乃さん、染芳殿。あの方は厳しい方だけれど・・・・でも厳しいだけでは人の上には立てませんわ。細やかさがある方だからこそ私たちとは違うあの二階席にいらっしゃるのでしょう」
染芳と野乃助、小志乃は二階席の依里小路に頭を垂れた。
依里小路は手に持っていた扇を開いてひらりひらりと近くの側近たちに気付かれぬ程度にこちらに見えるように揺らした。
こちらにも気付いているようだ。
「すげぇ・・・・・あの美人の皆様が大奥の方たちか」
春駒が二階席の美人たちに見とれていた。
一階席の町人たちも舞台が始まるまで二階席の大奥の人間たちの佇(たたず)まいに心を奪われていた。
二階席の大奥の女たちはそんな一階席の様子には興味がないようだった。
「依里小路殿、劇はまだですか?一体どうしたのでしょう」
「どうなされたのでしょうね。大奥の皆様がいらしているということで念入りに準備をしているのではないでしょうか。気張っていらっしゃるのかもしれませんわね」
依里小路は側室たちをなだめながら対応していた。
一階席に美坂野と鶴松の手の者たちが席についたのを見て美坂野たちも小屋に入っただろうと依里小路は確信した。
しばらくすると町に密偵に出していた者が側(そば)に控えて美坂野、鶴松小屋入りの報せを伝えた。
「そうですか。千代吉の姿が見えませんが。どちらに?」
「はい。舞台裏にいるようでございます。実は・・・・・刃を隠し持っているようでございます」
「そうですか。自害するかもしれません。千代吉から目を離さぬよう。死なせてはいけません」
「はい」
また密偵が暗がりに消えた。
依里小路はまた文句を言い出した側室たちをなだめ始めた。
依里小路にとっては町人たちのいざこざよりもそちらの方が億劫で退屈だった。
その時拍子木が打ち響いた。
小屋のざわめきが一瞬で鎮まった。
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