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誓い
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依里小路の住む屋敷に到着すると鶴賀、小志乃、染芳がいた。
「呼び寄せたのは美坂野のことじゃ」
依里小路は話をし始めた。
「昔からよくあることじゃが。。。。。ないとは思うが美坂野が後を追うことは止めねばならぬ。また、鶴松が美坂野恋しで美坂野を冥府に呼ぶことも許してはならぬ。分かるであろう」
「はい」
「鶴松の骨を離そうとはしてないようですが、あの調子なのか?野乃助」
「はい。ずっと抱き締めたまま飯もあまり口にせず眠りも浅いようです」
「そうですか。このままでは衰弱してしまうであろう。お主ら美坂野を支えてやってはもらえないでしょうか。頼みます」
そう言って依里小路は頭を下げた。
「依里小路様、そのような!!頭を上げて下さりませ!!」
小志乃が慌てる。
御目見え以上の上級官僚である依里小路が町人に頭を下げるなど前代未聞だったのである。
「美坂野がこのままでは潰れてしまう。どうか支えてやって下さい」
その場にいた者全てがそのつもりではあったが。
美坂野に対する想いをまだ依里小路は断ち切っていないこと、それは充分に伝わった。
大奥を鉄の掟で縛って来た女傑とは言え一人の人間。
誰かを想う気持ちは市井の者と変わりないのである。
依里小路はそう告げて包み紙を4人の前に差し出した。
「これは受け取れません。受け取らずとも美坂野を支えるつもりでした。鶴松もそれを望んでいるはず」
「そうです。依里小路様。心配御無用でございます。我らが元の美坂野に戻します」
染芳と鶴賀が依里小路に言う。
その日から野乃助と小志乃が交代で美坂野の元を訪れた。
鶴賀も染芳も与力の仕事がある。春駒はもういない。千代吉は吉原の仙吉楼からなかなか抜けられない。
その為比較的に時間のある野乃助と小志乃が美坂野の元を訪れては話をしたり、甲斐甲斐しく相手をした。
美坂野が江戸に戻ってからは美坂野を訪ねて来る者もいた。
元いた小屋の人間がお見舞いに来たり、暇を見つけては千代吉も店を抜け出して屋敷を訪ねた。
「美坂野、何を読んでいるんだい?」
鶴松の骨の入った籠はいつも抱いているんだろう、抱いたまま何か本のようなものを読んでいた。
「鶴松の日記だ」
「そうかい。鶴松は日記を付けていたんだね」
美坂野のそばに何冊も重ねられている日記を千代吉が訪れた時はいつも読んでいた。
それ以外美坂野は何もしていないんじゃないだろうか。
外に出ないからか美坂野の顔色は青白く、またほっそりしているように千代吉には見えた。
千代吉と野乃助が訪れていた時鶴松の家族が現れた。
「今さらなんの用だい?」
相手をしていた千代吉は邪険に鶴松の家族をあしらった。
「鶴松が死んだと聞いて参りました」
「そうかい。でももう縁は切れてるんじゃないかね?今までのことあたしらは忘れちゃいないよ」
「はい。分かっています。ただ鶴松は私たちの子。手を合わせに来ました」
鶴松の母が泣きながら立ち尽くすのを鶴松の姉が支え、鶴松の父が千代吉に神妙な顔をして頭を下げた。
千代吉も人の子。
その家族の情にほだされて屋敷の中に鶴松の家族を上げた。
戻って来た千代吉の背後に鶴松の家族がいるのを見て野乃助は驚いた。
「千代吉姐さん」
「しょうがないじゃないか。戸のところで泣いていたんだ。放っておくことも塩撒くこともあたしには出来やしないよ」
そう言うと千代吉は座敷に鶴松の家族を迎え入れる。
美坂野は不思議そうな顔で鶴松の家族を見ていた。
「鶴松が死んだと聞いて手を合わせに来ました。仏壇はどこですか?」
「まだ鶴松は仏壇にも墓にも入っていない」
野乃助が代わりに答えた。
江戸時代は檀家制度、寺請制度が義務付けられいずれかの寺を菩提寺にしなければいけなかった。また、朝夕と家に作った仏壇を拝み祖先の霊を敬わなければいけないとしている。
檀家制度は町民たちの戸籍や人口を把握する為の政策も担っていたようであり、今でいう市役所仕事の住民台帳を管理するようなものであったと思われる。あとはキリシタンなどの異宗教を取り締まる為の政策でもあったであろう。
「じゃあ鶴松は」
家族が美坂野の抱き締める籠を見つめる。
美坂野はその視線から守るように籠を自分の体で覆うように隠した。
「美坂野・・・・・・」
「鶴松の日記には一言も家族に対して恨み言はない。楽しかった、嬉しかっただけだ」
体で籠を覆いながら下を向いてこちらを見ずに美坂野は言う。
畳に涙が落ちていた。
「それでも俺は許せねえ」
「すまないが帰ってくれないかい?鶴松が最期に一緒にいたいと願ったのは美坂野だよ。あんたたちの気持ちは鶴松に早くに見せて欲しかった」
千代吉はそう言って鶴松の家族を帰した。
残った野乃助と千代吉は体を丸めて鶴松の籠を抱き締める美坂野の前に座っていた。
「美坂野。鶴松の家族を帰しはしたが・・・。いつまでも鶴松をそうしておくわけにはいかない。墓に入れてやらないと。鶴松もお前がそんな様子では安心して向こうにいけないよ」
野乃助は静かな声で諭(さと)した。
「鶴松の日記をあたしも読ませてもらったけど。鶴松は家族をこれっぽっちも憎んではいないよ。愛してたんじゃないか。鶴松の家族も目が覚めてる。後悔して生きてるよ。もう許しておやり。今のあんた見たら鶴松が悲しむよ。あっちに行けないじゃないか」
千代吉が美坂野の腕を取って強めに言う。
美坂野も分かっていた。
この1カ月。
ずっと鶴松の骨の入っていた籠を寝ている時も起きている時もずっと抱えていた。
死んだ鶴松がもしかしたら夢枕に立ってくれないだろうか、そんなことを想いながら。
しかし一度も現れてはくれなかった。
会いたい。会いたい。会いたい。
気持ちは時間が過ぎても強くなるばかり。
野乃助の言うことも千代吉の言うことも分かっていた。
皆に迷惑をかけているのも分かっていた。
それでも。
鶴松を求める気持ちは強く。
自然と涙がこぼれ落ちる。
泣いても喚(わめ)いても鶴松は戻らないのが分かっているのに涙は目から流れるし口からは嗚咽が漏れる。
無駄だと分かっていても。
もう1回だけでもいい。鶴松に会いたい。
「鶴松の最後の方の日記を美坂野も読んでいるんだろう?ほら、最後は全部お前とのことじゃないか。お前のことを心配していることばかり書いている。鶴松は分かっていたんだよ。こうなることを。だから心配しているんだろう?鶴松の為にもお前がしっかりしないと。鶴松を向こうに行かせてあげないといけない」
野乃助は美坂野を説得する。
「もう少しだけ。もう少しだけ待ってくれ」
美坂野は涙声で答える。
「もう少しだけってどれ位だい?」
千代吉が尋ねる。
「もう少しだけ。それさえ終わったら鶴松をあっちに送るから」
美坂野は鶴松との約束を忘れてはいなかった。
もちろん、また舞台の仕事に戻ることもそうだがそれ以前に交わしていた約束。
鶴松との約束を果たそう。
楽しみにしていたあの約束を二人で。
美坂野の言う「もう少しだけ待ってくれ」という言葉を信じ千代吉と野乃助はそれ以上何も言わなかった。
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