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未来へ
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美坂野は死の間際で鶴松の幻影を見ていた。
鶴松が死んでから一度も夢枕にすら立ってくれなかった鶴松が困ったような顔をして美坂野を見つめていた。
一度も会いに来てくれなかった不義理よりも喜びの方が勝っていた。
駆け寄ろうとする美坂野を鶴松は
「駄目」
と手を前に出して来ようとするのを拒んだ。
幻でも夢でもいい。そばに行きたい。
美坂野がなおも近づこうとするのを鶴松はもう止めなかった。
「みんなにお別れ言わなきゃ」
そう鶴松に言われて目を開けると鶴松の代わりに全員の顔が美坂野を覗きこんで涙を流していた。
それでもなお。
鶴松の方に逝きたかった。
皆の涙に答えるように。
「ありがとよ。今行く」
と言うと美坂野は目を閉じた。
死ぬのは分かっていたから迷いはなかった。
目を再び閉じると鶴松の姿がまた現れる。
「美坂野兄ちゃん、もういいの?」
「ああ」
鶴松が拍子木を取り出して叩いた。
まるで美坂野の人生の舞台の幕を閉じるのを報せるように高らかに拍子木の音は天へと澄み渡る。
そのまま美坂野は帰らぬ人となった。
美坂野は火葬されてその骨は鶴松と共に葬ることとなった。
鶴松の家の家人でもない美坂野を鶴松の墓に入れてあげようと全員のたっての希望だった。
鶴松の家の者は父も母も他界し姉夫婦だけが細々と店を切り盛りしていたが江戸の町を去ると言う。
店の経営が傾き、以前のような大店の頃の活気が店にはなかった。
また、姉夫婦に子供が出来てから鶴松のように姉にも目が悪くなる兆しが出て来ていたという。
鶴松の日記の他に。
それに続けるように美坂野は日記を書き続けていた。
毎日鶴松のことばかりを書いていた。
その日記と鶴松の日記は全員で読み返した後、墓に入れるかどうかで皆と悩んだと後述として野乃助が書いている。
野乃助の後述が鶴松と美坂野の日記に続くようにあった。
野乃助の述懐に由れば。
千代吉は吉原の仙吉楼の女将となり死ぬまで吉原の顔として生きたと言う。
死ぬまでその容姿に翳(かげ)りが見られず、禿(かむろ)の一人を養女にして第一線から退いて金勘定するだけの遣り手婆と呼ばれる後年には煙草をくゆらせながら
「楽しかったねえ」
と鶴松や美坂野の墓に足繁く通っては独(ひと)りごちていたという。
春駒は江戸の町で蘭学医として弟子もたくさん抱えるほどになった。
春駒は結婚して子供を成したところまでは確認出来たがその後のことに関しては分からない。
依里小路は一生独り身を貫き、後年は親戚筋の家に身を寄せていたという。
江戸城から退いたとは言え、権力は健在だったようで依里小路の元には秘密裏に大名や大奥縁(ゆかり)の者が会いに来ていたというから表舞台ではなくなったが裏では権勢を誇っていたのかもしれない。
木曽は美坂野が鶴松の墓に入ったのを見届けてから江戸を去り、田舎の寺に戻ったがその数年後に他界したという。
村には木曽の残した寺子屋が受け継がれて行き、農業と林業だけの村からは学者も生まれていったという。
鶴賀、小志乃夫婦には子供が3人出来平穏な暮らしぶりだった。
小志乃は鶴松と美坂野の話を子供たちに常々語っては人の愛することを、生きるということの意味を切々と言い聞かせていたという。
「いずれあなたたちが江戸の未来を担(になう)。ですが夢々忘れなさいますな。義理人情は大事になさいませ。父と母が出会えお前たちが生まれたのはその方たちのお陰なのです。人に生かされていると思いなされ」
そして後の皆の様子を書き遺した野乃助と染芳。
仲睦まじく二人は最期を添い遂げた。
二人は養女を迎えていた。
鶴松の姉夫婦が亡くなったことを風の便りに聞いた野乃助と染芳は身寄りのなかった二人の子供を養女に迎えて育てた。
鶴松の姉夫婦の動向を知る立場にあった二人は姉夫婦が死に、路頭に迷わざるを得なくなり人買いに身売りをする手前の齢(よわい)8歳のその女の子を大金を払って助け我が子のように慈(いつく)しみ育てた。
「この日記を読んでごらん。これがお前の家族の残した日記だよ」
と野乃助と染芳は日記を読ませそれを渡したようだ。
千代吉や鶴賀、小志乃、依里小路からも随分可愛がられたという後述があった。
野乃助の最後の言葉はこう締めくくられている。
「一つの出会いがくれた温もりは永久(とこしえ)に消えることなく次へと続いている」
その後筆跡の違う、二人の養女、鶴松の姪であろう字でこう書いてあった。
野乃助は染芳を先に看取り後を追うようにその2か月後享年38歳でなくなったそうだ。(完)
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