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水のかえかた(2)
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「あー…暑い……」
全ての魚類が人間になって、人口密度の高いみちみちした世界になる夢を見ていた。なんてぬめぬめした暑苦しい生活なんだ…と文句を言っていたら目が覚めた。起きてみたら実際暑いしぬめぬめする。だからあんな夢を見たんだなぁ。
………ぬめぬめ?
はっと目を開けると、目の前に沢口の顔があった。
「へっ?!」
ベッドの上で、かなり密着した状態だ。お互いの汗でぬめぬめしていたらしい。服は…パンツだけ。
「きゃーーー!」
「うるせえな…」
沢口が顔をしかめながら目を開けた。俺は急いでベッドから抜け出し、タオルを手に取って体を隠した。
「何その女子みたいな反応」
「えっ、あっ、いや、つい。そうか、変か」
はっとしてタオルを床に捨て、腰に手を当てて仁王立ちした。
「これでどうだ!」
「何が?」
沢口はあくびをして体を起こした。
「なんか勘違いしてるみたいだけど、俺はお前が酔って倒れたから家まで送ってあげただけだから。服は苦しそうだから脱がしただけ」
「あ、ああ……ごめん。ありがとう」
ようやく昨日のことを思い出した。なんかヤケ酒みたいになっちゃったな。
ふと時計を見たら、もう9時を回っていた。
「えっ!会社!」
「今日は土曜だぞ」
「そ、そうか」
どうもまだ目が覚めきっていないみたいだ。顔でも洗おう。
洗面所で顔を洗っていると、リビングのほうから沢口の興奮した声が聞こえた。
「おい!これか!俺なまずなんて初めて見たわー!」
「あー、まこちゃん…」
顔を拭いてリビングに戻ると、沢口は水槽にはりついていた。
「すげー。なまず全然動かんな」
「夜行性?らしいよ」
「へー。見た目も案外かわいいな。口が大きくって」
「しかもそいつ、人間になるよ」
「…は?」
沢口はぽかんと口を開けた。
「なーんちゃって」
「いやつまらんわそれ。お前ついにおかしくなったのかと思ったわ」
「だよなぁ…」
俺の頭がおかしかったんだよな、なまずが人間になったなんて。あれから一度も見てないし。
「あー、沢口、俺今からシャワー浴びようと思うんだけど」
「じゃあ待ってるよ」
「なんでだよ。遠回しに帰ってほしいって言ってるんだけど」
「朝食作って待ってるよ」
「話聞かないなあ…」
仕方なく沢口を置いてシャワーを浴びることにした。
熱いお湯をさーっと浴びていると、昨日のことをぼんやり思い出してきた。
やっぱり俺、誠がいなくなってショック…なんだよな。やけになる程度には。
きゅっと蛇口を閉めて浴室を出ると、甘いいい匂いが部屋の中をふわふわ漂っていた。
「沢口ー!何作ってるの?」
タオルを腰に巻いて、キッチンを覗きこんだ。
沢口は俺の方を振り返り、すぐに目線を外した。
「服着ろよ津島…」
「やだ暑いし。それより何?フレンチトースト?」
「うん。材料少ないからこれくらいしか」
「いや、すごいよ!俺も誠もそんな優雅なもの作れない」
「大平は料理できないのか?」
「できない。壊滅的。あいつ基本的なことわかってないから」
「基本的なこと?」
「加熱用の魚を刺身で食べようとしたり、殻付きの卵をフライパンで焼こうとしたり」
「まじかい…」
誠は、温厚で紳士的なやつだったけど、微妙に常識が欠けているところがあった。
最初のうちは面白がってたけど、だんだん心配になってきた。俺がいなかったらとっくに死んでたんじゃないかと。
「じゃ、俺そろそろ自分の部屋戻るな」
沢口はそう言いながらフレンチトーストを皿に盛った。
「え、食べないの?」
「これは津島用。俺は用事あるから別にいいわ」
「なんか悪いな。作らせちゃって。それと、昨日はありがとう。沢口がいたから安心してつい飲み過ぎた」
「別にいいよ。また何かあったらいつでも呼んで」
沢口…なんていい隣人だろう。
ふわふわのフレンチトーストをひとくち食べると、口の中で優しい甘さが広がった。
ふふっ、なんて優雅な休日の朝。
コーヒーでもいれるかと椅子から立ち上がった時、
ザバァ
背中から、大きな水音が聞こえた。
これは…まさか
「おいつしま」
「ひゃっ!」
ずぶ濡れの手で肩を叩かれた。
おそるおそる振り返ると、いつか見た美青年が立っていた。
「…まこちゃん?」
「いかにも」
「あー現実かぁ…」
俺の頭がおかしくなったわけではなさそうだ。
どうやらまこちゃんは、なまずにも人間にもなれるらしい…。
「あれ?まこちゃん、なんか元気ない?」
まこちゃんは前に見た時より静かだし、あまり動かない。…朝だから?
「ご明察だつしま。俺は体調が悪い」
「へー。大丈夫?」
「なんだ他人事みたいに。お前のせいだぞ」
「えっ、俺?なんかした?」
まこちゃんは不機嫌そうにため息をついた。
「水換え」
「ん?」
「水換えをしろ。水が汚くて元気が出ない」
「えっめんどくさっ」
「めんどくさいとはなんだ!水換えは魚を飼う上での必須事項だぞ!水換えひとつで魚の命は危機にさらされる!」
「ごめんごめん。今からやるって。もしかして今回は、それを伝えるために人間になったの?」
「そうだ。水換えをしてほしくてうずうずしていたらこうなっていた」
「じゃあもう自分でやればいいじゃん。その体ならできるでしょ」
俺がそう言うと、まこちゃんは憤慨した。
「嫌だ!俺の世話をするのはお前の仕事だ!自分で水換えするなんて、屈辱的すぎる!」
「あー、わかったわかった。で?どうやってやればいいの?」
「ふんっ。それくらい自分で考えるんだな」
まこちゃんは怒って不貞寝してしまった。床に水が広がっていく…。
「まこちゃん、とりあえず体を拭いて服を着なよ。人間の姿でそんな格好してたら風邪ひいちゃうよ」
バスタオルと部屋着を渡すと、まこちゃんは嬉しそうな顔をした。
「服を着るなまずなんて世界初じゃないか?これはすごいぞ」
「人間になってる時点でかなりすごいと思うよ」
さて、水換えか。
水槽台についている棚を開けると、誠が使っていたらしい、たくさんの道具が出てきた。
とりあえず使いそうなのは…バケツとプロポースかな。
水槽の下にバケツを置いて、プロポースで水を吸っていく。
「おいつしま」
いつのまにかまこちゃんが背後にいて、俺の作業を覗き込んでいた。
「水換えの量は半分から3分の1くらいでいいからな。全部変えると水中のバクテリアがいなくなるし、環境がガラッと変わると俺の体調が悪くなる」
「ふーんなるほど」
「あとそのホース、砂利の中のゴミも吸えるからな」
「おっほんとだー」
バケツに溜まっていく水を見ると、思ったより濁っていてびっくりした。こんな汚い水の中でまこちゃんは生活していたのか。
半分吸ったところでホースを取り出し、バケツの水を排水口に流した。
新しい水をバケツに入れて、水槽に流せばおしまいか。案外楽じゃん、水換え。
水を溜めていたのと別のバケツを取り出し、流しに置いて水をどんどん入れていく。
「おいつしま!」
ノリノリで水を入れていたら、まこちゃんが不安そうな顔で肩を叩いてきた。
「その水、水温は大丈夫か?」
「へっ?水温?」
「なまずは水温の変化に敏感なんだ。今まで入っていた水と同じ水温の水を入れないと、体調が悪くなるぞ!」
「め…めんどくさぁっ!」
「また言った!めんどくさい2回目!これは飼い主としての責任だぞ!」
「いや飼い主誠だし…」
「屁理屈言うな!」
「あー、わかったよ」
改めて水槽を見てみると、デジタル水温計がセットされていて、29度と表示されていた。
バケツに溜めていた水の温度をはかると…32度。
「…3度はセーフ?」
「アウトだ」
「えー…。こんな大量の水、どうやって冷やせばいいのさ」
うちは年季の入ったアパートで、水道は温度調節ができない。
「氷とか入れたらどうだ?」
「あー、めんど……くさく、ない」
まこちゃんの視線を感じて、慌てて言い直した。
どうにかこうにか水温を合わせ、カルキ抜きを加え、ようやく新しい水の準備が整った。
「よっしゃ、入れるよまこちゃん!」
「こぼさないよう気をつけるんだぞ」
「気をつける!」
細心の注意を払って水を水槽に入れる作業が完了した。
「はーっ、終わったねぇまこちゃん。きれいな水で嬉しいねぇ」
「1、2週間に1回は水換えしろよ」
「……はっ?!」
この作業をほぼ毎週末行わなければならないのか!
がっくりきている俺の横でまこちゃんは天真爛漫にフレンチトーストに手を伸ばした。
「なーこれ食べていい?」
「…え?なまずってフレンチトースト食えるの?」
「今体が人間になってるから、いける気がする」
まこちゃんは口を開き、今にも食べそうな時点で固まった。
「なあ、食べていい?」
「えー…食えるならいいけど」
「わーい!」
まこちゃんは嬉しそうにフレンチトーストにかぶりつき、そのまま吐き出した。
「おえー…まずいしすごく体に悪い感じがする」
見た目が人間になってしゃべれるようになってるけど、体の中身はなまずのままということだろうか。
「なあ、これ作ってた人間、なんて名前だ?」
「沢口だよ」
「さわぐちか。あいつはお前の恋人なのか?」
「…はっ?!」
まこちゃんが真顔でとんでもないことを聞いてきた。
「違うよ。あいつは男だし」
「男と男は恋人にはなれないのか?」
「なれないよ」
「ふーん…」
一体なぜ俺と沢口が…。まこちゃんにはそういう風に見えたのか?
「えーっと…なまずは?男同士でとか、あるの?」
「お前はひどい人間だな」
「えっ?」
「幼い頃人間に捕まえられてからずっと一匹で水槽ぐらしの俺に生殖の話をしてくるなんて」
「ええっ?!」
「悲しいよ、俺は。お前とは口をききたくない」
「そんな大げさな…ていうか、まこちゃんが始めた話じゃん」
「ふんっ。知らん」
まこちゃんはすたすたと水槽に歩いていき、前と同じように水槽に手をかけた。
「つしまのばーか」
ボチャン
悪口を言い残して水槽の中へと消えていった。
「あーもー、ごめんねまこちゃん」
水槽に張り付いて謝ってみたけど、まこちゃんはなまずの姿のまま、ぴくりとも動かなくなった。
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