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ー《あの子は…未だ、私を母と呼んでくれるのでしょうか…》
『……呼んでいますよ、ずっと。』ー
そう言った時の百合さんの微笑みが、何度も脳裏を過る。
どんな仕打ちを受けようとも、彼はずっと百合さんの事を"母上"と呼んでいる。
〈お話は終わったのですか?〉
『ああ…』
〈………。〉
『大丈夫だよ、叱られた訳じゃない。』
〈そうですか…〉
安堵の表情を浮かべた楓に笑みを返せば、少しばかり罰の悪い顔をした。
内容を聞いていない楓からしたら、酷く長い時間だったろう。
まぁ、実際に長い時間だったのだけれど…
『さ、身支度をして会食へ向かおうか。』
〈はい。〉
今日の会食には、彼を呼ぶらしい。
百合さんなりに彼との時間を作ろうと考えている。
その為、今日は人を呼ぶ予定を破棄したんだと伝えられた…
代わりに会食が終わり次第、俺は離れへ行く事の許可が下りた。
嬉しい反面…ずっと遠くからの接触の日々だった為、少し気不味い気もする。
その旨を楓に伝えた瞬間、今まで無い程驚き…急遽着物を選び直したのだ。
何だか俺よりも張り切る姿を見て、呆れる反面むず痒かった。
〈準備が整いました…お召し物を。〉
『ん、宜しく頼むよ。』
何かが変わった。
それはとても良い方向に…
俺と彼を繋ぐ絆は、色濃く変化を遂げて…一体何色を魅せてくれるだろうか。
相楽さんから耳を疑う報告を受けた。
「い、今…何と…?」
〘ですから、木蘭様も会食に参加する様にと百合様から仰せつかりました。〙
「え、え…??」
〘席は端でも無く、屏風を跨いで百合様の斜め後ろだそうですよ。〙
じわりと変な汗が滲む…
な、何故急にそんな事が。
俺なんかがその場に居られる訳が無いじゃないか…!
母上は一体何を考えて居られるのか分からない。
固まる俺を無視して、相楽さんはどんどん身支度を進めていく。
なすがままにしていれば、あっという間に整ってしまった。
漸く自身の思考念から我に返った頃には、離から出る直前だった。
「ちょ、っと待って下さい!」
〘何です、往生際の悪い…〙
「いやいやいや、良く考えてくださいよ!急にそんな事を言われたら、悪くもなりますって…!」
〘………私にも分かりませんよ。ただ、百合様がそう仰ったのです。今身に付けられている物も、百合様が御用意してくださったのですよ?〙
「………。」
〘呉服屋へ態々出向き、事細かく発注したそうです。〙
そう告げられ、衣服に触れた。
確かに上質な着物で色も形も、俺好みだ。
あの母上が…俺の為に?
どうして?
再び思考を巡らせ掛けた頃、相楽さんに優しく手を引かれた。
〘行きましょう…今の貴方様はとても格好良いですよ。〙
「そう…ですか?」
〘さ、胸を張って下さい。折角の着物が台無しになってしまう…体調が優れなくなったら、直ぐに申し付け下さいね。〙
「………はい。」
背を軽く叩かれ、必然的に背を伸ばした。
着物のお陰だろうか、何だかいつもより少しだけ堂々と立てる気がする。
一息吸い込み…前を見据える。
折角母上が用意してくれたのだ、少しでも見栄え良く見られる様に…しっかりと足を踏み出した。
会場には裏を通って向かい、襖を開けてくれた相楽さんに一礼をして屏風前に腰を下ろした。
衝立の様に囲まれているから…他の人からは見えないけれど、様々な人が来ているのが分かる。
賑やかな声がひしめき合っていて、やはり居心地は悪いけれど…
『何だか今日は人が多い様ですね…』
彼の声が聞こえ、見えもしないのに瞬発的に顔を上げた。
近くに…彼が座っている。
速る鼓動を服の上から抑えつけ、何とか平素を装う。
たった一枚の屏風を隔てて、先程まで居心地が悪いと思っていたのに…彼の声を聞いただけで安堵してしまう自分が恥ずかしい。
《今日は、お二人の話もありますからね。》
『……ああ、なる程。』
「………。」
話?
一体何だろうか…
もしかして、婚約が進む件…とか。
だから今日は俺を此処に読んだのか…?
ぐるぐると嫌な方向へ進む思考を、誰も止める者は居ない。
嗚呼…嫌だ…聞きたくない、な。
『………失礼。』
《っ、ええ。》
微かに彼が立ち上がる気配がし、母上が息を詰まらせた。
不思議に思っている内に、屏風の陰から彼が顔を覗かせた。
「…!!」
『やぁ。』
こそこそと入り込んだ彼は、俺の目の前に座ると…優しく微笑んだ。
対する俺は、近くに母上や他の者が居る事もあって焦ってしまう。
こ、こんな時に俺の元へ来るだなんて…!
『大丈夫、百合さんからは許可を得ているよ。』
「でっ、でも…流石にこれは…!」
大声を上げそうになりながらも、一生懸命声量を下げ訴える。
笑みが深くなったと思えば…彼は何と、距離を詰めて来た。
仰け反りかけた俺の背に手を添えて、耳元を寄せてくる…
近過ぎる距離に、より一層鼓動が速まった。
「ち、近っ」
『ん?良く聞こえないな…』
「近いです…!!」
『はははっ、そんなに周りを気にせずとも…元よりこんなに賑わっているんだ、誰にも聞こえやしないよ。』
「………。」
『そうだ、許可と言えば…今夜君の所へお邪魔する事になったよ。』
「えっ!?」
『おや、嬉しくないのかい?何にも縛られず、君と会えると言うのに…』
「そ、れは…嬉しい…ですが……でも…」
そんな事が本当に起こるのだろうか…
疑っている訳では無いが、あの時の事もあって…警戒してしまうのは許して欲しい。
そもそも、誰がそんな許可を…
《……私が許可を出しました。》
「っ!は、母上……」
《………。》
いつの間に裏へ回ったのか、母上が背後から出て来た。
久しく見ていなかった母上の顔は、記憶よりも遥かに老けて見える。
けれど、何か違和感を感じる…
俺の知っている母上は、何時も冷たい表情をしていた筈だ。
それが今や、少し困った様な…気不味そうな…
なんとも形容し難い表情で立っているではないか。
益々よく分からない…
どういう風の吹き回しだ?
甘い蜜を吸わせて、その後何がある?
冷や汗を浮かべる俺を見て、更に母上は顔を歪ませた。
《…っ…》
『百合さん…』
踵を返し掛けた母上を、彼が引き留めた。
迷った素振りをした後に…母上がその場に腰を下ろした。
その光景をぼんやりと眺めながら…背中に触れる彼の体温だけが、今唯一の味方だと思う事しか出来ない。
「………。」
《……お元気、ですか…?》
「…ぇ……?」
《…っ、やはり未だ》
『大丈夫ですよ、ほら…ね?』
《………。》
全く状況を飲み込めて居ない俺に向かって彼は微笑み、俺の手を取った。
なすがままにしていると、差し出された手を…恐る恐る母上が触れる。
引っ込めそうになったのを許さないのは、彼の手だった…
《…ああ…暖かい…》
「…っ…」
久し振り触れた母上の手は、少し冷たかった。
柔く握られ、少し躊躇った後に…俺も握り返せば、途端に嬉しそうに顔が綻んだ。
何だ、何が起こっている…?
先程から疑問しか浮かばないのを察してか、彼は口を開いた。
『折角招待したのですから、悔いの無いようにしましょう。』
《ええ、ええ…っ…》
「………。」
『百合さんは、君とお話をしたいらしい…』
「えっ…どうして…」
今更…
何て言葉は紡がれなかった。
いや、紡ぐ事が出来なかった。
今俺の手に触れ、嬉しそうにしていた筈の母上の瞳から…涙が落ちていたからだ。
「…泣…!?」
《いえ…っ、ごめんなさい……》
「あ、えっ、と…み、水…」
《良いのです…もう少し…このまま……》
「………。」
涙を流しながら、そう呟いた母上の声を聞き…引っ込めた手を元に戻した。
あやす様に…体温を確かめる様に、指先が何度も俺の掌を往復する。
混乱はそのままに、何だか恥ずかしさも込み上げて来たな…
そう思っている内に彼はこの空間から出て行ってしまい、俺と母上だけが残されてしまった。
《……声も、低くなって…》
「………。」
《私に母を名乗る資格など無いけれど…こんなにも、貴方の事を知らないなんて……本当に…》
「いえ…俺も…」
《ぇ…?》
「……俺も、この家の息子を名乗る資格など…」
《そんな事…!》
顔を上げた母上は、酷く顔を歪ませていた。
けれど…言葉を呑み込み、紡ぐことは無く…
《そう、よね……それも…私のせいだわ…》
「………。」
《……今更、何を言っても遅いと思います。けれど一つだけ聞いても良いかしら…?》
「……はい。」
《…っ、私は………未だ貴方の母で居られますか…?》
「………。」
伺う瞳と、ぶつかる。
如何答えて良いのか、正直分からない。
幼い頃から母上と離別し、関わりも無かった。
"母上"と言う認識すらも危うい中、それでも俺を産んでくれて離ではあるけれど…住まわせてくれた人。
思い浮かぶのは冷たい視線と、突き放すような言葉の数々…
それでも、俺は母上と今の今まで呼んでいる。
それならば答えは一つだろう…
「………俺の母上は、貴方一人だけです。」
《……!》
「この世に産まれ落ち、こうして生きているのも…貴方のお陰である事は理解出来ています。」
《………。》
「ですが、正直…俺は何とお応えしたら良いのか……」
《ええ………ええ…っ…》
「…あの……俺からも聞きたい事が…」
《幾らでも……必ず答えます。》
「俺は…未だ、この家の息子でしょうか…?」
ずっと頭の隅に浮かんでいた気持ちを、言葉に出す。
いつかこの家を追い出されるのでは…という不安があったのだ。
殺される事も考えているくらい…
「母上からの手紙にも書いてありました……御子息様へ近付けば殺める、と…」
《そ、れは……っ…》
「母上の思いは分かりません、けれど…俺は現に彼に近付き過ぎています。」
《………。》
「貴方は…俺、を………殺めますか……?」
思っていたよりも、弱々しい声が出てしまった。
その言葉を聞いた瞬間、母上はまた涙を流してしまった…
俺もまた…泣きそうになっているので、何も言葉はかけられない。
もし、あの手紙の内容に何も理由が無く…本音だったらと思うと…苦しい。
《そんな事…する訳が無い…!》
「………。」
《言い訳がましいとは思います、ただ…》
「何か理由があるのなら知りたい。」
《っ、ただ…貴方が哀しむと思ったから…》
「……哀しむ?」
《貴方には…その…っ…余り他人に見せられない所があるでしょう?》
痣の事だと理解し、頷き返す。
紛れもない事実だからだ。
《強過ぎた言葉遣いだと、今でも思います……けれど、彼の事を良い"友人"だと認識しているのであれば、それを見られた時貴方は哀しんでしまうでしょう…?》
「………。」
《私はそれを避けたかった…貴方が哀しむのは見てられないの。只でさえ………私が哀しませて居ると言うのに…こんな事言う立場では無いと分かっているのに…》
「………痣なら、等に見られて居りますよ…」
《……。》
「彼は……優しい人だ…」
あの痣を見たのに、彼は俺と距離を置かなかった。
寧ろ近付こうと更に粘っていた気もする…
見られた俺は…彼に軽蔑されるかもと思ったのに、何も無かったかのように振る舞い…優しくしてくれた。
思い出し、ふ…と笑みが零れる。
《………そんな顔で、笑うのね…》
「っ、すみませ」
《良いの……もっと良く見せて頂戴…?》
「………。」
《今更何もかも遅いと、貴方が許さないとしても…少しづつでも、貴方に寄り添っても良いかしら…?》
俺の両頬に手を添え、微笑んだ母上。
嗚呼…いつしかの記憶と違わないその笑みが、暖かい。
震える手を母上の手に添え、一つ瞬きをする。
頬に伝って行く涙は何を意味するのだろう…
けれど、ただ一つだけ分かるのは…
「嬉しい、です…っ…」
《…っ…》
その気持ちだけだ。
嗚呼…母上、貴女はこんなにも暖かい人だったのですね…
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