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お互い気恥ずかしくなり、母上はいそいそと会場の方へと戻って行った。
何だか…スッキリした気がする。
今迄の蟠りが解けた様な、そんな気持ち。
去り際に、母上は言った。
ー《居辛いと思いますけれど、貴方さえ良ければ…この場に…。屏風も退かさぬ様、他の者には伝えてあります。》ー
てっきりこの屏風は、会場に居る人々の目を穢さぬ様にする物だと思っていた。
母上なりの気遣いだったんだ……俺への、気遣い。
嗚呼…こっ恥ずかしいな。
誰に見られてる訳でも無いけれど、何となく居住まいを正した。
暫くした後、彼が再び顔を出した。
『お話は上手く行ったみたいだね。』
「…!!」
『うん、良かった良かった……』
泣き腫らした目元を、優しく親指で撫で付け…安堵した様に微笑む彼。
分かっていたのか…
だから、俺と母上を二人きりに…
「………。」
『俺も百合さんと言う人間を、如何やら勘違いしていたようだ。息子思いの…良い母親だ。』
「…っ、はい…」
『おっと、と…泣かないでくれ…』
じわりと温かい言葉が染み、収まった筈の涙が溢れた。
慌てた彼は、俺の頬から手を離そうとする…
けれど、俺は彼のその手を掴み…擦り寄った。
『…っ…』
「貴方の、お陰です……ありがとう…」
『お、れは…別に何もしてないよ。』
「いえ……いいえ…」
目を瞑り、彼の手の暖かさ感じる。
人肌が暖かいと思ったのは、気持ち悪いと思わなくなったのは…彼のお陰だ。
感謝しきれないこの思いを如何伝えて行くべきだろうか。
『……このままでは、君の涙を拭い切れないよ。』
「良いのです……」
『………。』
「今は、このまま……如何か、このままで。」
『……うん、分かった。』
彼と居る時は、息がしやすい。
涙が収まるまで…このままで居たい。
そう思っていたら、つい言葉が出てしまった…
けれど彼は優しく微笑み、なすがままになってくれている。
嗚呼…本当に優しいお方…
『……では俺からも一つ、我儘を…』
「は……」
返事をする間も無く、そっと見を引き寄せられた。
彼の左手が肩を回り…後頭部を抑えられる。
額にぶつかった彼の肩…俺は今、優しく抱擁をされているのか…
こんな場で、誰かに見られるかもしれない。
あられも無い噂をされるかもしれない。
「………。」
『………。』
頭ではそう浮かぶのに、言葉には出せなかった。
彼の服をそっと掴み…俺は静かに嗚咽を漏らした。
彼の体温は、一等暖かかった。
落ち着きを取り戻した彼の元から離れ、襖が閉まり切るまで笑顔を保った。
けれど、閉め切ってしまえば直ぐに真顔へと戻ってしまう。
『楓…相楽、居るか…』
ぽつりと呟けば、背後に二人の気配がする。
〈此処に。〉
〘はい。〙
『少し、頼みがある……件の用件についてだ。』
振り返り、そう言えば…二人の瞳は鋭く光った。
薄暗がりの向こうから覗く二人の目。
真っ直ぐに受け止め、俺も真っ直ぐ返す。
『…後で落ち合おう。詳しくはまたそこで話す、それ迄待機だ。』
〘………。〙
『どうした?』
〘私、案外手癖が悪いんです…少しならお許し頂けます?〙
ニコリと微笑んだ相楽に、呆れ額を抑える楓。
『さあ、程度によるな。』
〘ふむ……このくらいです。〙
そう言って懐から取り出したのは、赤黒い液体が付着した数珠。
そして次に出てきたのは…折れた筆。
やれやれ、既に話していた人物は…この世を去ったみたいだ。
『……仕方ない、多少の準備運動は必要だったろう?』
〘んー…まぁ…そうですねぇ。〙
『それは後程処分しておけよ…』
〘はい。〙
〈だから言ったろ…!お前はほんっとに…〉
〘いーじゃん、準備運動準備運動。〙
『呑気だなぁ…』
何だか気が抜けてしまった…
ふぅ…と一息吐き、肩の力を抜く。
取り敢えずこの事は後で考えるとして…今は会食に集中するか。
『あ、そうだ。』
〈何か?〉
『百合さんは知らないみたいだから、くれぐれも…ね。』
〘………承知致しました。〙
『ん、じゃそういう事で…』
二人に背を向け、手を振り…会場に戻る道を辿る。
百合さんが知らないとなれば、もう少し慎重に事を進めなければならない。
何よりこの会が終わったら、下賤な輩共は挙って彼の元へ行こうとするだろう。
全く…何処から発祥した噂なんだか。
ほとほと呆れる。
だがしかし、今夜を持ってそれは終わる…
俺が彼の元に居る間に、あの二人に始末を任せよう。
その後はこの噂を流したであろう者の所へ行かせ、後日俺の所へ来てもらい…此方で穏便に済ませようじゃないか。
どんな処罰が良いか…彼にもそれとなく聞いてみよう。
望み通りに与えてやろう。
彼が受けた全ての苦痛を。
全て。
〈………。〉
〘ねーねー、楓。〙
〈何だ。〉
〘愁様って、あんな恐い顔すんだねぇ。〙
〈そうかァ?〉
〘いつも仏様ってくらいにっこにこしてるじゃん…木蘭様の前じゃ尚更。〙
〈………。〉
〘ふふふ…良いね、あの顔が素なんだなぁ…ふふふ…〙
〈……はぁ…〉
〘さーてと、主様の所に戻らなきゃ。〙
〈おい。〉
〘ん?〙
〈"それ"ちゃんと片づけとけよ。〉
〘……あぁ、そうだね。野犬にでも渡しとくよ…〙
〈………。〉
会食は滞り無く進んでいる。
俺の元へ運ばれる料理は、どれも豪華で…美味しい。
特にこの魚の煮付けは絶品だ。
相楽さんに言ったら、作ってくれるかな…いや、自分でも作ってみたいな。
この味付けは再現できるか分からないけど…
そもそも、何を使ってるんだろう。
臭み消しとして生姜は必須だと思うけど…この甘さは、砂糖?
それとも…
〘如何しました?そんな真剣に魚と睨み合って。〙
「!!!?!」
〘そんなに驚きます?〙
「きゅ、急に出て来ないで下さいよ…!!」
真横から声が聞こえ、驚きのあまり襖を倒してしまう所だった。
相楽さんが腕を引いててくれなければ、今頃豪快な音を立てて目前に晒されていた所だったろう。
驚きで速まった心臓を落ち着かせるべく…軽くニ、三回程深呼吸を繰り返した。
ふ、と吸い込んだ空気に少しだけ鉄臭い臭いを感じる。
誰か…怪我をしてる、のか?
でもそんな盛り上がり方はしてない筈…となれば、相楽さんから?
〘?〙
「あの……」
〘はい、何でしょう?〙
「何処か…怪我、してますか?」
〘………。〙
「…なんか…」
〘あぁ、先程迄魚を調理してましたからね。〙
「魚。」
〘ええ…貴方が真剣に睨み合っていた、その魚です。〙
「!!!」
まさかの相楽さん手製だった。
作れるのか…
何故だが衝撃を受けた感覚。
相楽さんって本当に器用人間だなぁ…なんて感心もしてしまう。
まぁ…俺よりも歳が上だし、出来なかったらそもそも俺の世話など受けないだろう。
〘美味しいでしょう?〙
「はい…!もう、とてもとても美味しくて…今度作ってみたいなって思っていたところです。」
〘それは良かったです…ふふふ…〙
「この魚は…なんですか?」
〘鯛ですよ、ご覧の通り中々大振りで…捌くのに骨が折れましたよ。〙
そう言いながら、疲れた顔付きで自分の肩を叩いている。
なる程…それならほんのり香っているこの臭いも納得だ。
でも少し腑に落ち無い…
魚を捌いただけで、こんなにも臭いがするのだろうか。
いやまぁ…相楽さんの事だ、この会場にある魚全てを自分一人が担当したと言いそう…
それなら…臭いが付く、か…?
〘如何されました?〙
「いえ、何でもないです……あ、今度絶対教えて下さいね!先ずは魚の捌き方から!」
〘ふふっ…承知致しました。〙
にこりと微笑み、相楽さんはお茶を置いてまた去って行った。
出されたお茶を啜って一息吐けば、何となく肩の力が抜けた気がした。
何だか今日は色んなコトが起こっていて、知らぬ間に気を張っていたらしい…
そろそろお開きになるだろうか…待てよ?
そういえば、先程彼は俺の所へ来ると言っていた様な…
「………。」
すっかり忘れていた。
再び忙しなく音を立て始めた心音と、じわりと汗をかき始めた身体によってより一層事の重大さを知る。
俺の所に来るって事は、色々饗さなければならない??
でも何も出来る事など無い…
話をするにしたって、何も思い浮かばないし…彼を楽しませる自信も無い。
ど、どうしよう…
「……!!」
一人で慌てて居ると、会場全体に乾いた音が聞こえた。
誰かが殴られた?!
と、驚いてしまったが…母上が手を叩いた音だった。
《皆様、今宵も集まって頂き誠に感謝致します。》
『………。』
《お開きになる前に、皆様へご報告が一つ。》
「……っ…」
《…我が娘藍染桃華と、此方雛方愁様とのご縁談の件ですが…》
ヒヤリと冷たい何かが、心臓の裏を走る。
《滞り無く、進んでおり…》
『……僕は彼女を、妻として迎える所存で御座います。』
「!!」
会場が一気に盛り上がった中、俺は震えながら口元を抑えた。
彼と…妹の婚約が決定した。
みるみる身体が冷え切り…息がし辛くなる。
〘木蘭様…〙
「…っ、…ぅ…」
〘ゆっくりで構いません、私と同じ様に息を…〙
過呼吸に陥った俺の肩を抱き、相楽さんは深呼吸をし始めた。
それに合わせて何度か吸い込むが…次第に指先が痺れ始める。
今倒れたら、駄目だ…
《以上で御座います、それでは怪我等充分お気を付けてお帰り下さい。》
母上の声が、嬉しそうだ。
周りの声が、嬉しそうだ。
俺は……
お、れは……
『木蘭君…!!』
人が少なくなり、百合さんも居なくなった瞬間…
俺は急いで彼の襖を覗き込んだ。
しかし、そこには苦しそうに蹲る彼の姿と…心配そうに彼の顔色を窺う相楽の姿があった。
音を立てぬ様に彼の傍へと駆け寄り、膝を折る。
相楽と変わって彼の肩を抱こうと手を伸ばしたが、それを彼の手によって優しく拒否された。
『………。』
「す、みませ……っ…」
『喋らなくて良いから、今は息を整え』
「ご婚約……っ…おめ、でと……ござぃ、ます…」
『…っ…!!』
苦しそうに眉を顰めながら、それでも笑顔でそう言った彼。
違う…違うんだ…!!
言いたい事は山程あるが、そんなのは後でも良い筈。
グッと拳を握り締め、相良を見やる。
『………。』
〘………。〙
頷いたのを見て、俺は彼を抱き上げた。
驚く彼を宥めることもせずに、裏道へ続く襖を開け離へと足を早めた。
すれ違う従者達は驚いて此方を見ていたが、俺は止まることなく歩を進める。
静かに俺の背後を付く相楽に続いて、楓もまたその後を続いた。
〘此方に。〙
離に辿り着き、既に敷かれている床へと彼を降ろした。
気を失って居るけれど、呼吸音は正常に戻っていた…
安堵の息を吐き、相楽へ向き直れば…何やら怒っているのか鋭い視線とぶつかった。
〘………。〙
『すまない…』
〘何に対してでしょうか。〙
『………。』
〘…っ、折角楽しそうにしていらっしゃったのに、何故あの様な事を!?〙
〈相楽…!!落ち着けよ!!〉
〘…………木蘭様が戻ってからでも、良かった筈…それなのに…何故…?〙
『……俺もそのつもりだった。』
〘なら…!〙
『母親としての百合さんの気持ちを、蔑ろにしろと言うのか!?』
百合さんは良かれと思って…
彼にも聞かせたいと思って…
だから言ったんだ、彼がまだ居るあの状況で。
息子である彼にも喜んで貰おうと……っ…
〘………貴方は、残酷な方ですね……〙
〈っ相楽!!〉
走り去って行った相楽を追いかけ、楓も居なくなった。
残された俺は、怒りとも哀しみとも言い難い気持ちに襲われて…ただ、寝息を立てる愛しい彼を見つめる。
残酷だと言われても仕方の無い事だと思う。
自分でもそう思う事はあった。
それでも彼の傍に居られるのなら…と、思ってしまったんだ。
家族と言う形で、彼の傍に…
『…っ…』
俺は常に間違っていたのだろうか。
だから彼を何時も容易く傷付けてしまうのだろうか。
良かれと思ってした行為は全て間違いなのだろうか。
『すまない……っ…』
額を覆い、滲む涙を拭う。
この涙は落としてはならない…
落として良いのは、彼のみだから。
「…ん………」
『!!』
身動ぐ彼に気付き、サッと目元を拭い笑顔を向ける。
驚き見開かれた彼の瞳は…暫くして元に戻った。
『気を失って居たから…運んだんだけれど…その…』
「…ありがとう、ございます…」
『……もう息は整ったみたいだね、今日は…止めておくよ。』
「………。」
彼にとって俺は、一体何なのだろう。
俺と同じ想いだと知る事の出来たあの日から、少なからず彼の為になる事は全てしてきたつもりだ。
けれど、ふとした時に突き放される…
俺が不誠実だからだろうか。
彼を愛していると言って、妹と婚約を進める不届き者だと…
「……あの…」
『っ…』
身を起こした彼は、優しく俺の頬に触れた。
少し冷たいけれど…暖かい感触…
驚き声が出ない俺の顔をしたから覗き込まれ、アーモンド型の綺麗な瞳とかち合う。
そっと親指で目元を擦り、眉を顰められる…
「泣いた…のですか…?」
『ぁ、ああ…何でもないんだ…これは。』
「……哀しみですか?それとも、喜び…ですか?」
『…………。』
問われている。
俺の本心を…
真っ直ぐに見つめる瞳から、逃げる事が出来ない。
次第に顔へ熱が集まって来て…自分が照れているのだと感じる。
月明かりに照らされる彼が、まるで天女の様に見えて…
頬に添えられた手を払う事など、勿体無い…なんて、場違いな事まで考えてしまった。
『……分からない…』
「分からない…?」
『俺には、心から愛している人が居る。』
「…っ…」
『でも…』
頬から手が離れきる前に、俺はその手を掴んだ。
『でもその人はとても臆病な方で、幾度と無く態度と言葉で伝えても届かないんだ……俺が不誠実だからだろうか…?』
「………。」
『俺はその人の為になら、何でもしてやりたいと思う。傍に居られるのなら、どんな形でも居たいと思っている。けれど、それを望まれていないのか…時折突き放されてしまうんだ。』
俺が愛しているのは、君一人だ。
『だから今、俺は俺の気持ちが分からない……その人と形は違うけれど"家族"になれると思い喜んでいても、その選択によって哀しませてしまった。俺は……たった一人、その人を愛していたつもりなのに…伝わらない事が哀しい、のかもね…』
「……っ言葉にして、その人に説明をしなければ…その行為も伝わらないでしょう…」
『………。』
「その場にて急に知らされるよりも、その裏を聞かされて知る方が…よっぽどマシだ…」
『………。』
「貴方は…っ…言葉足らずです…!!」
『ああ……すまない!!』
彼の身体を掻き抱き、強く抱き締めた。
彼の言葉は正論だ。
先に説明をしておくべきだったのだ。
それを怠った自分が、とても憎い。
全てがそうだ…
何の説明もせずに…彼へ伝わるだろうと驕っていた。
『説明も無しに、君を常に傷付けてしまった…!!』
「…っ…うぅ…」
『苦しませていたのは…俺だったんだ…』
「俺がどんな気持ちだったかっ…」
『すまない、すまない……』
「祝福すべきなのに、俺は…っ、出来なかったじゃないですか…!!」
『ああ…ああっ…!』
「喜ぶよりも、哀しむよりも!ただ一つ、俺に話して欲しかった…っ!」
胸板を叩く彼の拳を受け止め、ただただ謝罪をする。
彼の本音が嬉しい。
彼の想いが伝わる。
自分が憎い。
自分は愚かだ。
「…もう二度と…あんな思いはしたくない……」
『二度目などあるものか…っ、これからは真っ先に君の元へ伝えに行く。必ず…っ!』
「………。」
『俺が愛しているのは君だ、君だけなのだから…!!』
身を離し、彼を真っ直ぐに見据え…そう言えば…
熟れたりんごのように顔を赤らめ、嬉しそうに微笑む彼が見えた。
「その言葉、取り消す事など…させませんからね。」
『勿論だ…取り消す事などさせない。』
「………。」
『………。』
月夜に照らされ、俺は初めて彼と口吸いをした。
熟れたこのりんごは、とても甘かった。
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