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ロミオとジュリエット 20
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その日、私は、ブラオミュンヘン会長のシュタイナーの執務室にいた。
W杯優勝4回のドイツの輝かしいサッカーの歴史の中で、初めての日本人監督を誕生させたのが彼だ。
初めての日本人監督、それが私だ。
シュタイナー氏は、私にとっては、代わるものがないほどの大変な恩人である。
「辞任の話をしに来たのか。」シュタイナー会長は言った。
「そうです、決意は変わりません。」
「私が、続投を望んでいると、新聞に書かれていたのを見たかね。あれは本心だ。」
「それでも、ブラオミュンヘンには多大なご迷惑をおかけするのは私は耐え難いのです。」
「君の、週刊誌騒動のことは知っている。スキャンダルのない堅物の監督には珍しいね。」
「誠に、申し訳ございませんでした。」
「お相手は、ずいぶんと綺麗な若者だね。
中性的で、美しい衣装に身を包んでいると、男性か女性かわからないほどだ。
彼は、パリバレエ団のスターだそうだな。
スポンサー契約が10社もあると聞いた。」
「はい。」
「東郷監督、君のプライベートに口を出すつもりはなかったが、相手が悪い。」
「会長?」
「女性と結婚したまえ、妻を迎えるんだ。子供を持て。選手をいつも大事に考えている君は、きっと良い父親になる。あのダンサーのことは忘れるんだ。未来永劫な。会長として君に強く希望する。」
「それは、職務命令ですか…。」
「聞いてくれ、東郷監督、私には25歳になる1人娘がいる。ローラと言うんだ。」
「娘のローラは、君の大ファンだ。ポスターを部屋に貼っている。おかげで娘の部屋に行く度、壁に君がいると言うわけだ。」
シュタイナー氏は笑った。
「ローラと個人的に会ってみる気はないか?
娘と結婚すれば、そのダンサーのCM違約金をブラオミュンヘンが肩代わりしてもいい。
君を手放すくらいだったら、私はそうしたい。これから取締役会にかけなければいけないが、通してみせる。」
シュタイナー氏の令嬢ローラさん、サッカークラブのパーティで会ったことがある。
ブロンドの女性だった。
父であるシュタイナー氏から紹介されたのを覚えている。
「娘は、ブラオミュンヘンの試合に足しげく通っているんだ。君がお目当てで。
東郷監督、あのダンサーとのことは清算して、やり直すんだ。
ブラオミュンヘンには君が必要だ。
そして、東郷、君にはサッカーが必要だ。」
「シュタイナー会長、私は!」
「いいかね、東郷。一流の選手たちがぶつかり合う中、勝ち続ける世界屈指の監督たちがいる。
その中のひとりが、君だ。
企業で言えば、私が会長なら、君はブラオミュンヘンの社長なのだ。
東郷監督、君には高い学識があり世界で闘える才能がある。君ほどの人間が、いつまでも一人の踊り子の情愛にとらわれ、サッカーを犠牲にして良いのか!?
その者がどんなに魅力的でも、情交が深くなっていても、周囲に認められる恋ではない。
一時の気の迷いから生じた関係だろう。」
「会長、それは違います。」
「周囲はそう、とらえない。」
「会長。」私は反論する言葉を必死に探した。
「意を決して、ダンサーとは別れたまえ。断ることは許さない。」
しばらくして、ドイツと日本の週刊誌各紙に、シュタイナー氏の令嬢ローラさんと私のことが載った。
日本の週刊Bezも、もちろん写真入りで載せている。
わざとらしく、掲載誌だからと、日本からわざわざ、私に送り付けて来る。
”バイセクシャル疑惑の、東郷監督に今度は新しい女性婚約者”
”バレエダンサー道ノ瀬結と破局後、急接近したのは”ブラオミュンヘン会長令嬢!”
破局…。
全く勝手なことを書く。私は雑誌の束をゴミ箱へ投げ捨てた。
こうやって、本当に壊されて行く関係があまたあるのではないか。
おかげで、私はすっかり色恋沙汰の多い著名人となってしまった。
ローラ嬢には会ったのは、ずっと以前のサッカークラブのパーティでのみだ。
それ以後会ったこともないし、婚約した覚えもない。
1回だけローラ嬢に会った時の、写真まで載せている。
パーティ会場で何人かで撮ったものだが、私とローラ嬢のツーショットのようにわざわざ合成してある。ピンクのドレスを着たローラ嬢が写っている。正直、彼女がピンクのドレスを着ていたことを、今知った。そのくらいしか記憶にない。
結が、見ているといけないと思い、電話をすることにした。
リハ、舞台のある昼から夜10時半までは、結は電話に出ない。
夜になって、私は結に電話した。
舞台が終わって、自宅にいると思われる夜11時頃だった。
「東郷さん…。」結の声が細い。
「結。」
「…こんばんは。」
「今、帰って来たのか?」
「…、」
「結?」
「東郷さん…こっ婚約したの?」
「いや、していない。週刊誌が勝手に書いている。」
「ブラオミュンヘン会長令嬢と婚約、って書いてある…。2人で写真載っているね。」
「違うんだ、結!」
「僕を抱きながら、あの女の人も愛していたの?」
「待ってくれ、結!違うんだ!!」
「ある人が、言っていたよ。その、ご令嬢がすでに”おめでた”だって…。」
全身から、血の気が引いた。
「なんだって?!ありえない。令嬢とはそんな関係ではない!」
「東郷さん、お父さんになるんだね…。うれしい?…。
ごめん、僕には、それだけは、かなえてあげられない…。」
「結?!、本当に違うんだ!信じてくれ!」
私はスマートフォンを握りながら、ひざまずきそうだった。
「…僕、…死にたい…。」
「結!?」
ブツッと、電話が切れた。
待て!、結!ちょっと待ってくれ!!
電話を掛け直したが、電源を切られていた。
私は、震える手で、楠本氏の携帯ナンバーを探し出し、かけた。
「申し訳ありませんが、結の様子を見て来てください!」
「え?もう11時過ぎですよ。」
「いいから、早く!!」
「どうしたんですか?」
「死にたいと言ったんだ!!」
「何ですって!?」
「頼むから!!お願いだ!!」
「何かあったら、東郷監督、あなたのせいですよ!もう、二度と道ノ瀬に近づかないでください!」
楠本氏の電話も切れた。
すぐにでもパリに走りたかった。しかし、明日は試合がある。
あれから、結や楠本氏に何度も電話をかけた。
しかし、一度も出ない。完全シャットアウトされている。
著名人の結に何かあれば、ニュースになる。しかしその情報もなかった。
一方、私が出した監督辞任願いは受理されず、私はまだ、フライブルクから一歩も出ることも許されなかった。 それ所か、監督としての仕事が山積みだった。
戦略シュミレーションをパソコンの中で整理する。
監督を辞めるとなったら、次の監督になる人間へ引き継ぐことは山ほどある。
仕事しながら、ほとんど手に付かない。
結が言っていた、ブラオミュンヘン会長の令嬢、ローラ嬢がおめでただと?
どっからそんな話が湧いて出て来たのだ。
もし事実だとしても、父親はもちろん私ではない。
地獄のような日が1週間過ぎて、ようやく私のスマホが鳴った。
楠本氏だ。飛びつくように電話を取った。
「はい、東郷です!」
「監督。」
「もう、ご連絡することもないかと思ったのですが、お知らせしたいことがありましてお電話いたしました。」
「何か、あったのですか!?」
「道ノ瀬の両親が、東京から来ています。東郷監督にお会いしたいと申しますのでご連絡いたしました。」
「結のご両親?」
「パリに、お越しになれますか?」
「わかりました。向かいます。」
「なぜ…、道ノ瀬はあなたなんかを選んだのでしょうねえ…。
年も違うし、何より男性のあなたを…。」
「楠本さん…。」楠本氏の言葉が、私の胸に、体じゅうに、深く突き刺さって行く。全身から見えない血が噴き出て止まらない。
「東郷監督、あなたは道ノ瀬の演目を実際に見たことがありますか?
道ノ瀬の才能を知っていると言えるのですか?!」
「いや…。」
「私は、道ノ瀬結(みちのせゆう)を12歳の時から知っています。道ノ瀬がまだ日本にいた時から、私はパリバレエ団のスカウト係として、彼に会っていました。
道ノ瀬結は、欧州の複数の有名バレエ団が招致したい天才少年でした。
道ノ瀬の両親は、なかなか結を離したがらず、ようやく許可したのが17歳の時。
結は、17歳でパリに来た時、その圧巻の演技で世間をあっと言わせたのです。
演目は、『ロミオとジュリエット』でした。
愛らしい顔立ちと、日本人離れしたスタイルの良さ。
舞台に登場しただけで、物話から飛び出して来た王子のような気品あふれる雰囲気にに観客は目を奪われたのです。
実際よりも大きく見える、伸びのびとした手足の美しさ、驚くほどの跳躍力…。
喜び、怒り、悲しみ、涙を表現力豊かに演じる道ノ瀬結は、“美しすぎるロミオ”として、その時から世界のバレエ界に永遠に刻印されたのです。
官能的な演技とは裏腹に、道ノ瀬本人は、至極まじめでガールフレンドも作らず、恋愛も知らず…ただひたすらバレエに打ち込んで来たのです。
道ノ瀬は、あなたに熱烈に憧れていましたが…。東郷監督、あなたに会ったがゆえにこんな仕打ちを受けるとは、何の因果なのか教えて欲しいです!」
「なんとお詫びしてよいか…、言葉が見つかりません…。」私は、取り返しのつかないことをしてしまったのだ。
「道ノ瀬の両親は、何を話すつもりなんでしょうねぇ。道ノ瀬結をもてあそんだ挙句、
捨て、会長令嬢とお子さんまで作ったあなたに!」
「待ってください!結もそのことを言っていたが、いったい何のことか…。」
「ご自分のしたことに責任が取れないんですか!」楠本氏の電話はそこで、ブツっと切れた。
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