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ロミオとジュリエット 21
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パリに向かう途中、結の両親に会っていいものか何度も考えた。
いつも、高速走行するアウトバーン(無制限高速道路)で、150km/hの低速で走り、後ろからクラクションを鳴らされ怒られる。
が、呼ばれた以上、行かねばならない。
罵倒されることも、責められることも覚悟した。
私は、結の両親にとって、男でありながら、愛息に手をつけ、捨てた悪い男だ。
結の両親とは、結の自宅からほど近いカフェで面会することになった。
結が来たがっていたカフェだ。
マネージャー楠本氏も同席するのだと思っていたが、そうではないと言う。
あらかじめ予約してあったパーキングに車を入れると、歩いて向かった。
結のアパルトマンの駐車場に入れるのは、控えた。
約束のカフェに着き、ギャルソンに名前を言うと予約席に案内された。
10分前に来たが、既に結のご両親らしきふたりが着席していた。
「初めまして、ブラオミュンヘンの東郷悟です。」
ふたりが立ち上がり、言った。
「道ノ瀬結の、父と母です。」
銀色のトレーに載ったコーヒーが運ばれて来る。チップを含めた紙幣をテーブルに置いた。
私も、そして結のご両親も何から話せばいいのか、言葉を探しあぐねた。
私が、切り出さねばなるまい。
「この度は、結さんとご両親様、周囲の皆様に多大なご迷惑をおかけし誠に申し訳ありません。」
「いえ…、お詫びが必要なのは私どもでしょう。結は、東郷監督、あなたにお会いする前から、ずいぶんと熱を上げていましたから。」道ノ瀬夫人が言った。
「結さんと私のことを…、ご存じだったのですか?」
私は結の両親の、覚悟していたのとは違う柔らかい物腰に正直、胸をなでおろした。
「ええ、会うたび聞かされました。凄く背の高い方で、とても紳士的だと。」
お母さんが言った。結に似ている。おふたりそろって、知的な感じの御夫婦だ。
お父さんが私に聞いた。
「東郷監督、単刀直入に伺います。」
「どうぞ、」私は覚悟した。
「あの週刊誌に書いてあることは、事実ですか?」
結は、なんと両親に話したのだろう。私たちのことをどこまでご存知なのだろうか。結と話のつじつまが合わなくてもいけないと思い、私は逆に聞いた。
「結さんからは、何も?」
「結は、東郷監督のことが大好きだと話してくれました。」お母さんが言う。
「東郷監督と結は、やはり…?」
お父さんが私に聞いた。
「週刊誌に書いてあることは、うそが多いですが、結さんと私が”特別な関係”であることは事実です。」
私は、ご両親に認めた。
「監督が、ブラオミュンヘン会長のお嬢さんと婚約したと言うのは本当ですか?」
お父さんが畳み掛けて来た。
「それは、嘘です。週刊誌がでっちあげたものです。」
「お相手の女性が、懐妊中と言う話はいかがですか?」お父さんが知りたいことを的確に聞いて来る。
「有り得ません。挨拶を交わすのみの間です。」
「やはり…、そうでしたか。今日、監督に実際に伺えて良かった。」
結のお父さんは、確信したように言った。
「東郷監督、あなたや結ののプライバシーに関することで、名誉棄損にあたる記事を書かれたのなら、裁判に訴えることをお勧めします。」
「道ノ瀬さん。」
「私たちは、結の親です。でも、もしかしたら、よその親とは少し違うのかもしれません。
私たちは、結には結の望む形で幸せになって欲しいと考えております。」
「望む形?」私は結のお父さんに聞いた。
「結は、パリで世界的なバレエダンサーになり、親の私たちをはるかに凌駕して行きました。
私たちは東京におりましたから、結はパリで周囲の皆様に支えられて成長したのです。
中でも、結が精神的に大きく支えられたのは、東郷監督、あなたのようです。」
「いえ、その頃は私たちは面識はないので、私は何もしておりません。結さんがブラオミュンヘンのファンだったので、いつも見ていてくださっていたそうですが。」
「以前、結に、こう話したことがあるのです。
もしも…、結に好きな人が出来て、それがその他多くのカップルと違っていてもどうか苦しまないで欲しい。
そして、親である私たちには躊躇なく教えて欲しい、結が選んだ人なら歓迎するから。と」
結のお父さんの言葉に、静かに驚き、私は胸が熱くなった。
初めて会った結のご両親は、理知的でとても温かい。
「結さんに、会わせてください。」私は結の両親に懇願した。
「東郷さん、実は息子はオペラ座の公演を休んでいます。」
「体調を崩されているのですか?」
「結は、今、ちょっと精神状態が不安定なのです。」
「え?」
「楠本さんが、先日、病院の心療内科に連れて行きました。今も部屋で楠本さんが見てくれていますが、もともと神経の太い子ではないのです。芸術家気質と言うか…。」
「結さんに、会わせていただけますか?」
私は、もう一度お願いした。
「お会いになりますか?」
お父さんが言った。
「何か、不都合がありますか?」
「結は…、」お父さんは、いや、ご夫妻ともひどく辛そうな表情を作った。
「結は、東郷監督の婚約情報が流れ、お相手の女性が懐妊中だと聞いた時、あなたのお名前を呼んでひどく罵ったそうです。
髪をむしり、衣服を噛むなどもしたと聞いています。
大事にしていた、ブラオミュンヘンのグッズをことごとく床に投げ捨てたと、楠本さんが…。
結は、最近大きな腕時計をしているのです。結の腕にはぶかぶかの・・・。
でも、それを見た時だけは、大事そうに手に取り、頬に当て、涙を流すのです…。」
「私の、腕時計です…!」
私は叫び出しそうになった。
涙が溢れそうになり、きつく目を閉じた。
プロポーズしたあの夜、”誓いの証”にと結に贈ったスイス腕時計…。
私と結のご両親の間に、沈黙が流れた。
私の涙が引くのを、結のご両親も静かに待っている。
人々のざわめきや、皿やフォークの食器音が次第に耳に戻って来る。
ギャルソンの声、皿が運ばれて行く音が混じり合う。
ブラオミュンヘンのシュタイナー会長は、”ひとりの踊り子の情愛にとらわれ、大事なサッカーを犠牲にするのか?”と私に問うた。
私を引き上げてくれた、恩あるシュタイナー会長には大変申し訳ないが、結を見捨てるわけにはいかない。
人として、出来ない。
「私たちは、息子が心配で、東京から参りました。でも仕事があるので明日には帰らねばなりません。
今、結は薬を飲んで少し落ち着いています。
でも、薬が切れたらどうなるか。
東郷監督、あなたが思った通りの方で良かった。」
「道ノ瀬さん。」私は、結のお父さんをまっすぐに見つめた。
「あなたが、そばにいてくれたら、結は回復へ向かうでしょう。」
「東郷監督、息子に会ってください。私たちは今夜はホテルに部屋を取っています。」
お母さんも言った。
「私たちは、LGBTを理解しているつもりです。
これは、何かのお役に立つかもしれません。その時はお使いください。」
お父さんが、小さなカードを私に差し出した。
それは、道ノ瀬夫妻連名の名刺だった。
道ノ瀬弁護士事務所
弁護士 道ノ瀬 茂
弁護士 道ノ瀬京子
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