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ロミオとジュリエット 39
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私は、鬱屈とした気持ちを呑み込んだまま、自宅へ車を走らせた。
フロントガラスに当たる雨が、次第に強くなって行った。
結が、もう私に会わないだと?
なんで、そんなことを日本の官僚から聞かされなければならないのだ。
不愉快だ。
感情的と言うより、個人の心の中まで国が支配しようとしていることに怒りと恐怖を感じる。
私は、心中に怒りを抱えたまま、本降りの雨の中、車を発進させた。
アクセルペダルを踏み込んだ瞬間、わずかなタイヤの空転を感知する。
エンジンとブレーキが自動制御され、スムーズな発信に変わった。その制御システムに熱くなった頭も冷やされる。
中心街に近いまっすぐな道路を走り抜け郊外に出て行く。4月のドイツは、晴れれば暖かいが雨なら冬に逆戻りしたようだ。今夜の雨はことのほか冷たい。そう、ドイツは日本の北海道よりはるか北に位置する。ドイツより南のスイス、更にその南のイタリアの都市ミラノが、北海道の北端・稚内あたりと同じくらいの緯度だ。
早く帰りたい。
しかし、雨で渋滞しいつもより時間がかかる。ようやく郊外の自宅に到着した時には、みぞれが交じっていた。
車から出て、急いで玄関に向かう。
黒いジャケットに小さな氷の粒が、コツコツ当たる。
「だんな様。」ジップが、玄関を開けて出て来た。車のエンジン音に気付いたのだろう。
「ただいま。」
「お客様がリビングでお待ちです。結さまです!」
「え!?」私は驚いた。
私は玄関前で濡れたジャケットをジップに預けると、階段を駆け上がって行った。
2階のリビングのドアが開いていた。結が暖炉の前に運んだ長椅子に座って、同じく長椅子に座った猫3匹を撫でながら話しかけている。
「もうすぐ、お父さんが帰って来るからね。みんないい子にしてようね。」
「結!」
「東郷さん!」
駆け寄って抱き合った。
腰を強く抱き寄せるとぐにゃりとした。柔らかい結の身体。
その感触が愛おしく、腕の中にいる結を見た。
結も、私を見上げている。
「氷の粒が…、」結が、私の髪に降った氷を払おうと高くそっと左手を伸ばして来る。
結の左手薬指に、私が贈った指輪がはまっていた。
私は、思わずその左手を取って口づけし、頬に押し当てた。
「東郷さん…。」
「結…!」私は結を抱きしめた。
「どうしたんだ?連絡をくれれば迎えに行ったのに。」
悪天候の中、パリからはるばるやって来た結をねぎらった。
「どうやって来たんだ?」
「国際高速列車とタクシーで。」
「ひとり?」
「そうだよ。」
「タクシーの運転手になんて説明したんだ?」
結がうちに来る時は、いつも私が送り迎えして来た。
「フライブルグ駅から20分で、ガストホフ(旅籠)って呼ばれている大きな木造住宅で、ブラオミュンヘンの東郷監督の家って。 すぐわかってもらえたよ。」
「そうか。」
猫たちもしっぽを立てて近付いて来て、私にすりついている。
「東郷さんは、この子たちのお父さんだね。」
「私は、猫じゃないよ。笑」
「この子は、人見知りだね。」
結は、ドイツ産の黒猫アルマーニを抱き上げた。
「この子はひとなつっこい。」
ローマから来た、グレー猫ロマーノが前足を私の足にかけている。
「この子は、すばやい。」三毛猫のジャポン。
結は、猫たちと接触したのは数回でしかないが個々の性格を次々と言い当てている。
「みんな、保護猫だ。」
「そうなんだ。優しい東郷さんらしいね。」
「だんな様、お夕食の準備が整いました。私はこれで帰ります。」
ジップが告げた。
「ありがとう、雨が強いから気を付けて。」
お手伝いさんのジップは、近くに住まいがあり、私の家には通って来る。
ダイニングルームで、私と結はふたりで食事をした。
結が来るなら、私が作ってやりたかったが残念ながら私は今帰宅したばかりだ。
ジップが用意してくれたのは、温かいカボチャのスープ、ドイツ風生ハム、ドイツパン、チーズ、ピクルスだ。
通常ドイツ人の夕食は、ハムやソーセージ、チーズとパンなどだ。
ジャムやバターを塗ったりピクルスをテーブルに並べる。
料理すると言うより、冷蔵庫から出して来ると言う表現が近い。
夜は、火を通したものを食べないのが普通だ。
だが、私は温かい料理を好むので自分でも作るし、ジップも作ってくれる。
今夜は冬のようだ、ドイツパンもオーブンで温めた。
「結、これ食べてみて。ここの特産の黒い森の生ハムだ。美味いよ。日本では珍しいな。」
私は、ハムのかたまりをナイフでスライスした。
「こうやって、無塩バターを塗るんだ。」結の取り皿に載せた。
「ん、美味しいね。甘ハムの塩っ気がバターで中和されている。」
「生ハムを燻製し、まわりにスパイスをまぶしたんだ。モミの木でいぶしてある。」
「東郷さんと早く一緒に暮らしたいな。毎日、美味しいものが食べられる。」結が、次々にハム、パン、チーズを平らげて行く。
「バレエダンサーは、食事制限あるんじゃないのか?」食べっぷりが良い結に聞いてみた。
「あるよ。でも、炭水化物を取らないとね。炭水化物が足りないと、筋肉を栄養としてしまい筋力が減って体脂肪率が増えるって、栄養士さんが。」
「そうだ、その通りだ。」
私は、監督になるため栄養学も修めている。
「脂肪も筋肉も必要以上にはいらない。筋トレすると筋肉が太く重くなるから、動きにキレがなくなるしね。 綺麗じゃなくなる。」結も言った。
「じゃあ、結、デザートにケーキ食べる?」
「食べる!」
私は、冷蔵庫から、サクランボとチョコレートのケーキを出して来て、結に取り分けてあげた。
結の大好きなチョコレートのケーキだ。
「結、」
「なに?」結は、美味そうにチョコケーキを食べている手を止めた。
「今日ここへ来たことは、楠本さんは(マネージャー)知っている?」
「ううん。」結は首を振った。
「言ったら、ダメだって言われるもん。楠本さんに家まで送ってもらった後、こっそり出て来たんだ。」
やはり…。
結は仕事の時は常に楠本マネジャーが帯同しているし、政府のアンバサダーの仕事の時はボディガードが付くと言っていた。
「結、今日私は、日本外務省官僚と会った。五代 憲(ごだい けん)氏と言う人物だ。」
「そう…。その人、20代後半くらいで、シャープな眼の人?」
「そうだ。」
「この前、パリで行われた日仏交流160年の祝賀会で僕も会ったよ。で、何か言っていたの?」
「道ノ瀬さんは、もう、東郷悟とは会わないって。」
「やっぱり…。」
「やっぱり?」
「そうかもしれないと思って、僕、今日ここへ来たんだ。」
「そうかもしれない?」
「世界には、LGBTがOKの国もあれば、ダメな国もある。だから、観光アンバサダーになっていただくには、同性の恋人や配偶者は認められません。って僕に言っていた。」
「なるほどね。」
「ねえ、東郷さん。東郷さんは僕がバレエダンサーでいた方が良いよね。」
「君が、望むなら。」
「バレエをやっていたいよ。だから、助けてほしい。僕がバレエダンサーを続けていられて、政府のアンバサダーを断る方法を一緒に考えてほしい。」
「結。」
「東郷さんは、百戦錬磨の名将なんでしょう?ブンデス最高の監督なんでしょ。僕に知恵を授けて。僕を助けて。」
結が、テーブルの上の私の手を握って来た。
「そうだな。どうしたらいいかな…。」
私は、結の指を握り返しながら、この難問の答えを探し始めていた。
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