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ロミオとジュリエット 47
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私が毒を盛られた事件は、刑事事件ではなく、裁判を起こす場合は民事訴訟扱いとなった。
つまり私が、被害を被ったと毒を盛った相手に損害賠償請求しない限り、保証も何も発生しない。
私個人が、どうやって犯人を探し出せるというのだ?
テレビ放送中の出来事であり、視聴者やファンの間でも憶測を呼び、ネットでもこの怪事件でもちきりだった。
しかし、不思議とテレビや新聞ではこの事件を扱わない。 特に日本のメディア。日本のメディアは、私がスタジアムで倒れて、搬送された時はみな報道した。
週刊誌は、病院の窓から、のぞいた私の毒物中毒のあばた面をこぞって載せた。
それが今はどうだ。毒物事件どころか、私が急に倒れたので、健康が危ぶまれる状態などとふざけたことを書いている。
ブラオミュンヘンの顧問弁護士も、相手が判明していない以上、残念ながら訴訟は不可能だと言った。
私の治療費、慰謝料、監督を出来なかった間の損害賠償はどうしてくれる。
泣き寝入りするしかないのか。
結が、パリの自宅へ帰る時、
「東郷さんのことが、心配・・・。」と言った。
「私は大丈夫だ。」そう言うと、結が私を見上げた。
「…、帰りたくない。独りでパリにいるのは寂しいんだ。」
結は私の腰に腕を回し、抱きついてきた。強く、私の胸に顔を押し付けて寸分も離れまいとする。
赤ん坊のようにぐずり、心底寂しそうな顔をしている。結は、17歳で親元を離れる以前にも、日本各地で舞台に立ち、家族で食事することが常ではなかったと言った。
結を見ていると、パートナーとして私を求めるだけでなく、庇護者としても求めている気がする。だから、私から離れると不安になるのだろう。
甘ったれで、さびしがりやの結、私と出逢うまでは、どうしていたのだ?
「そのうち本当に、結婚して一緒に暮らすんだよね、僕たち?」
「そうだ。」
私は、くるみ込むように結を抱きしめ、頭をなでた。身を屈めて頬ずりした。
結をフライブルクの駅まで送り、国際高速列車に乗せた。病み上がりなので車で送るのは控えた。
動き出した車窓から、結がずっと私を見ていた。見えなくなるまで、何とか私の姿を追い続けようとする。
結の姿が残像のように目の網膜に残った。
私が休んだ間のブラオミュンヘンの試合は、1敗1引き分けだった。 しかも、そのうち負けた方の試合は、欧州選手権の予選リーグだ。 私が、出場しなければならない重要な試合だった。勝利を得られなかったのは、休んだ私の責任である。
試合相手が強ければ強いほど、監督の力量が問われる。
どんな状況であれ、とにかく私は、ブラオミュンヘンを勝たせることが絶対命題なのだ。
私は、再びブラオミュンヘンの試合に復帰した。
不可解な毒物事件と、試合に勝たねばならない重圧が私のメンタルにのしかかる。
選手たちは、ブラオミュンヘンの白地にブルーのラインの入ったユニフォームを着て、私はいつものダークスーツに身を包んだ。
ファンファーレが鳴り響き、選手たちと共にスタジアムに出て行った時、満員の観客に熱狂的に迎えられた。
私が、無事に還ってきたことにどよめきが起きている。
スタジアムの巨大スクリーンに、私のアップが映し出された。中毒のあばた面は消え、 赤茶けた髪の毛もカットされ、私はリッチブラックの黒髪を取り戻した。
私の名、「TOGO!」を叫ぶ声がスタジアム中にこだました。
その声援に、試合慣れした私ですら、身震いがする。
今日の試合は、ブラオミュンヘンにとって、逆きょうからのスタートとなった。
病み上がりの私が、正確な判断を出来るのか誰もが危ぶんだ。
ドイツの国内試合だが相手は、今季5連勝しているハンブルガーズである。
強い相手の試合ほど、監督の力量が問われる。
勝つのは望み薄と、スポーツ紙に書かれた。
実際に、2点先に先制され後半40分を迎えた時は、誰もがブラオミュンヘン敗退を予想した。
しかし、主砲のマルコと、アベルの2得点で劇的な逆転勝利が我々を待っていた。
私が休んだ間、1敗1分けの不運な記憶をはね除け、劇的にハンブルガーズの快進撃を止めた試合となった。
試合後のインタビューで、私はこう答えた。
「誰もが、我々に勝ち目があるとは思っていなかった。選手そして何よりファンの皆さまに深く感謝したい。」
支えてくれたファン、そして私を信じ、私の退院をひたすら待ち続け、勝ち上がったチームへの誇りが、私をそう言わせたのだ。
言い終わった時の、スタジアムを揺るがす大歓声と拍手に、私は目頭が熱くなった。
翌日、ブラオミュンヘンの事務所に届いた新聞は、「指揮官東郷、感極まる」、の見出しで昨日の試合を伝えていた。
選手たちは、昨日試合があったので今日は休みで、いない。トレーニングセンターは静かである。
その日、私にも休みが与えられたが、入院していた間の残務整理のため、ブラオミュンヘンの事務所にいた。
「監督、お客様がいらっしゃっていますが。」事務員が私にそう言った。
応接室に行くと、ドイツ人ではない、スーツの男がひとり待っていた。
「五代さん。」
「昨日の勝利、おめでとうございます。入院されていたとは思えないご活躍ですね。」
アポも取らず、いきなりやって来て会えると思っている。この外交官は、どこまでも治外法権らしい。
「監督、あなたはお話しておきたいことがありまして、参りました。」
「五代さん、以前も申しましたが、私はあなたから伺いたいことはありません。」
ドアを開けて五代氏を帰らせようとしたのに、ブラオミュンヘンの事務員が、コーヒーを持って入って来てしまった。
五代氏は、出されたコーヒーに手をつけず、神妙な顔つきをして言った。
「東郷監督、今回の監督の毒物事件に私ども政府は無関係です。どうか、信じていただきたいのです。」
「私が、あなた方を疑っているとお考えなのですね。」五代が、"政府が無関係"だとわざわざ言ったことが、引っかかった。
「疑われて当然だと思います。」
この男の顔を見るのも嫌だったが、うそを言ってもいないようだ。いやわからない、私は甘いのかもしれない。官僚なんて平気で黒を白と言う。
「道ノ瀬さんとのことですが。」
「道ノ瀬氏がなにか?」私はあえて、結を”道ノ瀬氏”と呼んだ。
「道ノ瀬さんは、ワールドカップの公式アンバサダーに就任計画があります。政府が決定しました。」
「何ですって?それを道ノ瀬氏は了解したのですか?なぜ私に先に言うのですか。」
「道ノ瀬さんには、別の担当者が今日伺っています。」
「断るかもしれないではないですか。」
「お断りいただけません。」
結をワールドカップの広告塔に使うのか?!サッカーファンの結を!
「ワールドカップは、中東タカールでの開催です。」
五代が、そう言ったことで、私に、答えが浮かび上がってしまった。
「監督もご存知でしょう。この国では、LGBTは禁固刑です。」
「そんな国で、LGBTの方に広告塔をなっていただけますか?」
「ならば、やめればいいじゃないですか。」
「ええ、道ノ瀬氏のほかに実は第一候補がいらしたのです。」
「誰だと思いますか?」
「さあ。」
「東郷監督、あなたです。」
「それはだめですね。」私は失笑した。私は、公然とバイセクシャルであること発表している。
「そうなのです。もしバイセクシャルでいらっしゃらなくても、東郷監督はバックが大きすぎる。世界第4位のブラオミュンヘンの監督ですからね。ブラオミュンヘンがOKしてくれるか、わかりません。それに…。」
「それに…?」
「国の顔となる、アンバサダーには、バイセクシャルやLGBT以外の方が望ましい、と政府は考えます。
男女の夫婦とその嫡出子で構成する伝統的な家族観の持ち主ですから。」
「ほう。それで。」嫡出子だの伝統的家族観だの、そんな価値観は私には意味不明だ。通じない言語より難解だ。
「しかし、これが、ドイツやヨーロッパで広まったら、日本政府は差別主義かって言われてしまいます。」
「現実に差別主義なのでしょう?」
私には差別を被った経験がある。かつて、私は日本人で初めてヨーロッパサッカーを制した監督として、日本で表彰されたことがある。夫婦などカップルは招待されるが、その時の私のパートナーは男性であるため拒否された。
「W杯の開催地タカールでは、日本の大企業が多く壮絶な利権争いを繰り広げています。差別のレッテルを貼られたらその戦いに負けてしまうのです。大企業をバックボーンにする、首相は今夏の選挙に負けてしまいます。」
差別主義の政府なら、負ければいいじゃないか、と私は思った。
私は、官僚五代に言った。
「何かとうるさい私ではなく、若くて言うこと聞いてくれそうな、道ノ瀬結さんを使おうというわけですね。」
結にもパリバレエ団と言うバックがあるが、芸術団体なので大きな利益団体ではない。フランスは芸術の国だが、 最近は生活不安に襲われた国民のデモ隊に、しょっちゅう大統領府が囲まれている。警察ですら、防具を自前で買わねばならず、政府に反感を募らせている。フランス政府は国民支持を失っているのである。その屋台骨の弱ったフランス政府に、人気があるとはいえ、所詮外国人の道ノ瀬結をどこまで守る気があるのか。
「道ノ瀬さんは、政府に好都合です。」
「監督、道ノ瀬さんと関係解消していただいた場合、もちろんお礼をいたします。」
「手切れ金ということですよね? どなたが、それを出すのですか?政府が税金で?」
もしそうなら、その情報、世界のマスコミに垂れ込んでやる。
「まさか。政府には領収書無しで使える金が60億以上ありますが、それはいくら何でも出来ません。首相は選挙に負けたくないので。」
「じゃあ、誰が出すのですか?」
そう聞いたら、五代は意外な顔をした。まさか、私がこの話に乗り気なのか?と思ったのかもしれない。
五代が言った。
「首相と与党の支持母体である大企業です。世界的な監督へのお礼ですから、もちろんそれなりのことはすると申しております。」
「それなり?」
五代は意外なことを言った。
「その企業代表の方に会っていただきましょう。今、ここに向かっています。」
「勝手に話を進めないでいただきたい。」このブラオミュンヘンのトレーニング施設に来ると言うのか?
その時、ドアがノックされた。入るよう促すと、ブラオミュンヘンの事務員が壮年の男性を一人伴っていた。
「監督、コーゼの村木社長です。社長、こちらが東郷監督です。」
「商社コーゼ・社長・村木卓(すぐる)です。ようやく東郷監督に会えましたな。良かった、良かった。」
「ブラオミュンヘンの東郷悟です。」
村木社長は、勝手に私の手を取って固い握手をし始めた。
この男には、恩、いや因縁がある。この男、何か良くない匂いがする。
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