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ロミオとジュリエット 50
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私と結は日本に戻る飛行機の中で、どこに滞在するかふたりで話し合った。
「ホテルでもいいが、すぐにマスコミにかぎつけられるだろうな。」
「東郷さんちと、うちと半々にしては?」結が言った。飛行機で隣り合って座りかけた毛布の下で、アームレストに載せた私の指先を結が握っている。
「それでいいかい?正月の時と同じだが。」
「いいよ。東郷さんち、好き。東郷さんはうちで良いの?」
「もちろんだ。私は、私たちのことをすんなり受け入れてくれた結のご両親を尊敬している。」
結は、満足そうにうなずくと目をつぶった。
結のご両親は、仕事でLGBTなどの差別問題も扱う弁護士だ。
まさか我が子がそうだと気が付いた時には、おそらく驚かれたのだと思うが、私のことは男女の結婚と同様に受け入れてくれた。
感謝して、あまりある。
問題はうちの方だった。
そう正月に、私の実家で、結とうちの親父とはひと悶着あった。
親父が、結に「君の来るところではない」と暴言を吐き、結が逆に親父に「悟さんをください」と言い放ったのだ。
あの時は、親父の暴言に、結が泣き出すものだとばかり思っていたのに、結の意外な強さに驚いた。
席と席をさえぎる、顔の部分の壁を避けて、少し前かがみになって結の顔を見た。 結は、疲れた様子だ。ライトを消してやると、眠ってしまうのか、言葉が途切れた。
「このビジネスシート、僕も払うよ。」眠ったと思った結が、不意に言った。
「いいんだ。君はそんな心配しなくていい。君は私の配偶者だ。」
「だからこそ、家計のこととか考えなきゃいけないんでしょ?」結が目を開け私を見ていた。
「本当にいいんだ。こうしてそばにいてくれるだけでも、ありがたい。」私がそう言うと、結は満足そうに笑んだ。
「結、少し眠るといい。」
「うん。日本までずっと一緒だね。東郷さんと飛行機乗るの初めてで、嬉しい。」
結のシートのボタンを長押しして、スライドさせ席をフラットにしてやった。
結がゆっくりと横になると、結が小さく2回咳をした。
結が、私の方に横向きに体の向きを変えた。
首まで、羽根布団をかけてやり、トントンと優しく触れた。
私たちの日本行きは、すぐにマスコミがかぎつけるだろう。今こうしている時にも、誰かが私たちがドイツから日本行きの飛行機に乗ったとSNSに載せるかもしれない。
結は、通常同世代の若者が経験しえないような名誉、緊張、そして計り知れない困難を背負わされている。
私は、結を出来る限りいたわってやりたい。
フライト中に、私と結は互いの両親に、帰国して実家に滞在する旨を伝えた。
日本に着くと、私のベンツを管理する車両会社が早朝であるにもかかわらず、羽田に私の車を回してくれていた。
入国審査を終え、結はキャップを深めにかぶり、周囲の目を避けるようにして車に乗り込んだ。
「日本に帰って来たね。」車のドアが閉まった時、結が言った。
「そうだな。」時刻が日曜日の朝の7時半を指していた。
まず結の実家に、結を送った。
羽田空港から高速に乗り、西新宿で降り、ビルの立ち並んだ市街地を走る。
住宅街に入ると、ゆっくりなるべく静かに車を走らせた。
日曜の朝の住宅街は静かだ。
緑の低木に囲れた白いシンプルな門の前で車を停めると、ダークブラウンの玄関ドアが開いた。 中から出てきたのは、結の両親だ。
「ただいまー!」結が言った。
「結!おかえりなさい。お久しぶりです、東郷監督。」朝の8時半に、東京の結の実家でご両親に迎えられた。
「すみません、朝早くから。」
「とんでもございません。」
おふたりともお元気そうだ。
「さあ、おあがりください。朝食は?」
「飛行機の中で食べたよ。」結が言った。
フライトで疲れているだろうからと、ご両親に休憩を勧められた。
「お風呂も沸かしてあります。お休みなるのでしたらお布団もあります。」お父さんがコーヒーを入れてくれた。
「誠に恐れ入ります。」
結と相談して、風呂を使わせていただき、ソファでふたりでくつろいだ。
結は、両親のいる部屋へ何度も行っていたが、私のいる部屋にご両親は現れなかった。
音がしない時間帯があったので、出かけられたのかもしれない。
干渉されるわけでもなく、気を使われるわけでもない。
たぶん、実家でも自宅でもなくこれほどリラックスしたのは初めてだろう。
結のご両親の家は本当に心地いい。
夜夕食時に、私たちはご両親にダイニングに呼ばれた。
「今日はお寿司にしました。」
大きな飯台2つに載った寿司が、すでに用意されていた。
「監督が、お好きな赤ワインもご用意しましたのよ。」お母さんが言った。
「お酒をいただいたら、帰れません。」
「えっ帰るつもりでいたの?なら、僕も一緒に行く!」
結の言葉に、結の両親の笑顔が少し曇った。
「監督、ぜひお泊りください。」
結の両親は、少しでも長く結と一緒にいたいはずだ。
「ありがとうございます、ではお言葉に甘えます。」
パリでの結の舞台の話、私のサッカーの話、ヨーロッパ での日常の報告を結のご両親にした。
結が、ブラミュンヘンの試合をテレビで見ていたら、ピッチに猫が迷い込んで東郷監督が出した、とご両親に話した。
東郷監督は猫が好きだからとも。
ドイツのおうちで3匹も飼っていると。
たわいもない、和やかな時間が過ぎていく。
結は、政府がらみで、W杯のアンバサダー依頼が来ていることを食事中話さなかった。
何十人と言うマスコミに追いかけられていることも。
結が触れないので、私も敢えて言わない。
その夜、私たちは一つの寝具の中で体を寄せ合って寝た。
例によって、結が客間に敷かれた私の布団の中に枕を持ってやって来たのだ。
「結?」
「何?」
「ご両親には、アンバサダーとしつこいマスコミの話しないのか?」
「う…ん。心配するし。アンバサダーの話は極秘だから、まだ知らないと思うけど、マスコミに追いかけられているのは知っている。いつもの事だから。でも最近、追っかけて来る人数が過剰なので、お父さんが、顧問弁護士を持たないのか?って言っていた。」
「アンバサダーの件、ご両親にご相談してみたら?」
「アンバサダーになるよう強要されているって言ったら、うちの両親は政府相手に裁判を起こすよ。うちの両親、市民デモで市民が不当に逮捕されないよう、参加者にまぎれてデモに加わるんだ。今日もそれで出かけていた。そう言う弁護士結構いるんだよ。デモは、国民の当然の権利でしょ。でも、政府は排除しようとする。うちの両親、政府のそういう所をとても怒っている。
道ノ瀬の両親が国相手に裁判起こしたら、マスコミは今以上の大騒ぎになるだろうね。スポンサーだって僕から離れると思う。そうしたら、僕はバレエを続けられなくなる…。」
「そうか…。」
法律の専門家である結のご両親に、助けを求められないのは残念だが、結が、思ったよりしっかりと物事をとらえていて安心した。
年より、幼い感じがしていた結だが、存外しっかりしている。
「東郷さん、明日は東郷さんちに行くの?」
「うん、結はどうする?」
「えっ、一緒に行くに決まっているじゃない!当然でしょ。」
「そうか。でも君のご両親はお寂しいのではないかな。」
「う~ん、またこっちに来て。東郷さんも。」
「わかった。今日は寝ような。」
「えー。」
「えっーって?」私は笑って、不満そうな結の小さな鼻をつまんで動かした。
「異動で疲れただろう?」私もパリでカーチィスをやった上に、人目を忍んで飛行機で移動して来たのでいささか疲れた。
「う…ん。せっかく、二人きりなのに。」
「疲れている時は、結、君の負担が大きいよ。」
私は、結のパジャマにくるまった腰から下をなで下ろした。
丸い尻を撫でてやる。
「これからしばらく、夜はふたりだ。」
「んふっ、嬉しい。」結が私の腕に抱きついて来た。
私は腕に結を抱き込む。結が私の肩口に小ぶりな頭を載せて来る。
結のまぶたの上まで伸びた、わずかなウェーブの前髪にそっとキスした。
結があごを上向けたので、唇にもキスをした。
結が、政略でW杯アンバサダー就任を迫られていることや、マスコミに追いかけまわされていることも嘘のようだ。
浅い口づけをした後、私の胸に頬を寄せた結が言った。
「東郷さんの心臓の音が聞こえる。」
「結?」
「何か、安心する…。」そう言うと結は、更に抱きついて来た。
「そうか。」私は結を抱きしめた。
結は、赤ん坊みたいな所がある。赤ん坊が親の心臓の音を聞いて安心するのはかつて、一つの身体だったことがあるからだ。
静かで平和な夜が更けていく。
秋の虫の音が、かすかに聞こえていた。
「お世話になりまして、ありがとうございます。今日は私の実家に結さんを連れて参りますが、滞在中、結さんをまたこちらにお連れします。」
「監督、いろいろ、お気遣い、ありがとうございます。」
翌朝、結のご両親は、そう私に告げ出勤された。
1時間弱車を走らせ、神奈川県の青葉台に向かう。
私の実家がある街だ。
今日は月曜日。
月曜日は母と妹の経営するパン屋が休みだ。
パン屋に隣接する実家のインターフォンを鳴らすと、母と妹たちが玄関に雪崩れるように出て来た。
「きゃー!道ノ瀬さ~ん!ようこそ!」 妹たちは、黄色い声で喜んでいる。
「前回から、首を長くしてお待ちしていましたのよ!」母親ですらこれだ。
「こんにちは。皆様お元気そうで何よりです。」
結が頭を下げようとした途端、玄関から引き上げるようにして、結を妹たちがリビングの方に連れて行ってしまった。
「道ノ瀬さんが、長い夏休暇でうちにいらっしゃるんじゃないかと思って浴衣を買っておいたのよ!」
「え、浴衣ですか?お母さん、本当ですか?」
「私のは?」私は、母に聞いた。
「悟のは、既にあるでしょ。」私のは新調していないらしい。苦笑した。
「道ノ瀬さんのプロフィールにある背丈で、勝手に注文してしまったのだけれどお召しになってみますか?」
「はいっ!」
「これなのですが、どうでしょう?」
母親が白い紙に包まれた、浴衣を奥から出して来た。
水色の地で、何か植物の絵が裾の方に入っている。
「わあ、綺麗です。僕、この水色好きです。」
「そう、気に入っていただけて嬉しいです。」
「着てみましょうよ。帯締めてあげる!」上の妹、恵がやる気満々だ。
結が、隣りの部屋で服を脱いで、浴衣だけ羽織って出てきた。
「ちょっとごめんなさいね。」母が、妹たちから見えないように向きを変え、結の浴衣の前を開いて襟を右、左と整えて合わせた。
白い腰ひもを、母が結に巻いて腰骨を外して結び目を作る。
うちの女性陣3人が嬉々として、結に帯を巻き始めた。私のパートナーと言うより、新しい孫でも出現したようなはしゃぎようだ。
夏休みで、実家に来ていた、上の妹・恵の子供、晴斗(はると)が何やら恨めしそうにこちらを見ている。
「ほら、恵。結ばっかり構うから、晴斗(はると)がごきげん斜めじゃないか。」
「違うわよねー、晴斗!」
「…。」晴斗(はると)は黙っている。
「晴斗(はると)、お母さんを連れて帰っていいぞ。」
私はしゃがんで晴斗(はると)に目線を合わせた。
「ちがうんです。おじさん…、あのう…、ぼくにサッカーおしえてくれませんか?」
「あ、あ、そう?」
晴斗(はると)の意外な答えに少し驚いた。晴斗(はると)は結に嫉妬していたわけではなかった。
「じゃあ、庭で少しやるか。」
「わーい!」晴斗(はると)が飛び跳ねて喜んだ。
私が庭で晴斗(はると)に簡単なボールの扱い方を教えていると、部屋の中で、結の着付けが出来上がって来たようだ。 水色の浴衣に濃紺の帯をしめてもらった。
「う~ん、似合う、似合う!素敵よ道ノ瀬さん。」下の妹、飛鳥がうなづいている。
「道ノ瀬さんは華やかな方だから、もう少し何かないしら。」母がそう言うと、奥から何やら小さな箱と細長い箱を出して来た。
「これ、私の帯留めなんだけど、これ、道ノ瀬さんに差し上げるわ。」
「本当ですか?すごくきれいです。」
私も、サッカーボールを抱えて部屋の中を庭からのぞき込んだ。
私もその、小さな青い石には見覚えがあった。
「あ、それ、おばあちゃんから受け継いだサファイアの帯留め!」妹たちが言った。
「大事な品ですか?でしたら、いただけないです。」結が言った。
「大事な品だから、結さんにあげるの。あなたは私たちの家族だから。」
「…嬉しいです。お母さん。本当にありがとうございます。妹さんたちに行くはずだったのはないですか、すみません。」
「あ、いーの、いーの。私たち、着物着ないから。」上の妹、恵が言った。
「この帯留め、悟や妹たちのおばあちゃんの物だったの。おばあちゃん、つまり私の母は戦時中、貴金属を生活のために売ってしまったのだけれど、これだけは売らなかったのね。結婚する時、おじいちゃんから贈られた品だったから。戦前に作られたものだけど、今見ても悪くないでしょ?」
「凄く綺麗です、たぶんとっても高価な品なのではないですか?」
「昔は、イミテーションがないからすべて本物ね。本物の分かる芸術家の結さんにこそ持っていて欲しいの。」
「ありがとうございます、お母さん。東郷さんの家の一員になれたようで嬉しいです。」結が言った。
「こうやって、帯締めに通すのよ。」
母は、細長い箱から帯締めと言う紐を出して、帯留めを通した。
結の濃紺の細帯の上から、青いサファイアの帯留めが巻かれた。
男性の着付けとして、そう言う着方があるのどうか私には分からないが、結にはよく似合った。
「仮面ライダーみたい。」晴斗が言った。
「え?」
「仮面ライダーの変身するときのベルトみたい。結さんも変身するの?」
「そうだよ、変身~。」結の本物の仮面ライダーみたいなセリフと腕の動きに、みなが笑った。結はバレエばかりやって来たはずなのに、仮面ライダーは見ていたのか。
「お父さんは今日は仕事?」
私は母たちに聞いた。父は70歳を超えたが、コピー機製造会社を今でも経営している。月曜日だから仕事だろう。
「ええ、でももうすぐ帰って来るわ。最近、お父さんはちょっと…。」
母の言葉に、妹たちの笑顔が消えた。
「お父さん、どうかしたの?」私が聞いた。
「心臓の具合が、良くないの。」
「心臓?」
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