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ロミオとジュリエット 55
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父が亡くなり、私は急きょ帰国した。
1か月後に、社葬としてお別れ会を開くことになり父が亡くなり、私は急きょ帰国した。
1か月後に、社葬としてお別れ会を開くことになり、その前に家族だけで葬儀・告別式を行い火葬と決まった。
父の死因は急性心臓死だそうだ。
心室細動と言う、不整脈の中では最も危険な症状があった。
心室細動は、心臓の心室が血液を送り出せなくなった状態(心停止状態)である。
これが起こると、脳や腎臓、肝臓など大切な臓器に血液が運ばれなくなり、死に至る。
心臓が急に止まる突然死の多くは、心室細動を伴っている。
棺の中の父は、いきなり亡くなってしまったので、痩せこけることもなく割としっかりしている。
しかし、血色の良かった皮膚の色が紙のように白かった。
喪主となった母は、覚悟していたのか、意外と淡々と葬儀の準備をしている。
「お兄ちゃん、今回はひとり?」
妹の飛鳥が私に聞いた。
いつもは快活な妹が、さすがに笑みがない。
「ああ、結は今日パリで舞台があるはずだ。」
私と結はいまだ、戸籍上赤の他人で忌引き休暇と言うわけには行かない。
それに、結は今簡単に帰国出来ないはずだ。
結は、政府のアンバサダーの件で終始行動を見張られている。
「そう…。」
飛鳥は頬に手を当て言葉少なに言った。
その手に、ピンク色の水晶の数珠がはまっているのを見て、私は言った。
「飛鳥、家に私の分の数珠はあるかな?」
「きっとお父さんのがあるわよ。お母さんに聞いて。」
母は、キッチンで、パン屋が急に休業することを知らせる貼り紙をマジックで書いていた。
「お母さん、数珠があったら借りたいんだけど。」私は母に聞いた。
「お父さんのが、仏壇の引き出しにあると思うから使うと良いわ。」
母はそう言うと、店に貼り紙を貼りに行った。すぐに、戻って来て今度は冷蔵庫から何やら出して、調理を始めるらしい。
もうすぐ、葬儀場に行くのに、これから料理するのかとも思ったが、私も数珠を出さねばならないので、仏間の方に移動した。
葬儀場に父の棺が運ばれ、家族と親族のみの質素な葬儀が行われた。
僧侶の読経が終わり父の好きだったクラシックが静かに流れる中、棺が開けられ、飾ってあった花を茎からちぎって家族親族で入れた。
母、私、恵と飛鳥、そして恵の夫・智和(ともかず)、子供の晴斗(はると)や、近しい親族が入れたたくさんの花の中に父が埋もれて行く。
「お父さん…!」 今まで、黙りこくっていた妹たちが父の頬をさすって嗚咽を始めた。晴斗も母親の服を掴んで泣いていた。
これが今生の別れかと思った時、母が白い布巾のかかった皿のようなものを持って棺の前に来た。
何か、香ばしいような匂いが漂う。
涙を見せない母が、布巾をめくると唐揚げが山ほど載っていた。
「さっき揚げたばかりで匂いますが、故人が好きだったので入れて良いですか?」
母が葬儀場の職員に聞いた。
「どうぞ。お入れ下さい。」
さっき、母が調理していたのはこれだったのか。
「お父さん、唐揚げ好きだったの?」と涙ぐむ妹に私が耳打ちしたら、
「お父さんの大好きなビールは、缶だから入れてはダメなんだって。だからつまみの唐揚げ。」
「お父さん、これが私があなたに作る最期のお料理ね。どうぞ召し上がれ。」
みな見守る中、父の棺のふたが載せられた。
父を乗せた棺台車と共に、葬儀場係員に従っての私たちは同じ建物内にある火葬場へ移動した。
再び僧侶が経を上げた。最後に顔の部分だけ開いていた棺の扉が、係員により閉められた。
一息置いて、係員が言った。
「お別れです。」
火葬炉の中に動き出した棺を見て、私たちが、「お父さん!」と口々に呼びかけた。
「ちょおっっと待った!」
誰かの声がした。
その声のする方を見て、私は目を疑った。
母も妹たちも驚いている。
「ゆっ結っ!?」
火葬場になんと、喪服姿の結が飛び込んで来た。
これまでも結が、驚くような行動を取ることはあった。けれども今回違うのはマネージャーの楠本氏が、同じく喪服で同行していたことだ。
「結さん、来てくださったのね!」母や妹たちが結を取り囲んだ。うちの女性陣より結は少し背が高い。
「お父さんに、会わせていただけますか?」
「もちろんよ。あなたは家族だもの。」母が言った。
「そうよ、そうよ。」妹たちも言った。
結は両手を大きく回しぎゅううっと、力いっぱい3人を抱きしめた。
「ありがとう、お母さん、恵さん、飛鳥さん・・・。」
結は、時々思いがけず男らしさを見せる時がある。
私は、結のその姿に感謝した。
「この方、確か…!?」
驚いたのは、親族、父や母の兄弟姉妹たちだった。
「ゆうさんだよ。さとるおじさんの、えーと、えーと・・・。」
晴斗(はると)が、親せきに懸命に説明しようとしている。
「バレエの!?」
「みどりさん、この方は!」
「後で、お話いたしますから。」と母は親戚たちを抑えた。
結が来たことで、閉じられた棺が再び開けられた。
「お父さん…っ。」
結は、冷たくなった父に呼びかけた。
「もっといろいろなことを話したかったです。教えていただきたかったです。こんな突然に、お別れなんて…。」
「結さん、お父さんを許してね。最初、お父さんはあなたを歓迎をして差し上げなかったわ。」
「いいえ、お母さん。良くしていただいたことだけ僕は覚えています。」
「結さん…。」
結を含めた家族が、再び炉の前に集まり僧侶が読経した。
皆も合掌する。
結に同行して来た、マネージャーの楠本氏も合掌し焼香をしてくれた。
「諸事情予定がおありの上、遠路申し訳ありません。」
私が頭を下げると、楠本氏は言った。
「この度はお悔やみ申し上げます。道ノ瀬結は”義父(ちち)”の葬儀だからどうしても出席すると、舞台を1回休みました。今日は代役を立てています。道ノ瀬は、ファンの皆さまには必ず埋め合わせしますからと、パリバレエ団を説得しました。」
その言葉の重さを、私はかみしめた。
以前、私は体調不良の結に、「代役を立ててはどうか。」と言ったことがある。
ふだん優しい結が、「口を出すな。」と珍しく私を叱ったことがある。
結が出る演目は、結を見るため世界中からファンが押し寄せている。
結が出なかったら、ファンたちは、航空券とホテル代を棒に振ることになる。
それほどの決断をした結とファンに、私はいたく申し訳なく思った。
そして、火葬炉に点火される時が来た。
炉のボタンは、喪主の母が押した。
「お父さん!」「お父さんっ!」妹たちが呼びかける。
昔はとても大きかった父の姿が、病を得てめっきり小さく弱々しくなっていた。
父は、私を愛するがゆえに、期待を裏切った私を許さなかった。
父を裏切り、サッカー監督として名声を得た私を許し自分の道を行けと言った。
結を私の配偶者として認め、結局私たち二人のために国家権力と戦ってくれたのだ。
"会社の悪い噂を聞いても、決して帰って来てはいけない"、そう父は言った。
あの父が、この世から消えてしまう。
ついに、私にも涙が流れた。
その時、結が私の腰に手を回し、もう片方の手で数珠を掴んだ私の手を握った。
親戚たちは、その姿を見ているだろうが、気にする余裕が私にはなかった。
私たちは、火葬中、控室にて待機することになった。
火葬に1時間ほどかかって、火葬炉の前に家族・親族が再び集められた。 母と飛鳥がまず骨を拾い骨壺に収めた。次に恵と夫・智和(ともかず)が続いた。
私は、親族の注目を浴びながら、結と父の骨を拾った。
火葬場を後にする時、親族として参列していた伯母が私に言った。
伯母は、父の実姉である。
私はこの伯母が苦手である。
伯母は、東郷製作所初代社長、私の祖父の長子で、祖父や父の苦労を誰よりも長く知っている。
東郷製作所を継がなかった私に、昔から良い印象を持っていない。いや、伯母だけではない。父方の親戚は、軒並み東郷製作所の役員だから、私への心象は最悪だ。
「悟さん、お久しぶりね。ずいぶんご立派になられて。」ウェーブのグレーヘアの伯母が口を開いた。
「ご無沙汰しております。」
「弟は、会社の後継者問題でずいぶん心労があったようですね。心臓で突然亡くなるのも無理からぬことかと。」
「心配かけて、私も申し訳なかったと思っています。」
隣りにいる結を、伯母が胡散臭げに見た。
結が強い視線を避けるように、私の後ろに少し隠れた。
問題はその後の精進落としの席で起きた。
料亭座敷で、料理と酒が提供された。
問題の発端は、先ほどの伯母だ。
「ところで、悟さん。そちらの若い方をご紹介くださらなくては。家族親族しかいないはずの葬儀に、お呼びなるのですからどういう間柄でいらっしゃるのかしら。」
結が、困惑して私を見ている。
私は、結を促し、ふたりでその場で立ち上がった。
「紹介が遅れましたが、彼は皆さまご存知のバレエダンサーの道ノ瀬結です。私の伴侶です。」
その場にいた親族がいっせいに、結に視線を注いだ。
「何ですってっ?伴侶?!」伯母が険のある声をあげた。
親族がざわめく。
「皆さま、皆さまどうぞお静かに。今日は故人のお話にしましょう。」母も立ち上がり、そう言ってくれた。
「弟もあの世でさぞや驚いているでしょうね。」伯母が言った。
「父は存命中、結を私の伴侶だと認めています。」
「まあ、なんてこと!」
「心臓が止まりそうだわ。」
そう、父は本当に心臓が止まってしまった。
結と私の問題で、東郷製作所に政治的圧力がかけられた。そうとしか考えられない。
差したる理由もなく、東郷製作所の長年の顧客たちが次々と売買契約解除を通達して来たのだ。
そんなことは、東郷製作所起業以来なかった。
本当に、心労がたたったのかもしれない。
それを知るのは、今の所、私と結と亡き父だけだ。
必死にかばってくれる、母や妹たちも真実を知ったら、どう思うだろうか。
それでも、結と私を温かく迎えてくれるだろうか。
火葬場を後にする時、私はマネージャーの楠本氏に挨拶した。
「本日は葬儀にお越しいただいたのに、みっともない場面をお見せいたしまして。」
「いえ。では、私はこの場で失礼いたします。明日、道ノ瀬結を再び迎えに参ります。」
楠本氏は事務的に言った。
伯母と私のいさかい、そして悲しみに打ちひしがれる私たちを見て、楠本氏は結を私の実家に1泊だけ連れ帰ることを承諾してくれた。
パリからはるばる来たのに、ここで無理に連れ戻すのは結も私の家族も納得すまいと判断したのだろうか。
楠本氏は、結と何やら短い打ち合わせをした後、立ち去った。
骨壺に入った、父の骨を持ち帰り、私たちは家に着いた。
私たちは家族を失った喪失感と葬儀疲れでへとへとだった。
終始、冷静だった母も疲労の濃い顔をしている。いつも賑やかな妹たちは無口だ。結も長旅と時差でどっと疲れてソファーに沈んでいる。
時刻は、夜9時を回っていた。
その時、実家のインタフォーンが鳴った。
こんな遅くに誰だ?
みんなソファーにかけたまま動かないので、私がインタフォーンに出た。
「はい。」
インタフォーン画面に、コートを着た見慣れない男女が数人映っていた。
「東京検察庁です。東郷製作所東京本社と社長宅を今より家宅捜索します。ドアを開けてください。」
検察官たちが、インタフォーン画面に家宅捜索令状を突き付けた。
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