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ロミオとジュリエット 57
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「初めまして、結の父母の道ノ瀬です。」
その日の夜に、結の両親が私の実家に来てくれた。
仕事帰りなので、おふたりともスーツ姿だ。結のお父さんは黒スーツにダークレッドのネクタイ、お母さんはグレーのスーツだ。
結のお母さんは、玄関で出迎えた私の母の手を握って言った。
「お母さま、初めてお会いした気がいたしません。監督と息子を通して、東郷家の皆さまと繋がっていたと思います。
これからは私たちが皆さまのお役に立ちます。」
母は、結のお母さんの襟で光っている、ひまわりの中に天秤を模した”弁護士バッジ”を一目見やり、言った。
「もったいないお言葉です。道ノ瀬さん…。」
「片付けもしていませんが、お上がりいただけますか。」母が申し訳なさそうに言った。
捜索で散々荒らされた部屋に、結のご両親にお入りいただくのは申し訳ないが、そうするしかない。
「どうぞ、お気になさらずにお願いいたします。私共は慣れていますから。」と結のお母さん。
「これは…。」結のお父さんが、棚の上の白い箱に目を止めた。
「亡き夫です…。さすがに骨壺は持って行かなかったですね。」母が言った。
結のお父さんが、乱暴な捜査でずれていたのか骨箱の位置を丁寧に直してくれた。そして、ご夫妻で合掌ししばらく動かなかった。
「パン屋さん業務の所持品も沢山持って行かれたようですね。」
結のお父さんが、自宅エリアから見えるドア向こうのパン店スペースを見た。
「はい。オーブン、発酵機も、レジスターもです。」
「東郷製作所様の顧問弁護士には、ご連絡を取られましたか?」結のお父さんが言った。
「会社には、家宅捜索を受けたことを伝えました。夫の会社は大企業ではないので、顧問弁護士と言うより、相談する弁護士がいる程度です。
会社も家宅捜索を受けていて、会社のことで手いっぱいです。私が私的に経営するパン屋のことまでは、とても、とても・・・。」
「東郷製作所様の件は、その弁護士の方の仕事ですので、タッチできませんが、パン屋さんの押収品は何とかしましょう。不服申し立てをご希望だと存じますが、裁判が終わってから返却では遅すぎるでしょう?」
「はい!」
「押収されたものは、”必要”がなくなれば持ち主に、”還付”されます。つまり、返却されなければならないと法律で定められています。」
「お父さん!僕たち財布も携帯もを持って行かれたんだよ!」結が言った。
「即刻、還付請求を出します。応じない場合は、押収品を返さない処分が不当だと、準抗告を裁判所に行います。不服の申立てです。」
「ありがとうございます!道ノ瀬さん、ご恩は忘れません。」母や妹が言った。
「言葉に尽くしきれないほど、感謝しています。」私も言った。
「これが、私たちの仕事です。」
お父さんが言うと、結が誇らしげに見た。
結のお父さんは、グレーヘアだが、覇気に満ちていて血色のいい顔が若々しい。
自由と正義の理念に裏打ちされた御人格が伺える。
その夜は、結の両親が私の実家で食事をして行った。
「財布は持って行かれたけれども、パン屋で食品を扱うので、食材だけはありますのよ。」母が笑った。
「まあ、お父さん良かったわね。うちは事務所での勤務時間が長いので食事はいつも簡単なんです。」結のお母さんも笑った。
ワイン、生ハムと有機野菜のマリネ、ステーキ、マヨネーズの代わりにチーズとヨーグルトを使うモロッコ風のポテトサラダ、ごはん、セリの味噌汁、苺のアイスクリーム添えが並んだ。
妹の恵が、結の両親にワインを注ぎながら言った。
「でもなんで、家宅捜索なんかされなきゃいけないのですか。お父さんそんな悪いことしたと思えないんですけど。どうなんですか?道ノ瀬先生。」
「東郷製作所様の家宅捜索については、私共は情報も資料も知り得ていないので、申し上げようがございません。すみません。参上したのにこれはお力になれなくて。」
「道ノ瀬さん、謝らないでください。謝っていただくなど申し訳なさすぎます。」私は箸をおいた。
「でも、監督。私共はこちらへ本日遊びに来たのではありません。弁護士として何かお役に立てることはないかと。」
そんなことを、結のお母さんに言わせてしまい、私は、もう食事が喉を通らなかった。
2022年W杯のアンバサダーに就任予定の結に私が手を付けたこと、政府はその抹消に躍起になっている。
LGBTが禁止・有罪になる国があるのに、アンバサダーがLGBTなど絶対に認められないのだ。
噂ではなく、男までいる、権力者にとって全く許されるものではない。国益に反すると言うものだ。
父が心労死して、会社が家宅捜索されたのも、すべてはそれが原因だ。
”結から手を引け”、さもなくば東郷悟、お前を社会的に抹殺するぞ!と国家権力が言っているのである。
すべてを話そう、話せばなるまい。
私は、試合で相手に作戦を読まれないため、いちいち表情に出すことはしない。しかし、今、こめかみに冷たい汗がにじんだ。
私は、結を見た。
「この場で、道ノ瀬さんとうちの家族にお話することがあります。」
「東郷さん…。」結は私の決意を察知したのだろう。
「えっ何の話?」恵が言った。
皆が、私に注目している。
その時、結が言った。
「僕、東郷さんの作ったのどれだかわかるよ、ステーキとこのポテトサラダでしょ。」
「当たり、結さん、見ていなかったのに。すごい!」一緒に調理していた私の母が言った。
結が、また私を見た。
結が目を私に合わせ少し細めた。そして、かすかに顔を横に振らしたように見えた。
”言うな”、か…。
結のご両親が還付請求してくださったので、パン屋の道具は2日で返って来た。
私と結、母と妹たちの携帯と、財布も。異例の速さだろう。
道ノ瀬弁護士の連名の請求に、押収品をあっけなく返してよこした。
結のご両親は不審に思ったたはずである。
でも、結のご両親は一言も尋ねなかった。東郷製作所と私の父、故東郷新司郎社長が、なぜ、家宅捜索されたか?である。
でも、聞かなかった。
弁護士と言う職務上、東郷製作所か、私や私の家族のプライバシーに関することを考え、あえて避けてくれたのかもしれない。
結も、私が真実を話すのを止めた。
LGBTカップルで、奇跡的に双方の両親と上手く行っているのを壊すことは忍びない、結はそう考えて私を止めたのだ。
19歳も下の結に、私は教えられた。
真実でも、言う時を選ばなければならないのは確かだ。
結と結のご両親には感服する。
才知にあふれ、常に他人を思いやり、職務を全うしようとされる。
分野は違うが、なんと尊敬すべき人たちであることか。
私は、道ノ瀬家の人たちと”縁(えにし)”を結んだことを誇りに思う。
パン屋は、結の両親のおかげで再開出来、私と結は、3週間もらった喪中休暇を終え欧州に帰ることになった。
しかし、更なる大問題が起きていた。
冬から流行り出した疫病コロナウィルスが、私たちの周囲に急速に影響が及び始めたのである。
アジア、欧米で患者が激増し、東京五輪延期が決定した。
結と私が予約していた飛行機が欠航になった。
検察が押収して行ったスマホの中に入っていた電子チケットだ。
しかも、私が、勝手にドイツへ帰らないように法規的措置でキャンセルしてあった。
新たに、航空券を買おうにも、回線が込み合っていてパソコンがつながらない。
「こっちもだめだ。」結がiphone片手につぶやいた。
欧州行きの海外航空会社の飛行機が、みるみるうちに運航停止になって行った。
その時、ブラオミュンヘン事務所から私の携帯に電話が来た。
「監督!」
「所属メンバーに検査結果が陽性の選手?」
「アベル選手です。ほかにも検査結果待ちの選手が複数います。グルケ先生の病院も、今は感染症患者であふれていますよ!」
私は、その衝撃に、自分の心臓が不規則に波打つのを感じた。
再びドイツ・ブラオミュンヘンから、かかって来た電話では、接触の多いサッカーは、ゲーム不可能と即座に判断され、試合自体が皆無になったとのことだった。
私が所属するドイツ、周辺国のイタリア、フランス、イギリス、ベルギー、ブラジル、サッカー強豪国のみならず、人類すべてが感染症でやられている。
結はどうだ。
日曜日の今朝、母親の軽バンで送ってもらい、両親のいる実家へ行った結が、戻って来て即座に口を開いた。
「パリオペラ座も感染予防防止のため、閉館になったって。バレエ公演再開は見通し立たないと…。」
「閉館どころか、市中に人がいないんだ。
生活必需品を買うにも、政府発行の許可証が必要で、違反者には高額の罰金が科せられているよ。」
「そのようだな。」
「東京の両親も、事務所へ通勤せず、家で仕事するって。」
「どうする、東郷さん?」
パソコンには、CNNや、BBCなどの欧米のニュースサイトが映り出されている。
重症者、死者多数を出す惨状がどんどん流れて来る。
「しばらく、日本にいるしかない。動くと危ない。致死率の高い感染症だ、命に係わる。」
結は、恐怖に張り付いたような顔をした。
結が眉間にしわを寄せ、ソファに掛けた私に腕を回して来た。
結を、ゆっくりと抱きしめる。
結が不安げに私を見上げた。
私になおもすりつこうと身を寄せて来る。
「僕は、どこまでも東郷さんと一緒だから。離れたくない。」
髪を撫で、頬に触れてやり、額に、唇にそっとキスをした。
「こう言うキスも危ないと言うことか…。」
「え?」
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