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1ー1
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春の光が静かにカーテンの隙間から入り込む。その光が埃を白く、細かく照らしている。
朝が来た。
この部屋の主が重たそうな瞼をゆっくりと持ち上げる。覚醒させるように掌で目を軽くこすり、上半身を持ち上げる。ふわぁと大きなあくびを一つしてベットから降りる。春だが、冬の名残を感じさせるように朝は寒いらしい。
「寒っ…」
小さくそう言い、縮こまる。時計を見てまだ時間があることを確認したのか満足げに微笑んでいる。クローゼットから服を取り出す。白いカットソーとジーンズに着替え、自室を出る。すると、待ってましたとばかりにゴールデンレトリーバーがパタパタと尻尾を振って一直線に男の元へ走る。彼の名前は早瀬 奏。音楽一家に生まれながら音楽を拒絶してここまで過ごした。
「よし、颯。今日はどこに行きたい?いつもの公園か?」
わふ!と賛成したように鳴くのを聞いてにっこりと笑う。棚からリードなど『お散歩セット』なるものを取り出し、颯の赤い首輪に同じ色のリードをつける。そして少し寒いことを考慮して薄い上着を羽織り、外に出る。
慣れた手つきでドアのカギを閉め、鍵を上着の内ポケットに入れる。リードをしっかりと持ち、歩き始める。
いつもの公園というのは最寄りにある『白水公園』だ。この公園は大きな噴水が特徴で夜、カップルでここに来ると結ばれる。といううわさが流れている。その迷信を信じて夜この噴水に来たという彼の友人カップルは2週間後、彼女のほうが浮気をしていることがバレ、見事に別れたらしい。
近所の人々に大変人気なこの公園は朝にもかかわらず、多くの人が訪れていた。といっても多くは朝ウォーキングに来た高齢者なのだが。昼になると家族連れが多く訪れる。
奏は毎朝早く起き、颯の散歩にこの公園を訪れることが日課で今では散歩仲間(やはり高齢者だが)が多くいる。そんな愉快な仲間とあいさつを交わし、公園を一回りして家に帰る。
いつも通り颯からリードを外し、自由にすると真っ先にボウルに近づいて行き、いつも通り餌をねだる。それを確認した奏は、ドッグフードをガラガラとボウルに入れる。
「待て…いい子だ…よしっ」
よほどお腹が減っていたのかそう奏が指示を出すとがつがつと本当に聞こえてくるのではないかというほどの勢いでドッグフードに食らいつく。そんな姿を満足そうに見つめ、腕まくりをする。今から奏自身のご飯を作るらしい。
冷蔵庫からサラダと卵を取り出す。十分に熱したフライパンの上にじゅわっと卵を割り落とす。それを菜箸でぐちゃぐちゃにし、スクランブルエッグを作り、それを皿に移す。トースターにパンを2枚入れ、テーブルにサラダとスクランブルエッグ、インスタントスープの粉とカップを持っていく。カップに粉を入れ、もうすでに沸いている水を入れる。それをかき混ぜる。その一連の流れを終えた後、丁度良くパンが焼きあがる。トースターからパンを取り出し、さらに乗せテーブルに置き、椅子に座る。
「いただきます」
そういい、一人黙々と朝食を食べる。
白を基調としたこの部屋は最低限の生活用品しかなく、まるで隔離されたような部屋だ。
奏と颯しかいない部屋はコトっと食器を置く音とカリカリとドックフードを食べる音くらいしか音がない。そんなほとんど無音の朝食を済ませ、食器をシンクに置く。
今日は予定がないらしく、家事を一通り済ませると、フゥっとひと息つく。
この部屋には“音”がほとんどない。
ラジオもなければテレビもない。音楽プレイヤーだってないし、その音源となるCDさえもない。スマホ、いや、携帯という代物もない。最低限の生活用品の音だけしかなく、毎日響くのは元気な颯の鳴き声と足音だ。それに受け答えする自分の声。奏にはそれで十分だった。音楽を、音を拒絶した彼には。
かといって娯楽をするものがないわけではない。二階のある一室に入ると、図書館のようにたくさんの本がある。奏は読書家である。ジャンルは様々で、SFだったりファンタジーだったり、美容系にもエッセイにも手を出している。他にもいろいろなジャンルに手を出しているがやはり音楽系統には一切手を出していない。最近は“青木陽”という作家にはまっていて、おもにファンタジーを書いている。初出版は数年前だが今や名の知れる有名作家となっている。
今日も又、青木陽の本を読む。青木陽は最近最新作を出版した。それを知っている奏は一通り本を読んだ後街に出て近場の本屋に足を運ぶ。
「いらっしゃいませ」
明るい声でそういう店員さんの声を煩わしく思い、店内のBGMを消し去りたいとそう思っているような顔で早足で最新話を探す。その最新話を発見したとき、顔がゆがんだ。。
その最新話のモデルは、音楽家、だった。
手に取ろうとしてやめる。音楽家…?なぜだか裏切られた気がした。期待なんかはしていないしそもそもあったこともない。それでもただ漠然とお前も音楽を扱うのかとそう思ってしまった。
「くっそ」
小さくそう呟き苦虫を嚙み潰したような顔をして店内から出てい行く。うるさい。何もかも。人の声、車の音、足音、信号の音、漏れ出る音楽。全部全部全部全部!!世界には必要がない!!なにも、いらないんだ!!
小さく息をつめ、その場から逃げるようにして立ち去る。いやだ。早く家に帰りたい。早く颯に会いたい…
走って走って走って…息ができなくなるくらいまで走って怯えで震えた手で玄関扉の鍵を開ける。その音に気付いたのか駆け足でやってくる颯の足音を聞く。
わふ!と元気に飛びかかろうとしたが様子がおかしいことに気が付いたのかクゥーン…と泣き、奏の顔を覗き込む。
「あ…ごめんな。大丈夫、問題ない」
ぎこちない笑顔で頭を撫でると颯は嬉しそうに尻尾を振る。
もちろん、奏の心は真逆だった。
荒れ狂う海を必死に耐えた。
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