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宿る毒 ー松永久秀。松永長頼目線ー
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兄は築城の才がある。
茶の湯にも秀で、立ち居振る舞いも優雅だ。
私は誠実で武勇に優れ、主君にも、厚く信頼されているなどと誰もが言う。
口の悪い御仁などは、
兄は私の七光りで家中の地位を高めたのだ
とさえ言うが、何をか言わんや、兄は何もかも私を超えているのだ。
兄が差配し、私が動く。
私が報告し、兄が判断する。
私は兄の手足でよいのだ。
小児のころのことだ。
兄は戯れに蜘蛛の巣にかかった蝶を外した。
助けたのか、と一瞬思ったが、兄は笑って手の中の、揚羽をぐしゃりと握りつぶした。
黒の揚羽蝶。
俗にいう、黒揚羽。
残虐な、と思う傍ら、ぞくぞくした。
美しいからといって兄は惜しまない。
うつつにあるより壊れるときのほうが美しくさえあると言う。
私もじつは……
そう思うのだ。
***
茶を振る舞う。
長慶様に、兄に。
年は兄、私、そして、長慶様と下がる。
年若いが主は、私らをとても上手に使う。
美しい蝶すら握りつぶす兄を、間違いない、主は愛でている。
その様はまるで、心酔しているかのようにすら見える…
兄がねだるように主を見た。
主は私の点てた茶の大半を器から啜り上げ、兄に口移しで与えた。
兄の喉仏が、こくんと動いた。
えもいわれぬ色香が漂っていた。
十四も年下の君主に仕える日々を、兄はどのように感じているのだろうか。
なぜ自城も持たず、長慶様のもとに寄寓し続けているのだろうか。
茶席での出来事は、兄が長慶様の愛玩を受けているかの錯覚をも、私に起こさせたが、あの兄がたれかのものとなる、所有されるなどとはとうてい思えぬ。
いささか不審に思いつつ、三好家中全景で見ておると、長慶様のご嫡男・義興様や、長慶殿の弟君・三好実休様、十河一存様等、どのかたも、兄をみる目が妖しかった。
みながみな、こぞって兄を得たいと思っているようにみえるのだ。
ただ一人、三好実休様の直下の弟君・安宅冬康様だけは、兄を毛嫌いしているご様子。
そのことを、当の兄自身がいちばん面白がっていた。
冬康様はそのおおもとが、穏健かつ心優しいご性格である。
そんな冬康様からみると、今の長慶様は、
血気に逸って戦で殺戮を繰り返し、ずんずん傲慢になっていっている
ようにしか映らぬのであろうな。
そしてかの兄上君をそのように染め上げたのが私であると。
冬康様はそうお考えなのだろう。
いやー。
それは甘いというものですよね。
この地はもともと扱いにくい。
京の一派、大和の一派、丹波国人一党、一揆勢、旧主・細川を未だ担ぐ者ら、細川分家を担ぐ者ら、四国の勢、足利、さらに天皇家や公家までもいる。
気を抜いたらこちらがやられてしまいます。
実休様も一存様も、そうした現実を見誤ってはおられない。
お二人は、戦働きも多く激しく、戦国の現実をわかっておるからだ。
だが冬康様はそうでもない。
いや実戦経験そのものは、実休様らに引けはとられないのだが、そうした戦国の世の無情を、情や敬意で乗り越えていけるなどと、かなり思っているふしがある。
あるときなど、長慶様に鈴虫を贈ってきた。
曰く、
夏虫でも能く飼えば冬まで生きる。
まして人間はなおさらである。
とな。
無用な殺生の諌めのおつもりだったのでありましょうが…
私は松虫を守り育ててみたことがある。
色々工夫したら三年も生きた。
松虫でも鈴虫でも、飼い方次第でこんなにも長生きはする。
だからこそ人は、
と兄は言葉を切り、少し笑って続けた。
『己の思うところに従って』、自分なりに律して生きればよいのだ。
そう言って兄は、その虫かごに蟷螂を入れたのだった。
美しく鳴く虫たちは、大切に慎重に長らえさせてもらった命を、まさしく瞬時に落としたのだった。
蟷螂はなにを意味する。
まさに戦国の世そのものではないだろうか。
細川を食らって世に出た三好は、所領の主であり続けるために、精一杯鳴き続けねばならない。
そして精一杯鳴いてさえ蟷螂には食われて終わる。
では長慶様。
冬康様は鈴虫に、いったい何を託したのでしょうね……
時期も時期だった。
一存様が病で、実休様が戦で御身罷り、お若い義興様までが長慶様を残して病で先立ってしまわれたその時期に、甘いお考えの冬康様を放置しておくことは、三好一族の生き残りのためにはならぬと、わが兄は考えたのかもしれぬ。
新たなる後継、義継様~一存様の実子にして、長慶様のところにいただいたご養子~は一存様、実休様の、戦ごころも宿しておられます。
三好のもっとも三好らしいところをこそ遺し、後顧の憂いは絶っておくことが肝要かと………………
ご兄弟やご嫡子を毎年のように失って、お心弱っていた長慶様に、兄の囁きはどう忍び入っていったのか。
その五月、唐突に、長慶様は冬康様に死を賜った。
享年三十七。
そしてその夜から、兄は長慶様のお耳に注ぎ込む“毒”を変えた。
たれぞ知らぬ讒言を、お取り上げになられましたな。
冬康様は無辜にございましたぞ………
黒と言うた者が、手のひら返しにいま白と言うておるのに。
それすら気づかぬほどに、長慶様はもう自力の思考力を喪失されていたのである。
そう。
兄は取り立ててくれた三好家を浸蝕し、見事に朽ち果てさせていったのだ。
白蟻が、柱の芯を黙々と食むように、閑々と、三好家を打ち崩していった。
だがなぜだ。
我らは宿り木、宿主を失えば我らも滅びるであろう?
なのになぜ……
!
ふと得心がいってしまった。
自らも滅びるため…だ…………
良いところに気づいたな長頼。
私は探し続けていた。
己を滅ぼし去ってくれる者をな。
な、何ゆえ!
たれも私を滅してくれぬからだよ。
なぜなのだろうな。
こんなにも、私は不忠で身勝手だというのに。
私は言葉を失っている。
こんなにも、愛されて、こんなにも、慕われて、なのに兄者の関心は、自らを滅ぼしてくれる者への希求なのだ。
一筋涙が零れた。
私も兄を愛する一人だ。
どうして兄を討てよう!!
そうか。
気づいてなお、おまえにも私は殺れぬか。
兄はちょっと寂しそうだった。
たれかが憎んで
たれかが怒って
私に終わりをもたらしてはくれまいか
そうなのだ。
これが兄の望み。
なら、揚羽をつぶしたその手の意味も全然変わってくる。
そして茶席のあの表情…
兄は長慶様に殺して欲しかったのだ。
***
今はもう長慶様もこの世にはおられぬ。
私も兄も知っている。
長慶様を継げるのは、義興様だけであった。
義興様なら長慶様以上の三好を育てることも出来たであろう。
だが義興様は早世され、義継様ではさしたる隆盛もみられまい。
尾張の織田が台頭してきておるようだ。
どのような武将だろうか。
唇の端でわらう。
ああ。
兄は。
いかなときも端正である…
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