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小さな違和感
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「まいったな……」
『どうしよう?』
途方に暮れた気分で盛大な溜め息を零す。隣に並んで歩くリュカはどういうわけか自分よりずっと能天気な顔をしていた。それが余計に腹立たしい。
『お前な、少しは自分で考えろってんだよ。どうするつもりだ』
『うーん、』
緩くウェーブした肩までの金髪を指先でいじり回しながら、リュカは唇を尖らせて考え込んでいる。キャリーバックのガラガラした音がついて回ることさえ鬱陶しく思えてきた。
(厄介なもん押し付けやがって、あの七三眼鏡……)
内心ひどくささくれ立ちながら八つ当たりする。
編集部まで迎えに行くまではよかった。リュカは言いつけどおり編集部の片隅で大人しく待っていたからだ。そのあとで警察まで付き合い、さらに大使館へ案内させられ、パスポートやらカードの再発行やらの手続きを一から十まで教えるはめになったのも、まあいい。復路の航空券はEチケットだったため、最悪戻ってこなくてもパスポートがあれば再発行は容易だ。帰国日までもあと二週間ほど猶予がある。だが。
これで万事問題解決とはいかなかった。
『パスポートもクレジットカードもねぇんじゃ、どこのホテルにも泊まれねぇぞ』
昨今ではどのホテルでも外国人旅行客に身分証明できるものの提示を義務づけている。そんなことは少し考えれば当然だと気づくのだが、実のところ自分も今しがた思い出したのだ。二人で回ったホテルを五軒とも断られてから、ようやく。
せめて宿泊料金の全てを前払いした上で、身分を保証できる人間――つまり自分――と泊まることが条件だった。だがそもそもリュカはカードすら紛失しているのだから、全額前払いなど無理難題としかいいようがない。
(だいたいなんで俺がこいつと同じ部屋に泊まらなきゃなんねぇんだよ)
冗談も程ほどにして欲しい。洸季となら喜んで泊まるが、それ以外の男となんてまっぴらごめんだ。
あれだけ初心な洸季が妙な誤解をするとは思えないが、万が一ということもありえる。そうなったら、誰がどう責任を取ってくれるのか。
仕方なく、最後の頼みとして斉藤に連絡をしたのだが……。
『自分はフランス語なんて分かりませんし、申し訳ありませんが無理ですー』
斉藤はそう繰り返すだけで、こちらがどれだけ頼み込んでも決して頷かなかった。低姿勢のわりに、思わず勝ち割りたくなるような頑固さだ。
結局どうにもならず、二人してふらふらと駅前をさ迷い歩いている始末――八方塞がりとはまさにこのことだ。
『おい、』
ちらりと隣に目を向け、反射的に息が止まる。リュカの顔が驚くほど至近距離にあったのだ。
『っ、なんだよ、近ぇぞ』
仰け反りながら抗議するが、リュカはなにも言わずじっとこちらを見つめている。澄んだ緑色の瞳は瞳孔が完全に開き切り、およそ感情と思しきものがなにもない。これは、まるで。
人形の眼だ。
こちらの内奥を見透かすような視線に皮膚が粟立ち、とっさに目を逸らした。
訳もなく心臓が早鐘を打っている。今の眼はなんだ?
日中に読んだリュカの小説を思い出す。あれに出てきたロミリオという青年のイメージが、そっくりそのままリュカと重なって見えた。
(馬鹿馬鹿しい……あれはただのフィクションだぞ)
現実にあんな眼を持つ人間がいてたまるかと鼻先で笑おうとしたが、どうにも上手くいかなかった。
『ねぇタツミ』
しなだれかかるような仕草で腕を取られ、顔をしかめて恐る恐る目を向ける。リュカは先ほどとはまったく違う、いつも通り能天気な微笑を浮かべていた。疲労のせいで幻覚を見たのか。
(だよな……)
きっと気のせいに違いないと胸を撫で下ろした途端、
『パスポートができるまで、タツミの家に泊めてよ』
リュカはあっけらかんととんでもないことを言い出す。
『はあっ!?』
『だって他にどうしようもないでしょ?』
邪気のない微笑みを浮かべて小首を傾げるリュカに返す言葉もなかった。
確かに、他にどうしようもない。それは認める。しかし、だからと言って。
(うちに連れて帰れってか? 冗談も休み休み言えってんだ)
内心毒づいてきつい視線を向けた。
『駄目だ』
『どうして?』
『家には家族がいんだよ』
心底不思議そうなリュカに端的な答えを返す。自分ひとりなら一週間程度泊めてやれなくもなかっただろう。だが今は一人ではない。家には洸季も真志もいるのだ。
あの二人は時折、過剰なほど人見知りをする。言葉も通じないようなリュカを連れて帰ったら、厄介なことになるのは目に見えていた。
『いいじゃん。だったら紹介してよ』
だが、リュカはこちらの事情などまったく知る好もない。外国人特有の無遠慮さを丸出しにしてこちらを見上げてくる。
『まさかモーテルに泊まれなんて言わないよね? それとも、いっそのこと野宿しろって言うつもりなの?』
『いや、さすがにそこまでは言わねぇけどよ……』
気迫に満ちた微笑みに気圧され、唇の端を歪めた。
本当にこいつは。
(厄介どころの騒ぎじゃねぇな)
舌打ちを零し、しぶしぶ携帯を取り出す。
泊めるにしても、まず二人の意見を問わなければならない。
『……もしもし』
「おう、真志か?」
緊張したような声に自然と口元が緩んだ。もしかすると、電話に出るのは初めてだったのかもしれない。
『父ちゃん? どうしたの?』
「ああ、ちょっとな。……しばらく人を泊めてぇんだけどよ。お前、平気か?」
『え?』
電話の向こうで真志が首を傾げる気配がした。さすがに今の言葉だけでは説明不足だったと反省し、できるだけ丁寧に事の次第を話して聞かせる。
「っつーわけなんだ。言葉も通じねぇけど、一週間前後なら泊めても平気か?」
『……』
「もちろん、お前が嫌なら断る。心配すんな」
電話の向こうで黙ってしまった真志に慌てて言い足した。
『おれは別に大丈夫だけど、』
『――オレも平気だよ、巽さん』
途中で洸季と代わったのだろう。落ち着いた声が聞こえた。
「本当に大丈夫か?」
『うん。オレのことは全然気にしなくていいよ。ここは巽さんと真志君の家なんだから、二人で決めて?』
朗らかな口調で告げられた言葉に、今度はこっちが黙り込む番だ。
どうして今さら、そんな他人行儀なことを言うのだろう。あの家は洸季の家でもあるはずなのに。
そう思っているのは、自分だけなのか。未だに。
軽いショックを受けつつ、これから連れて帰ると手短に告げて通話を終える。
ふと横を見れば、リュカは珍しく遠慮がちな表情でこちらを窺っていた。なんだかんだ言っても不安なのだろう。
いくら天才的な作家であっても、所詮はまだ十九の子供だ。旅先で無一文どころか宿無しにまでなったことを考えれば、もっと取り乱していてもおかしくなかった。
『……パスポートができるまでだぞ』
努めて能天気を装っていたらしいリュカに苦笑を向けると、分かりやすく瞳が輝いた。宝玉じみたその色は何度見ても見慣れず、ただ綺麗だと素直に思う。
『ありがとう! タツミなら、きっと助けてくれるって思ってた』
『……しょうがなくだからな』
大げさに抱きついてこられるのは迷惑だが、相手が迷子の子供だと思えばそう無碍にすることもない。
上機嫌で調子のいい台詞を吐くリュカに嘆息しつつ、適当に背中を叩いてやった。
『早くタツミの家族に会いたいよ。ねぇ、ヒロキってどんな奴?』
『あ? んなもん、会えば分かんだろ。ほら、さっさと行くぞ』
いつまでも鬱陶しい青年を強引に引き剥がして歩き始める。慌てたように追いかけてくるガラガラした音を聞きながら、ふと疑問に思った。
(つーか、なんで洸季のこと知ってんだ?)
自分が話したのだろうか。いつ? どこで? どうして?
まったく記憶にないが、リュカが名前を知っているということは話したのだろう。なにげない会話の中で、無意識に。あるいは電話口で呼んだ名前を聞きとめただけかもしれない。
小さな違和感を無理やり頭から追い出し、タクシー乗り場へと急いだ。
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