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「どーだ?似合うか?」
有坂母の「入っていいですよ」の声で障子を開けた有坂に、開口一番言ってやる。
一体二人きりで何が始まるのかと思えば、ただの着替えだった。
従業員用の作務衣の服合わせと、着方を教えてもらっていた。
身につけたのは有坂母いわく臙脂といって赤より渋めの色の作務衣と、腰につけた前掛けは若草色。
合わせには花の刺繍が施されている。
一般的な男性従業員は濃紺色の作務衣らしいが、俺の金色の髪にはこの色が映えると言って選んでくれた。
基本旅館の中はこの格好で出歩くようにとのことでさっそく服合わせしてくれたわけだが、別に男同士だし有坂が部屋にいても何も問題なかったと思うんだが。
なんて思いつつも着てみればテンションは上がって、有坂に一周回って見せてやる。
どうせ「そうか」とか仏頂面で返ってくるんだろーなと思っていたら、思いの外強い視線が落ちてきた。
「――可愛い。お前は何を着ても似合う」
「…あ、そー?」
何を着てもって適当かよ。
有坂から可愛いって単語が出たのも驚きだが、どうせ褒めるなら可愛いじゃなくて格好いいって言え。
「あらあら、桐吾さん。そんな粗雑に纏めた言い方ではいくら殿方とはいえお喜びになりませんよ?」
「…む、そうか」
俺のビミョーな顔に気付いたのか、有坂の母親がツッコミを入れる。
さすが老舗旅館の女将と合って、人の表情はよく見てる。
「それにしてもこの古い旅館に新しい風が入り込んできたような気持ちです。まるで異文化交流でもしているようで、今年の夏は益男さんのおかげでとても賑やかになりそうですね」
そう言ってニコニコと笑顔を向けてくれる有坂母は、めちゃくちゃ優しい人だった。
顔は似てないが、有坂のお人好しすぎる優しさはきっと母親似なんだろう。
そんなわけで一先ず今日のところは館内の施設や旅館の周りを見て覚える事がメインで、仕事は明日からという良心的な提案をされた。
まずは有坂に俺が泊まる部屋を案内すると言われたが、別に俺はわざわざ部屋なんか用意してくれなくてもいいんだが。
「俺有坂と同じ部屋でいいぞ。部屋空いてないんじゃないのか?」
後ろにくっついて歩きながら、クイと有坂のシャツを引っ張る。
一緒の部屋のほうが夜話したり枕投げしたり出来るし、絶対に楽しいと思うんだが。
「…っ馬鹿を言うな。さすがに客室に空きはないが、従業員用の個室を用意している」
が、珍しくちょっと戸惑った有坂にピシャリと言われてしまえばしょうがない。
従業員用の個室は旅館脇の長屋にあって、住み込みで働く人のための設備も完備されているらしい。
こじんまりとしているが中は和室できっちりと整理されていて、畳特有の独特な匂いがする。
有坂もすぐに着替えをしてくるというので、通された部屋で荷物を整理しながら待つことにした。
カラリと窓を開けるとほんの少し湿った風が髪を揺らす。
川の流れる音が聞こえるから、きっと近くにあるんだろう。
午前中に出発したはずだが既に空はうっすらオレンジ色になっていて、もう一日が終わりかけていることに気付く。
有坂といる時間は本当にあっという間で、一日が24時間じゃ全然足りない。
きっとこの夏休みもあっという間に終わっちゃうのかなと思えば、まだ始まったばかりだが一日一日を大切に過ごそうと思う。
「――おい。どうしてこの10分間でここまで部屋が汚くなる」
「えっ、マジ」
戻ってきた有坂が俺の部屋を見て、開口一番に言ってのける。
俺の中では完璧な荷物整理をしているつもりだったんだけど。
それより有坂も着替えてきたらしく、その姿を目に入れておおっと声をあげる。
濃紺の作務衣に黒の前掛け。
背が高い上に雰囲気も厳格な有坂に、和装はめちゃくちゃ似合う。
「おー!カッコイイ。なんかそういう所のプロっぽい!」
「そうか」
実際実家でずっと手伝いをしているからプロなんだろうが、有坂はピクリとも表情を変えずに俺の部屋を片し始める。
なんかもう若干手慣れてるんだが。
それから有坂に連れられて、施設の案内をしてもらう。
旅館の中は古めかしくも清潔感溢れてて、随所にある箱庭もしっかりと手入れされていた。
「坊が異国のベッピンさん連れて帰ってきたって皆騒いでるぞ」
「板前、坊はもうやめてください」
「おうおう、桐吾坊も言うようになったじゃねーか。当主になるまで坊は坊だけどな」
そう言って有坂の背をバシッと叩いて豪快に笑う板前さん。
「あらやだ、皆来てー。桐吾坊ちゃまがとんでもないイケメン連れてきたわよ」
「やだー、ちょっと目の保養だわ。お饅頭食べるー?」
「ちょっと、そのお饅頭私の分じゃないの」
賑やかに集まってワイワイと囃し立てる着物を着た仲居さん。
「若旦那、お帰りなさいまし。…っと、とんでもないベッピンさんっすね。は、ハロー?」
「あ、日本人なんでお気遣いなく」
俺の言葉に微妙な雰囲気が流れたが、気立ての良さそうな番頭さん。
他にも裏方の男性従業員やらバスの運転手さん、配達に来てた酒屋さんまで、有坂は隈なく俺を紹介して回ってくれた。
みんな有坂が小さい頃から働いていて親感覚らしく、めちゃくちゃアットホームな雰囲気だ。
つーか有坂って旅館の跡取り息子だったのか。
そういや前に兄弟構成を聞いた時に長男だって言ってたっけ。
館内を一通り見終わってから、二人で草履を履いて旅館の外へ出る。
空はもうすっかり日が落ちて暗くなっていたが、等間隔に置かれた行灯や立ち並ぶ店の明かりで街並みは明るい。
さすが観光地といったところだ。
「何か不満はなかったか?賑やかな従業員ですまない」
「いーや?みんな俺のこと歓迎してくれて楽しかったぞ。有坂が坊ちゃん呼びされてるのも面白かったし」
「…高校生にもなってその呼び方はやめてほしいんだがな」
そう言って小さく息を吐く有坂に、クスッと笑いが漏れる。
しっかりしてる奴だが、こういうところを見ると有坂もまだまだ子供だなーなんて新たな一面が見れて楽しい。
「明日から忙しくなると思うが、無理はせず何かあったらすぐに言ってくれ」
「おー、ありがとな。でも有坂がいてくれれば大丈夫」
そう言ってニッと有坂に笑いかける。
有坂母も優しかったし従業員も良い人そうだったし、何より環境は文化財だ。
いくら仕事が忙しかろうが、友達と一緒にこんな場所で働くとか絶対楽しいに決まってる。
そんな思いから何気なく言った言葉だったが、不意に有坂が俺の手を引いた。
狭く古民家が並び合う路地裏に引き込まれて、何かと思ったらそのまま体を引き寄せられた。
ふわりと有坂の匂いが鼻を掠めて、ドキリと心臓が跳ねる。
有坂に抱き締められたのは、二回目だ。
薄い布越しに相手の心音が聞こえた気がして、慌てて俺はその体を押した。
「――お、おい。いきなり何してんだよ」
「結城に触れたくなった」
「触れたくなったって…」
「ダメか?」
真っ直ぐに見下ろされる視線に驚く。
有坂は冗談を言わないし、きっと本気で言ってるんだろう。
そりゃ触っていいぞと言ったのは俺だが、まさかまたしても抱き締められるとは思わなかった。
しかも俺達は友人であって、抱き締めるってのはやっぱりおかしくないか。
この間まで愛されキャラってことで納得していたはずだが、再び俺の中で疑問が浮上する。
何も言えず固まっていると、有坂はふっとどこか表情を和らげた。
「…すまない。また驚かせてしまったな。旅館に戻ろう」
「お…おう」
そう言って特に気にした様子もなく歩き始めたが、気にしたのはむしろ俺の方だ。
俺の中で小さく燻り始めた違和感は、旅館に着いてもまだ消えなかった。
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