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「益男さん、今年の夏は本当に助かりました。また是非ともいらして下さいね」
「あ…はい。こちらこそお世話になりました」
荷物をまとめて、有坂母に挨拶する。
旅館の皆も忙しい仕事の合間を縫って見送りに来てくれて、仲居さんや板前さん、番頭さんに内務の従業員さんまでみんなにお礼と別れの挨拶をする。
「マスにぃ帰っちゃうの?」
「帰っちゃうのー?」
でたな有坂キッズ。
最後まで俺に何かしてくるんじゃねーかとちょっと身構えたが、二人して俺の腰にひっついてきた。
「帰るのやだぁー」
「やだぁー、鬼ごっこもっとしたい」
びえーっと有坂弟妹に泣かれた。
鬼ごっこじゃなく本気でブチ切れて追いかけ回してたんだが、どうやら遊んでやったことになってるらしい。
そんな風に別れを惜しまれたら、さすがの俺もじーんとくる。
大人になったら絶対友達になろうなと心の中で思う。
大人になったらな。
「ほら、結城が困っているだろう。そろそろ離してやれ」
不意に後ろから有坂の声が聞こえて、ドキリと心臓が跳ねる。
「桐吾にぃも帰っちゃうのやだぁー」
「やだぁー」
後ろを振り向けずにいると、ぽんと頭に手のひらが落ちてきた。
すぐに有坂の手だと分かって、心がじわりと熱くなる。
良かった。
まだ俺に触ってくれる。
もし無視されたらどうしようかと思った。
有坂がそんな奴じゃないことは分かってるけど、それでも顔を向けられない。
昨日の夜はほとんどお互い会話しないまま帰ってきた。
いつもどおり有坂は俺を部屋まで送ってくれたけど、ただ「おやすみ」と言われただけだった。
「結城、駅までバスで送ってくれるそうだ。忘れ物はないか」
「あ…うん。大丈夫」
そう返したら、有坂が俺のキャリーバッグをバスへと運んでいく。
重いものを持つのはここの仕事で慣れたけど、それでも構わず持っていってくれる。
有坂は変わらずに優しい。
「益男さんのお母様にもよろしくお伝え下さいね。日本の文化が好きな方だと聞いていましたし、ぜひともご家族でも遊びにいらしてください」
ニコニコと笑顔で送ってくれる有坂母の顔も見納めだ。
先に有坂がバスに乗り込んだのを確認して、俺もペコリと頭を下げた。
「それじゃあ…」
「ふふ、ちゃんと桐吾さんとの誤解は解けたようですね」
「――えっ?」
唐突な有坂母の言葉に驚く。
「き…気付いてたんですか」
「桐吾さんを見る益男さんの目がうちのチビっ子達とそっくりだったので。ひょっとしたらと思っていただけですよ」
さすがは老舗旅館の女将。
よく人の顔を見ている…と思ったが、俺はあんな有坂弟妹みたいなはしゃぎ方で有坂に接してないんだが。
もうちょっと大人だったはずだ。たぶん。
「男の子同士ですから、色々と思うこともあるでしょう。全く桐吾さんは本当に無愛想で言葉も足りない人ですから、誤解が生じてしまったのも仕方ないことなのかもしれませんが…」
「ち、違います。有坂は悪くないんです。悪いのは俺で――」
慌てて口を挟んだら、有坂母がキョトンと目を丸くする。
それから吹き出すように笑われた。
怒られることはあっても笑われるとは思ってなかったから、こっちが面食らう。
「お二方の問題ですからこれ以上は口を慎みますね。ですが桐吾さんは良くも悪くもとても真っ直ぐなお方。どうかその気持ちだけは分かってやってくださいね」
「…はい」
真っ直ぐに有坂母の目を見て頷くと、優しく目を細められる。
その目がどこか有坂に似ていて、少しドキリとしてしまった。
「ああ、もちろん益男さんの気が変わりましたらいつでも花嫁修業しに来てくださって構いませんよ。その時は次期女将にするつもりで厳しく指導させていただきますね」
「ええっ、あれより厳しいんすかっ!?」
「まあ、何を仰ってるのですか。まだ全然厳しくしておりませんよ」
嘘だろおい。
ニコニコと笑いながら0から100まで口出す姿は夢にうなされるレベルなんだが。
それから俺もバスに乗り込む。
窓から手を振って別れると、旅館が少しずつ遠のいていく。
本当にあっという間で、楽しいことも嬉しいことも…苦しいことも。
色々と経験した思い出深い夏休みだった。
運転手さんが気さくな人でたくさん話しかけてくれて、会話をしていたらあっという間に駅まで着いた。
お礼を言って荷物を下ろすと、有坂と二人きりになる。
本当だったら帰りだって有坂と寄り道したいところはいっぱいある。
昨日の俺達のままだったらきっと今頃手を繋いで、興奮するままに俺は有坂に話し掛けていた。
たくさん夏休みの思い出を話して、有坂の返事はきっと「そうか」なんだろうけどそれでも楽しい気持ちだったはずだ。
「結城、こっちだ」
「…あ、うん」
有坂が俺の荷物を引いて電車へと誘導してくれる。
その後ろ姿を見つめながら、なにか会話の緒がないかと探す。
なにか、なにか話をしなければ。
なんでもいいから何か話をしたら、また元通りになれるかもしれない。
何事もなかったような友達に戻れるかもしれない。
もしも今ここで何も話さずこのままの関係で帰ってしまったら、新学期に有坂と余計に話せなくなってしまいそうだ。
新学期までは残り数日だけど、その数日の間に気持ちが離れていってしまいそうで怖い。
だけど何を話したらいいのか分からない。
悩んでいるうちに電車を降りて、新幹線へと乗り込む。
ここからは少し長い時間が取れる。
だけどやっぱり、何も話す言葉が浮かんでこない。
有坂を前にしたらいつだって話したいことが溢れていっぱいだったのに、どうして何も思いつかないんだ。
「すみません」
不意に有坂が声を出す。
ハッと顔を上げたら、有坂が車内販売のお姉さんを呼び止めていた。
何か買うのかと思ったら、俺を見る。
「何かいるか」
「えっ?別にないけど…」
「そうか」
そう言うと有坂は特に何を買うでもなく車内販売のお姉さんになんでもないと謝った。
なんなんだ一体。
買わねーのかよ。
不思議に思っていたら、しばらくして今度は鞄から袋を取り出す。
何かと思ったら手渡された。
「え、なに」
「行きに話していただろう」
「…えっ?」
そう言って袋の中を見ると、俺の好きな駄菓子がたくさん入っていた。
そういえば行きに俺の好きなおやつ10選の話をしたが、よく覚えてたな。
「食っていいのか?」
「ああ。そのつもりで買っておいた」
「…あ、ありがとう」
俺の話をちゃんと聞いてくれたことを知って、じわりと胸が熱くなる。
もしかして今車内販売のお姉さんに声かけたのも、俺が行きに弁当買ってはしゃいでたからか?
というか駄菓子屋行ったなら俺も一緒に行きたかったんだが。
「い、いつ買いにいったんだよ」
「かき氷屋に傘を返しに行った時だ」
「あー…」
そういえば傘借りたな。
律儀にちゃんと返しに行ったのか。
さすがは有坂。
「えっと…有坂はどれ食う?」
「俺はいらない」
「えっ、でもこれ美味いぞ。当たり付きだし」
そう言うと有坂がじっと俺を見る。
なんだか目があったのがめちゃくちゃ久しぶりな気がしてしまう。
ドキドキしながら見つめ合ってると、有坂が再び口を開いた。
「分かった。貰う」
「うん」
なんだかぎこちない会話だったが、それでも有坂と話せたことでちょっとだけホッとする。
すぐにまた無言になってしまったが、しばらくして有坂がぽつりと口を開いた。
「俺は和菓子より洋菓子の方が好きなんだ」
「――えっ、そうなのか?」
「ああ」
意外すぎんだろ。
梅昆布茶飲みながら羊羹食ってそうなイメージだ。
唐突な話題はそれきり広がらず終わってしまったが、それからしばらくして有坂がまたぽつりと自分のことを話す。
結局それも話が広がらず終わってしまうが、それから少ししたらまたぽつりと有坂が話す。
決して盛り上がるような会話を振ってくれるわけじゃない。
だけど有坂が自分から話をしてくれるのが嬉しくて、俺は次の言葉が楽しみで仕方なかった。
行きと違って俺が新幹線で寝ることは一度もなかった。
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