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ジーッと蝉が鳴く。
毎日うだるような暑さだ。
今日も柱の陰からじっと有坂の仕事姿を見つめる。
昨日はモヤモヤして全然眠れなかった。
それでも一日経って少し落ち着けば、確かに俺に出会う前の有坂を責めてもどうしようもない事は分かる。
中学の時って言ってたから、もう二年以上前の話だ。
考えてみれば有坂は最初からキスするのだって手馴れてたし、同い年なのに戸惑ってばっかの俺に比べれば到底初めてとは思えないくらい色々知ってた。
有坂はさりげない人気者だし、この俺が好きになったくらいだからモテないとも思わない。
元カノがいたっておかしくないのは分かる。
一晩経ったら頭では理解したけど、それでも嫌な気持ちは拭えない。
仕方ないって必死に思ってみたけど、どうしても嫌で堪らない。
俺以外を好きだって言って大切にしてたことを考えると、もう有坂に裏切られたような気持ちになる。
あの後有坂からは電話もメッセも来たけど、頭に血が昇って何を話したらいいのか、何を返したらいいのかも分からなかった。
だから出てないし、返事も返してない。
今だってもし話したとしても何を言えばいいのか分からない。
だけどそれでも有坂が好きだから、見てないと余計に不安になる。
「む。花澤、大丈夫か」
「…っあ、桐吾さん、ありがとうございます」
大荷物を持ってヨタヨタ歩いていた田舎女を有坂が手伝う姿を目撃して、収まっていた気持ちに一気に火が付く。
なんでそんなタイミング良く通りかかるんだ。
きっとそこにいたのが田舎女じゃなくても有坂は手伝っただろうけど、昨日の話を聞いてしまったらもう冷静には見られない。
人畜無害なモブ女だと思ってたのに、完全に俺の敵だ。
再び頭が沸騰するような熱が込み上げてくる。
やっぱり無理だ。
こんなの耐えられないし、見ていられない。
それでも結局動けず二人の後ろ姿を見ていたら、不意に後ろからガシッと肩を掴まれた。
力強いその手に心臓がビクッとして肩が跳ねる。
恐る恐る振り向けば、そこには熊――いや、有坂父がいた。
「結城益男か。何をしている」
ズシンとくるような低い声。
相変わらず有坂に似て不機嫌そうな無表情だ。
いや、有坂が似てるのか。
「…あ、えっと」
しかも威圧感は有坂の数倍あって、心臓が縮こまってしまう。
おまけに何をしていると言われても有坂の行動を見守ってたとしか言えない。
戸惑っていると、有坂父はふと廊下の先に視線を向ける。
仲睦まじく有坂と田舎女が歩いている姿に気付いたのか、僅かに目を細めた。
「…全く女将も人が悪いな」
「えっ?」
ぽつりと言った言葉が聞き取れずに瞬きをすると、有坂父は俺に目を止める。
なんだか心を見透かされそうな鋭い視線に、ビクビクしてしまう。
「結城益男」
「は!?ふぁいっ」
ビビり過ぎて反射的に噛んでしまった。
つーかなんで有坂といい有坂父といい、ファーストコンタクトは人の名前をフルネームで呼ぶんだ。
そんなに呼びやすい名前なのか。
「茶を淹れてくれないか」
「――は?」
「お前は桐吾の嫁なんだろう」
言葉少なにそう言って、有坂父はくるりと背を向けた。
唖然としながら目で追っていると、すぐ近くの一室に入って行く。
いや嫁って俺は男だけど。
とは思ったが、有坂の恋人と認められていたことにちょっと嬉しくなる。
茶の淹れ方は女将さんにみっちり叩き込まれているし、とりあえず用意してさっき有坂父が入って行った一室へと急ぐ。
しかし嫁って言われたけど、まさか俺の美貌のせいで女と間違えられてる事はないよな。
なんて一瞬思ったが、さすがにこの名前は女の名前じゃない。
それにいくら俺が美しいって言ったって、女に間違われるほど華奢な体格でも胸があるわけでもないし、背だって高校生男子の平均はある。
「…し、失礼します」
襖の前でそう言うと「入れ」と無機質な声が聞こえてきた。
ドキドキしながら扉を開けると、座卓に座って何か書き仕事をしている有坂父がいた。
俺が入ってきた事が分かると、振り向いて中央の机を指し示す。
とりあえず言われた通りに中に入って茶を置く。
一体何を言われるんだ。
やっぱり男同士ってことを怒られるのか。
それとも何か『有坂家の嫁になるための試練』とかそういう難題を押し付けられるのか。
「…ふむ、美しい所作だな。女将に仕込まれたか」
「えっ?」
不意に言われた言葉にキョトンとする。
和室に入る時の立ち振る舞いは、襖の開け閉めから礼の仕方、縁を歩いてはいけない事や歩幅までその他色々事細かに女将さんに口煩く教えられている。
客相手じゃないが自然と身体が動いてそれをしていたが、まさか褒められるとは。
よく見てるなとちょっと驚いたけど、それ以上何か言われるでもなくすぐに無言になる。
いや茶を持って来いと言われただけだから、別におかしいことじゃないけど。
有坂とそっくりだし、間違いなく口下手タイプだ。
とりあえず緊迫感に殺されそうだから、何もないならさっさと退場することにする。
ささっと一礼をして部屋を出ようとしたが、ズッと一口茶を飲んだ有坂父が口を開いた。
「旅館の仕事は人の出入りが多い」
「…は?」
唐突な会話のフリにどんな反応をしたらいいのか分からず、ぽかんとしてしまう。
いきなり何の話だ。
「客だけの話ではない。従業員も含め、人の数だけ人生がある。そこにどんな境遇があろうと、基本は分け隔ての無い接し方を経営者は求められる」
「え…えっと?」
全く意味が分からない。
一体それが俺になんの関係があるんだ。
唖然としていたが、有坂父はふと俺の目を見つめる。
じっと黒い瞳に見つめられて、なんだか有坂の陰が重なった。
やっぱり有坂に似ている。
怖いけど睨んでいるわけじゃない。
その人を分かろうとしているような、俺の事を読み取ろうとしているような、そんな視線。
「今のうちに人間関係を学んでおけと、女将はそう言っているのだろう」
本当にたったそれだけ言われて、話は終わった。
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