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旅館内に有坂の姿は見当たらず、従業員に聞いたら午後は仕事に来ていないと言っていた。
そういえば昼に俺を探しに来てくれた時に、午後は仕事に出なくていいって言ってたっけ。
ということは今は実家にいるってことだ。
仕事がない時は大体受験勉強してるだろうし、それなら電話だってでれるはずだ。
でも出てくれない。
これでいよいよ無視されてる可能性が高くなってきた。
風呂中な事も考えたけど、さすがに最初に掛けてからもう1時間は経ってる。
少し迷ったけど、実家の方に行ってみることにした。
この時間いつも女将さんと有坂父は旅館の方にいるし、実家にいるのはキッズと有坂だけのはずだ。
有坂の実家にはめったに行かない。
去年大雨が降ってきた時に急いで縁側に駆け込んだのと、熱を出したときに面倒見てもらって以来だ。
賑やかな旅館から外に出て裏手に回ると、垣根を潜り抜けて有坂の実家の方へ歩く。
旅館から少し離れると真っ暗で、なんだか肝試ししてるような気持ちになってくる。
夏の夜の虫がリリリリとそこら中で鳴いていて、時折ぴょんと何かが跳ねて来たり、クモの巣に引っかかったりしてビビる。
家の明かりを頼りになんとか裏口から庭へ回り込むと、縁側に煌々とした明かりが漏れているのが見えた。
近づくと障子は閉まっていたが、少し半開きになったそこから声が聞こえてくる。
「――桐吾さん、自分が何を言っているのか分かっているのですか」
「はい」
「…全くあなたがこんなに馬鹿な子だとは――」
女将さんと有坂の声だ。
隙間から中を覗いてみると有坂父もいて、旅館で見ないと思ったら二人とも実家の方にいたのか。
有坂父と女将さんが床の間の前に隣同士で座っていて、その正面に有坂が正座で座っている。
よく見ると女将さんからはいつもの笑顔は消えているし、有坂もいつもの7割増しくらい険しい顔をしている。
なんだか説教されているような雰囲気を感じて、ドキリとしてしまう。
「あちらの大学に通いたい目的が色恋などと…貴方がそんな事を言いだす日がくるなんて夢にも思いませんでしたよ」
「すみません」
「こちらを離れることで中学時代の気持ちを切り替えられるのならばと断腸の思いで送り出したのに、まさかそんな腑抜けた子になって帰ってくるとは…正直呆れて物も言えません」
「すみません」
聞こえてきた言葉にハッとする。
もしかして大学の話をしてるのか。
俺には繁忙期を抜けたら話をするって言ってたのに、なんでこんなに早く話をする気になったんだ。
「そんな理由で大学を決めるなどありえません。色恋に惑わされるような人間が、旅館の後継ぎなど出来るわけがないでしょう」
「仕事となれば公私混同はしません。…ですが、勉強はどちらの環境でも出来るはずです」
「そういう問題ではありませんよ。第一桐吾さんも行きたい大学がこちらにあったでしょう」
「…はい。ですが事情が変わりました」
「ですがも何もありません。そんな我儘は通用しませんよ」
女将さんのぴしゃりとした声が響く。
有坂父は何も言わないままだが、女将さんは有坂が向こうの大学に通う事を大反対しているみたいだ。
ドクドクと嫌な心音が鳴り始める。
「年頃ですから色恋を大事にする気持ちもあるでしょう。ですが常に側にいないといけないような信頼のない間柄なんて、どの道すぐに終わります」
「……」
「桐吾さん、もう一度よく考えてみなさい。今はお互いの未来のために我慢をすべき時ではないのですか?」
女将さんの言葉に有坂が俯く。
少しの間が訪れたが、今まで黙っていた有坂父が不意に口を開いた。
「桐吾」
「…はい」
「女将に言われることくらい、お前なら分かっていただろう」
「はい。覚悟してきました」
真っすぐな有坂の声が響く。
叱られることは覚悟してるって、確かに有坂は言ってた。
でもまさかここまでガチで怒られるようなことだと俺は思いもしなかった。
「ならばお前にとってそれは、女将の言葉を押しのけてでも成し遂げなければならないほど価値のある事か」
「…はい。関係を失っては、一生悔いの残る相手ですから」
「そうか」
有坂の言葉にドクリと心臓が跳ねる。
それって俺の事だよな。
俺が有坂の過去の事でモヤモヤしてた時に、有坂は進路の、未来のことで悩んでたのか。
「未成年が親の意見を無視して好きにするということは、それ相応に代償がある事は分かるな」
「はい」
「相手にも同じことを背負わせる覚悟があると思って言っているのだな」
「…それは」
有坂が言い淀む。
少しの沈黙が訪れた。
「男が決めた道だ。お前が本当にそれが正しい事ですべき道だと思うのならば、そうすればいいだろう」
「あ、あなた。それでは桐吾が――」
「だが外れた道に、親の後ろ盾などあると思うな」
地を這うような、ビリビリと身体に響く声だった。
有坂の表情は変わらなかったが、俺の方がビビッてしまう。
「と、ともかく。お父さんが何を言っても私は許しませんからね。桐吾さんがあちらの大学に行かれるというのであれば、有坂旅館は継がなくて結構です」
「…な、それは――」
「当たり前でしょう。そんな腑抜けた男子に務まるような甘い仕事ではありません。経営者になるということは、全従業員の人生を背負って生きていくということですよ」
「もちろん分かっています」
「何も分かっていませんよ。貴方がそれでも行くというのであれば、有坂家の敷居も二度と跨がせませんからね」
女将さんの言葉に衝撃を受けてしまう。
それって有坂が向こうの大学を選んだら、家族とは縁を切らないといけないってことなのか。
カタカタと身体が震えてきてしまう。
女将さんは全反対だし、有坂父も認めたようなことは言ってたけど、でも後ろ盾があると思うなってどういう意味なんだ。
自分でも思ってた以上の展開に頭がついていかない。
有坂はまだ何か言ってたが、もう怖くてそれ以上聞いていられず慌ててその場から離れる。
今までに見たことのないような有坂の苦々しい表情が、いつまでも頭に焼き付いて離れなかった。
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