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彼の存在
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ボクはイジメを受けていた。
高校に入学したての頃は、クラスメート達とも仲が良かった。
だけど夏休みを過ぎた辺りから、様子が少しずつ変わってきた。
何がどうとは言えない。
かすかな違和感。
それが現実となるのに、そう時間はかからなかった。
靴入れが荒らされていたり、また靴自体が隠されていたり。
ロッカーに入れといた物が出されていたり、または体育着が切り刻まれたり…。
やられたことを語ると、一晩はかかりそうなことをされた。
でも犯人は分からなかった。
クラスメート達はボクがイジメられていることを知り、関わることをやめた。
担任が何とかしてくれようとしたが、結局全てがムダだった。
直接ボクに何かあったワケじゃないのが、せめてもの救いかもしれない。
別に悪口を言われたわけでも、暴力をふるわれたわけでもない。
遠巻きにされているだけ。
無視されてもいないし、必要最低限は話をしてくれる。
―だから不思議なんだ。
誰が犯人なんだろう?って。
ボクは正直言って、地味な人間だ。
自慢できる趣味や特技はないし、容姿だって平凡なものだ。
自ら目立とうとはしないし、平凡な人間だと思っている。
小・中学は、そこそこ平和に過ごしていた。
男女関わらず友達がいたし、孤独を強いられることはまずなかった。
なのに高校に入ってからの、この異変はさすがに気落ちした。
イジメなんて小・中学で卒業しそうなものだが、未だに高校生でもやる人がいるんだと、ちょっと感心してしまったりもした。
いつまでも続く、誰が犯人か全く分からないイジメは、高校3年になった今でも続いていた。
ここまで続くと、ボクも周囲の人間も慣れてきてしまった。
イジメというより、嫌がらせというのかな?
すでに何が起こっても、大して動じない性格になってしまったのだ。
周囲の人達の対応も、すでに事務化しているのが怖い。
だからか、今でも不思議でならない。
犯人はボクをどうしたいのだろう?
学校へ来なければ満足なのか?
それとも精神的に参ればいいのか?
犯人の正体が分からなければ、問うこともできない。
そもそもボクをイジメて、何かおもしろいのだろうか?
「はあ…」
「何だよ? タメ息なんてついちゃってさ」
「あっああ、キミか」
昼休み、誰もいない校庭の隅で食事をしていると、彼が来た。
ニッコリ微笑む彼とは、幼馴染だった。
幼稚園の頃に知り合って、小学校は同じ所へ通えた。
けれど彼のご両親の仕事の関係で、彼は引っ越してしまった。
だから中学は別だった。
しかし交流は続いていて、高校は同じ所へ行こうと約束をして、それは叶った。
高校1年の時は別のクラス、2年は同じクラス、そして3年の今はまた別のクラスになってしまった。
だけど相変わらず、ボクのことを気にかけてくれる。
「ヒドイ顔で食事をしてても、美味しく感じないだろう?」
「そんなにヒドイ顔してた?」
「ああ、ゾンビも真っ青な顔」
…どういう顔だよ?
「何だ何だ、進路のことか?」
「まあね。やっぱりボク、キミと同じ大学には行けそうにないと思うな」
「んなこと言うなよ。勉強、手伝ってやるから、同じ大学行こうぜ」
そう言いつつ、彼はボクの隣に座った。
「ボクも同じ所に行きたいけど…ボクの成績じゃあね」
彼は高校入学時から、トップをキープしている。
それは勉強に関わらず、運動や人望でも言えた。
なので二期に渡って、生徒会会長まで務め上げた。
ちなみにボクは彼の推薦で、生徒会書記をした。
だけど彼と違って、勉強も運動神経も中レベル。
容姿だって、街を歩けば女の子が振り向くような彼とは、つり合わないほど平凡。
何で彼のような人が、未だにボクと親しくしてくれるのかが分からない。
大学も同じ所を目指そうと言ってくれたけれど、彼は推薦で通るだろうけど、ボクは必死に勉強しなければムリだ。
「今から間に合う気がしないんだよな~」
「何弱気になってるんだよ! オレと同じ大学、行きたくねーのか?」
「行きたい気持ちはあるけれど、それよりもレベルが高過ぎる」
「そうか? じゃあもうちょっとレベル下げるか? 近くならば、あの大学が良かったんだけどな」
…レベルじゃなくて、距離で選んでいたのか。
こういうところ、彼らしい天然っぷりだ。
「でもキミなら行けるレベルだろ? 何もボクに合わせなくていいんじゃない?」
「何を言ってるんだ! オレはお前と一緒が良いんだよ」
芝居じみたセリフと動作だけど、どこか心温まる。
「ありがと。そう言ってくれると、嬉しいよ」
ボクがイジメを受けても学校へ来れたのは、彼のおかげと言っても過言じゃない。
落ち込んでいるボクのことを気にかけてくれる。
嫌がらせをされた後、どこからか聞き付け、いつも助けてくれる。
その時、笑顔でボクを慰めてくれるから、ボクは救われていた。
クラスが同じ時はずっと側にいてくれた。
クラスが別になっても、休み時間や昼休み時間にちょくちょく教室に顔を出してくれた。
放課後や休日では、2人でよく出かけている。
だから寂しくなんてなかった。
1人じゃなかった。
彼は明るくて優しい。
人を思いやる気持ちがある人で、一緒にいると気持ちがとても落ち着く。
「それにさ。大学に行けばクラスなんてないから、今よりずっと一緒にいられるだろう?」
「キミは大学行ったら遊びそうだね」
「そりゃ遊べるだけは遊ぶさ。いろいろ開放的になるだろうしな」
そう言って楽しそうに笑う彼を見ると、本当に楽しそうだと思える。
「だけどボク、大学受かるかな? かなり生活面では問題児だし」
この3年間、ずっとイジメを受けてきたのだ。
内申書は想像するだけで怖い。
「学校はそんなこと内申書に書かないって。それにお前は二年間、生徒会書記を務めてたんだから」
「それはキミが誘ってくれたから。周囲の人だって、渋々受け入れたようなもんだし」
彼は発言力もあった。
だから彼に逆らえる人は、先生の中でさえ少ないだろう。
「そんな暗い考えに捕らわれるなよ。イジメなんて高校卒業すればなくなるんだし、大学には大人がたくさんいるから、イジメを受ける心配もなくなるぞ?」
「分かっちゃいるんだけどね」
「心配なんてするなよ。オレがいるだろう?」
彼の笑みは、心から安心できる。
だからボクも笑顔になる。
「うん、ありがとう」
「礼なんていいって。親友だろう?」
肩を抱かれて一瞬戸惑う。
だけど彼の言葉がとても温かい。
「そうだね」
「んじゃ、大学はオレの方で改めて探しておくわ」
「本当に良いの? ボクのレベルに合わせるなんて…」
「いーのいーの。勉強だけが全てじゃないだろう? 大切な幼馴染兼親友と過ごす時間も大切なんだ」
「…そう言ってくれると、救われるよ」
「オレはお前が側にいるだけで、嬉しいからな」
「うん…」
彼には感謝の気持ちと、申し訳ない気持ちがある。
でもまだ好意に甘えていたいと思う気持ちが強い。
だから…いずれ彼がボクから離れる時は、邪魔にならないように潔く引く覚悟はしていた。
人気者の彼は大学や社会に出れば、あっと言う間に多くの人に囲まれるだろうから…。
「なあ、今度の休み、映画見に行かないか?」
「いいよ」
彼は雑誌を広げ、ボクに見せた。
いつも2人で出かける時は、彼から誘ってくれる。
「この映画、クラスの連中から聞いたんだけど、かなりおもしろいらしいぜ。何回でも見たくなるって」
「へぇ、おもしろそうだね」
「ああ、だから見に行こうぜ」
彼は気を使ってか、遊びに行く時はボク1人しか誘わない。
ほとんどの時間をボクと過ごしてくれるので、一度聞いたことがある。
「あの、さ。ボクと2人だけで、つまらなくない? 他の友達から誘われてたりしたら、そっちに行ってもいいからね」
「なぁに言ってんだよ。オレはお前と2人で遊んだ方が、楽しいんだよ。だから気にすんなって!」
満面の笑顔でそう言われたので、ボクは二度と同じことを言わなかった。
優しくて頼りがいのある親友。
…だけど頼りっぱなしじゃダメだ。
せめてイジメの方だけでも、ボクが何とかしなきゃ…!
彼はイジメのことについて、怒りを覚えている。
何かされると、ボクより怒って見せる。
だけどボクを励ますことを優先にしてくれる。
だからイジメに関しては、あんまり関心を持っていない。
まあ何ともできない状態なので、関心を持ってもしょうがないんだけど…。
でも大学に進学することを考えたら、このままイジメられるのもダメだろう。
…だから思った。
ちゃんと彼の側にいられる為にも、せめて犯人に一矢報いたい。
ボクは考えた。
犯人をせめて断定できる罠を。
今度はボク自身から、打って出る。
ボクは誰にも内緒で、計画を立てた。
彼と一緒にいられる為に。
そしてボクを3年間も傷付けたヤツに、一度でいいからダメージを与えたかった。
ただ、それだけだったのに…。
<パリンッ>
ガラスの割れた音は、意外に軽かった。
透明で薄いガラスの破片は、それでも傷を付けるには充分だろう。
ボクは今まで受けたイジメの内容を、ノートにまとめて書いていた。
その中で多かったのは、ボクの私物の紛失だ。
大して高い物は取られていない。
それこそペンやノートといったものだ。
だからノートに罠を仕掛けておく。
ボクが割ったガラスは、とても薄い。
ヤスリを使って、ガラスの破片を削る。
すると切れ味がとてもいい、透明の凶器の出来上がりだ。
ボクはそれを、ノートに仕込んだ。
普段そのノートは使わない。
ただ机の中に入れておくだけ。
ボクの名前とクラスを書いて、放置しておく。
犯人は絶対、このノートを盗むだろう。
ただ触れただけでは、罠には引っ掛からない。
ちょっとした動きをすれば、罠は発動するだろう。
それはまあ、一種の賭けとも言えなくはない。
だけど今まで盗まれていた物は、決して後から見つかることはなかった。
ゴミ箱を探しても、至る所を探しても、見つからなかった。
外で捨てられた可能性もあるだろうけど、犯人が持っている可能性だってある。
ボクは後者に賭ける。
ノートを机に入れっぱなしにしてから10日後、動きがあった。
放課後、担任に呼ばれて職員室に行った後、机の中に入れていたノートが無くなっていたのだ。
「…本当に持ってったのか」
自分で仕掛けといてなんだけど、本当に持っていくとは思わなかった。
ちょっと感心していると、ケータイが震えた。
開けて見ると彼からで、急用ができたので一緒に帰れなくなったとのことだった。
少し寂しかったけれど、よくあることだった。
彼は未だ前生徒会長ということで、後輩から頼られることが多い。
分かったと返事を送り、ボクは1人で帰ることにした。
罠が早く発動することを願いながら、家に帰った。
しかし次の日になっても、また数日が経過しても、罠は発動した気配は無かった。
今はみんな夏服で、薄着をしている。
だから罠が発動すれば、すぐに分かる。
でも少なくともボクの近くにいる人で、罠にかかった人物は見当たらなかった。
ノートを開かなかったのだろうか?
…そうなると、失敗したことになるな。
盗んで捨てられたら、罠など意味が無い。
残念ながらも、ちょっとほっとしている自分に気付く。
罠は絶対に、傷付ける。
誰かを傷付けるのはあんまり好きじゃない。
今回はずっとボクをイジメ続けていたヤツだからこそ、罠を張ることにしたんだ。
でも…やっぱり意味が無くなったのなら、それで良い。
ボクは考え直すことにした。
しかし罠は別の意味で、威力を発揮した。
あのノートを盗まれた後は、何一つ、イジメを受けなかったのだ。
何も起こらないことに、ボクどころか周囲の人達も不思議がっていた。
だけど起こらないなら、起こらないでいい。
静かで平凡な毎日を過ごせるのなら、ボクはそれで良かった。
刺激的な生活なんて、真っ平ゴメンだ。
「なぁ、今度の休み、ウチに遊びに来ないか?」
昼休み、いつもの校庭の隅で彼と昼食をとっていた。
彼は何かと忙しい人だけど、ボクと遊んでくれる。
「良いよ。家族の人、いないの?」
「ああ、両親は仕事。姉貴はバイトだって」
彼の両親は共働きで、お姉さんは大学生で何かと忙しいらしい。
だから週末や連休は、ボクが彼の家に泊まりに行くことが多かった。
「ついでに泊まってけよ。久し振りだろう?」
「だね」
ボクは笑顔で了承した。
イジメのことも収まっていたし、たまには思いっきり遊びたい気分だった。
そして休日になり、朝から彼と駅前で待ち合わせをした。
新たに大学を決めたので、下見に行った。
電車で20分ほどだけど、駅から近い。
レベルもボクが後少し頑張れば何とかなる所だった。
「ここ、良いだろう? 駅前には若者向けの店が多いし、通えたら楽しいぞ」
「そうだね。じゃあここにしようか」
「ああ、頑張ろうぜ。勉強はオレが見てやるから、塾とか家庭教師なんかに頼るなよ?」
「それは嬉しいけど…邪魔にならない?」
「ならないって。むしろ復習ができて、ちょうど良いぐらいだ」
彼の笑みと明るい姿は、見ていて気持ち良い。
「それじゃあお願いするね」
「おう! 任せろ」
大学の下見に行った後は、駅前をぶらついた。
途中、本屋で参考書を何冊か買って、彼の家に行った。
高級マンションに住んでいる彼の部屋は、ボクの部屋の2倍の広さがある。
けれどスッキリ片付けられていて、彼の几帳面さが表れている。
彼は大雑把に見られやすいけれど、料理や掃除が好きで、器用な人だった。
ボクは不器用だから、いつも彼の手助けが必要になる。
「適当に座っててくれよ。今、お茶持ってくるから」
「うん」
彼が部屋から出て行くと、ボクはため息をついた。
大学はいくらレベルを落としてもらったとは言え、油断は大敵。
買ってきた参考書を机の上に広げた。
そこでふと、クローゼットが少し開いていることに気付いた。
「閉め忘れかな?」
彼にしては珍しい。
ボクは立ち上がり、クローゼットの前に行った。
そこで中が少し見えた。
「ん? …金庫?」
クローゼットの中は、服がかけてあった。
しかし服の奥に、四角く黒い金庫があった。
「しかもダイヤル式の…。珍しいな」
思わずジロジロ見てしまう。
彼がこういうのを持つタイプだとは思わなかった。
そりゃあ隠しておきたい物があるのは、人間として当然だと思う。
けれどそういう物を、こういう金庫に入れるタイプじゃないと…。
「おっまたせー」
「おわっ!?」
声に驚き、クローゼットを閉じた。
「ん? どうした?」
部屋に戻って来た彼が、きょとんとした。
「あっ、少し開いてたから…」
「ああ、閉めてくれたのか。ありがとな」
えっ笑顔で感謝されると、胸がチクチクする。
「うっううん」
「あっ、もしかして中見えた?」
「ちょっちょっと…」
「いいよ、そんな申し訳なさそうな顔しなくても」
彼は苦笑して、手を振った。
「金庫のことだろ? それ、高校入学祝いに叔父さんから貰ってさ。まあいらなくなったから、押し付けてきたってのもあるだろうけど」
「金庫なんて珍しいね」
「だろ? 元々叔父さん、商売をしてて、売り上げをその金庫に入れてたんだ。他にも権利書とか、重要書類をな」
そう言いつつ、テーブルに麦茶とお菓子を載せた。
ボクはテーブルの前に座り、麦茶を飲んだ。
「でもオレが高校入学するちょっと前に辞めてさ。今は田舎で農業してるんだ。その時に貰った物」
「へぇ。中に何か入れてんの?」
「まあな。使わなきゃ損だし」
「でも金庫に入れるような物だから、よっぽど大事な物?」
「んっとな…」
彼は珍しく動揺した。
「そっそんなに重要ってほどじゃない。その…写真とかだよ」
「写真? 学校のとか友達の?」
「あっああ。ダチのだよ。もちろん、お前の写真あるぞ?」
「えっ? 変な写真じゃないよね?」
「普通のだよ。小学校の卒業アルバムも入っているし」
「そっか」
写真を金庫に入れとくというのも変な話だけど、確かにそれぐらいしか入れる物はないだろう。
高校生のうちじゃ、そんなにお金もないし。
重要書類とかも、ボク達にとっては昔の通信簿レベルだ。
「それより、早速大学のことを説明するぞ」
彼は顔を真っ赤にしながら、書類を取り出した。
よっぽど恥ずかしい物が、金庫に入れてあるんだろうか?
ボクはちょっと興味を持った。
けれどその後、大学の説明に、受験のこと。
そして勉強へと目まぐるしく頭を使い、そのことをすっかり忘れていた。
勉強が一段落つくと、彼が夕飯を作ってくれた。
昨夜作ったというカレーは彼の特製で、とても美味しく頂けた。
その後、おフロを先に入らせてもらった。
「じゃあ、オレ、フロに入ってくるな。電話が鳴ってもほっといて良いから」
「分かった。ゆっくり入りなよ」
「はいはい」
今日は頭を使ったせいで、2人とも少し疲れていた。
ボクは彼の部屋に戻った。
彼のベッドは広く大きいので、ボク達2人が並んで寝ても余るぐらいだった。
「ふぅ…。疲れたなぁ」
伸びをして、ため息を吐く。
彼はスパルタだから、この調子なら何とか受験は大丈夫だろう。
体をゴキゴキ鳴らしていると、クローゼットが眼に映った。
「そう言えばあの金庫、どういう写真が入っているんだろうな」
彼は卒業アルバムが入っていると言ったけれど、ボクの写真もあると言った。
「変なのは撮られていないと思うけど…」
でも彼は割とイタズラ心を持っている人だから、もしかしたら、変な写真を撮られているかもしれない。
特にボクはこの家に泊まることが多い。
変な寝顔とか、もしかしたら撮られているのかもしれない。
ボクは部屋の外に首だけを出した。
お風呂場から、水音と彼の鼻歌が響いて聞こえる。
しばらくは出て来ないだろう。
ボクは扉を閉めて、恐る恐るクローゼットに向かった。
クローゼットを開けて、金庫に手をかける。
だけど開いてはいない。
「まっ、当然だな」
ダイヤルを掴む。
こういう場合、彼の誕生日とかに設定されているのではないだろうか?
ボクはゆっくりと、彼の生年月日に回した。
けれど開かなかった。
「う~ん…」
もし設定が彼の叔父さんが決めたものが続いていたのならば、ボクには永久に解けない謎だ。
とりあえず、思い付く限りの数を回してみる。
けれどどれもヒットしない。
彼の好きな数も、記念日も。
「もしかして…違う人の誕生日とか?」
彼の身内の生年月日を回す。
ご両親にお姉さん、でもムリだった。
さすがにボクでも知らない叔父さんのだったら、お手上げだ。
そろそろ彼はおフロから上がってくるだろう。
時間がかかり過ぎた。
ボクは最後にと思い、自分の生年月日を回してみた。
<ガチャリ>
「えっ?」
金庫に再び手をかけると、開いた。
「ボクの…生年月日にしといてくれたんだ」
何だか嬉しい。
確かにボクの生年月日じゃあ、彼とボク以外は開けられないだろう。
ボクはゆっくりと扉を開けた。
中は二段の引き出しになっていた。
一段目を引くと、中からは本当に卒業アルバムが出てきた。
幼稚園と小学校のだ。
そしてその頃、彼と撮ったボクの写真のアルバムも出てきた。
「うわっ、懐かしい…!」
小声で叫び、ボクはアルバムを捲った。
どのアルバムも、ボクは彼と一緒だった。
ボクは彼以外の人と写真に写るのが苦手で、苦笑気味になってしまうのがクセになっていた。
でも彼とだったら、心からの笑顔で映れた。
「…でもいつまでもコレじゃあ、ダメだよな」
彼に手を引っ張られてばかりでは、ダメだ。
これから社会に出るのに、彼に依存してばかりでは、お互いにダメになる。
「もっとしっかりしないとな…」
彼に支えられてばかりじゃなく、彼を支える存在にならないと…。
そう思いながら、ボクはアルバムを元に戻した。
そして二段目に手をかけた。
「二段目は何が…」
しかし中身を見て、ボクは止まった。
ボクの体も思考も、全てが止まった。
引き出しに入っていたのは…ボクのノートだった。
例の…罠用のノート。
ノートは罠が発動したらしい。
真っ赤な血の色に染まっていた。
「なっ…んでっ…!」
震える手でノートを取ると、その下にあったのは…今まで盗まれていたボクの物。
さまざまなペンやノート、その他にもボクの物が姿を現した。
全部全部、盗まれた物。
ボクの手元から、消えていった物だった。
久々に見る物をいくつか触れてみた。
懐かしい姿と感触。
「どうしてっ…何で彼が持っているんだ?」
頭の中が真っ白だった。
体が小刻みに震えだす。
歯がガチガチと鳴った。
血の気が一気に下がり、目の前が真っ暗になる。
「―アレ? 開けちゃったんだ?」
「ひっ…!」
金庫に集中していたせいで、彼が戻って来たことに気付かなかった。
気力を振り絞り、ゆっくりと振り返る。
お風呂上りの彼は、笑みを崩さない。
それがとても恐ろしかった。
「何でっ…どうしてキミがボクの物を持っているんだ!」
しぼり出すように言った言葉は、思ったより小さかった。
声が、出ない。
思わず喉を撫でた。
「何でって、欲しかったからだよ」
彼はあっさり言った。
「じっじゃあ、あのイジメの数々も…」
「そう、オレが犯人」
目の前が一瞬にして、黒く染まった。
―絶望。
そうか…。
コレが絶望、か。
「なんっで…どうしてっ…!」
出た声はすでにかすれていた。
「だってガマンならなかったから」
そう言って彼は一歩前に出た。
思わず後ずさる。
「ガマンって何が…」
「お前が他の人を頼るのが」
「何を…」
何を言っているのか分からない。
「だって3年もガマンしてたんだぜ? 子供だったらしょーがないってさ。だから同じ高校に入れるって分かった時は、飛び上がって喜んだんだ」
彼はどんどん歩みを進める。
ボクはどんどん後ろに下がる。
「けれど高校じゃあクラスが別になっただろう? それでオレより仲良いヤツがお前にできるのが、許せなかった。ガマンできなかったんだ」
彼は笑顔を浮かべているものの、その眼は狂気がにじみ出ている。
「だからイジメた。周囲の人間を使わなかったのは、関わらせたくなかったんだ。オレとお前のことに」
「分からない…キミが何を言っているのか、分からないよ!」
ボクはノートを抱えたまま、叫んだ。
「まあお前には理解できないかもな。こういう歪んだ感情はさ」
彼は肩を竦めた。
「オレはお前に頼られたかった。唯一の存在でいたかったんだよ」
「なら何もこんな方法を使わなくてもよかったじゃないか! こんなことをしなくても、ボクにとってキミは特別な存在だったのに!」
「特別と唯一は違うよ。オレはお前に、オレだけを見ていてほしかったんだ」
「見てたし思ってたよ! 例えボクにどんな友達ができたって、キミはボクの唯一の存在だったのに!」
両目が熱くなる。
ボクの思いは彼に伝わっていなかったのか?
こんなに近くにいたのに!
「それでもオレの他に仲良いヤツができれば、オレを思う気持ちは減るだろう? それもイヤだったんだ」
ついにボクの背は壁についてしまった。
やっヤバイ、逃げなきゃ!
そう思うけれど、体が言うことを聞かない!
全身がガクガクと震える。
怖いっ…!
「そんなに脅えるなよ」
彼はそんなボクを見て、苦笑した。
「お前自身を傷付けるようなことはしなかっただろう? それどころか、お前に何かしようとする奴らを消してきたし」
「消したって…」
「ああ、だから生徒会長なんかやってたんだ。権力というのは、持ってた方が何かと得だからな。お前に何かしようと思っている連中を、簡単に消せるぐらいは役に立つものだった」
「…あっ」
思い当たることがあった。
ボクも生徒会書記を二期に渡って務めてきたから、それなりに学校の情報には詳しかった。
彼が会長をしている間に、数人の学生が退学になっていた。
その学生達はガラが悪く、よく人を脅したりイジメをしていた。
だから退学の理由も、素行の悪さからだと聞いていたけれど…。
多分、彼等はイジメを受けているボクを見て、自分達もと考えたんだろうな。
それを察した彼が、退学に追い込んだのか。
だとすれば、少なくとも十数人は彼の手によって…。
ボクは改めて、ぞっとした。
ボクを守る為だとも言える。
けれど彼はただ、自分の獲物を取られるのがイヤだっただけだ。
そう…彼にとって、ボクは獲物だったんだ。
彼が喰らう為の…。
「でもお前もやるねぇ」
「…何がだよ?」
「そのノートだよ」
彼が指差したのは、ボクが抱えているノートだった。
「まさか細工をしているなんて思わなかった」
「じゃあ…この血はキミの?」
「うん」
彼はTシャツを捲り、お腹を見せた。
そこにはうっすら赤い線を引いたような、傷跡があった。
「ノートを持っていく時に、バッサリ切れた」
ボクはその傷跡に、釘付けになった。
多分…ノートのページ部分をお腹に当てたんだろう。
ノートの罠とは、ページ部分に薄いガラスの破片を仕込んでいたことだった。
薄くて軽いガラスの破片は磨いたことにより、殺傷能力を上げていた。
ボクは犯人がページを捲る時、その指か手に傷がつけばと思っていた。
まさかお腹に傷がついていたなんて、考えもしなかった。
「人間も動物も、追い詰め過ぎると何をするか分からないもんだ」
「ボクの…せめてもの反撃だったんだ」
ボクはノートを見下ろした。
でもまさか、こんな結末を引き寄せるなんて…!
「うん。効果的だった」
すぐ間近で声が聞こえ、顔を上げると、目の前に彼が来ていた。
「っ!?」
思わずノートを落とし、逃げようとした。
「逃げるなよ」
ぐいっと髪を掴まれ、壁に投げ付けられた。
「がはっ!」
肺に入っていた空気が一気に吐き出た。
「逃げるなんてヒドイ奴だな。今までずっと側にいたのに」
「キミがっ…」
「ん? なに?」
ボクはキミがいたから、救われていたのに…。
キミがいたせいで、イジメを受けていたなんて…!
感情の昂りが、涙となって溢れ出してきた。
「ああ、泣くなよ。泣かせたいワケじゃないんだから」
そっと伸びてきた彼の手を、ボクは渾身の力で払った。
<パシッ>
「…やってくれるな」
彼の笑みが、複雑に歪んだ。
「っ!? さっ最初からボクをイジメず、夏休みを過ぎた後から行動したのは何でなんだ? キミに何があったんだよ?」
ボクは犯人に聞きたかった。
何が原因で、ボクをイジメるようになったのか。
「ああ、簡単な話さ。夏休み、オレと遊んでいた時の話だ。偶然、街中でお前のクラスメート達と会って、一緒に遊ぶことになっただろう? アレが原因」
ボクは瞬時に記憶をよみがえらせた。
確かに1年の時の夏休みに、そういうことがあった。
街中で彼と遊んでいたら、当時仲の良かったクラスメート達と偶然出会った。
そして一緒にボウリングに行かないかと誘われ、ボクは頷いた。
「でっでもキミに聞いたら、一緒に行っても良いって言ったじゃないか!」
「そりゃあみんなの前で、イヤだとは言いにくいもんだろう? それにその時は、そいつらと一緒でもいいと思ってた。でも…」
そこではじめて、彼の表情が曇った。
「クラスメート達とはしゃいでいるお前を見て、暗い気持ちになったよ。お前はオレ以外の人間と一緒にいても、楽しそうだから」
「そんなのっ…キミだって同じだろう? ボク以外の人といても」
「オレはお前以外の奴と一緒にいても、おもしろいとも楽しいとも思ったことなんて、一度たりとも無い」
ボクの言葉を遮り、彼は断言した。
「あの時から、ドス黒い感情に支配されていることに気付いたよ。そして夏休みが終わり、学校がはじまった途端、行動に出た。自分でも驚いたさ。まさかあんな行動に出るなんてな」
彼は自嘲気味に笑う。
そして自分のお腹の、傷の部分をそっと優しく撫でた。
「この傷、そろそろ消えるだろうな。お前の付けた傷なら、永久に残っても構わないのに」
「っ!?」
その慈愛に満ちた表情と声が恐ろしくて、ボクは彼から眼を背けた。
こんなに近くにいたのに、ボクは気付かなかった。
彼の苦しみも、そして狂気も!
震える体を何とか動かし、壁伝いに彼から離れようとした。
<だんっ>
「ひっ!」
「どこ行くんだよ?」
けれど彼は手を壁に付けて、ボクの行く手を塞いだ。
こっ怖い!
彼の存在全てが恐ろしくてならない!
歯がガチガチと鳴り出す。
泣きそうな顔で、恐る恐る彼の方を見る。
彼は微笑んでいた。
今まで見たことがないぐらい、温かく優しい笑みを浮かべていた。
「逃がさねーぜ? ずっとこの時を、待ってたんだ」
ゆっくりと、彼がボクに覆いかぶさってくる。
もう…逃げられない。
けれどどこか、納得している自分がいる。
ボクを支えてくれた彼。
ボクをイジメていた彼。
二つの彼は、ずっとボクの側にいたんだ。
そして彼はこれからもずっと、ボクの側にいるだろう。
そのことを、ボクも望んでいるから…。
そう…
彼の存在があるから、
彼がいるから、
ボクがいるんだ。
【終わり】
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