アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
Heaven for Everyone
-
モントルー、、、私も、もう生きては戻って来るつもりはなかった。
だとしたらやはり最後に会っておきたい人々もいる。
ロジャーは少し元気が出てくると、持ち物の整理を始めた。
「何をしているんだ?」
細かく、小物や楽器を分けている彼の手元を覗き込む。
「形見分けと遺品整理さ。」
淡々とした言葉に胸が突かれた。
「今から?早くないか?」
「モントルーまで持って行けないだろ?
それに何をしたって早すぎるということはないさ。
君もジャパンで死にかけたんだ。
大事なものを誰に渡すか?とか決めておいた方がいいぞ。」
もっともな話だ。しかし、
「遺書はとっくに作って弁護士に預けてあるさ。」
ロジャーも財産はすでに子供たちや別れた妻たちに分配済みだ。
今は本当にこまごまとしたものばかり。使い古したドラムスティック、アタッチメント、古いチューナー。ギターピックまで几帳面にいついつどの曲で使ったと整理されている。彼がこんな小まめな性質だとは知らなかった。
「ジョンにはどれを譲ろうか?この86年のウェンブリーアリーナで使ったスティックにしようか?でも、あいつならこんな古いスティックなんか暖炉の炊きつけにしちまうだろうな。」
笑いながら楽しそうにこれは誰、あれは誰。とメモを付けていく。
「これは、俺の棺に入れてくれ。こっちは捨てていい。」
ジェイムズに指示を出していく。
「俺のスーツや着ていない服は、家族で要る奴がいなければ教会のバザーに寄付してくれ。ネクタイやタイピンも同じだ、使用人のみんなが使ってくれるなら持って行かせてくれ。余ったらそれもバザーだ。ジェイムズ、おまえも好きな物を持って行っていいぞ。今の内に選んで持って行け、ちゃんと書付を付けてやるから。」
主人の言う事をメモしたり、指示に合わせてダンボールに小分けしていたジェイムズもとうとうグッと顔をしかませて唇を噛んだ。
「だんな様、、私は何もいりません。ただ、、、。」
涙声になるのを必死で堪える様子に私もつい口を出した、
「ジェイムズを困らせるんじゃない。」
「ダーリン、君は何が欲しい。上の部屋のドラムセットがいいか?」
茶化すように言ってくる。
「私が欲しいのは君だけだ。分かっているだろう。」
座っている彼の隣に腰を降ろして口づける。
「レッドスペシャルは俺がもらうぜ。早くロンドンから取って来いよ。」
私の家からデスクや書棚は持ち出したのにレッドスペシャルだけは私に持って来させようとする。
何となく、あれを持って来てしまうとロジャーにいつでも死んでいいぞと合図する様でなかなかその気になれなかった。
「あれはポンコツだ。もうネックもヘッドも、、ピックアップも全部何度も交換して、、、オリジナルはボディのマホガニーだけだ、、、。」
本当だ、私が十代の頃に父と作った手製のギター。
ずっとそれだけを弾いて来た。ローディーなどは私がお金がなくてギターが買えないから、へんてこなオリジナルギターを弾いていると思ったようだ。
「それでいい、、、君が俺と出会った時からずっと一緒だった、、。
君の分身と言っていいレッドスペシャル、、それを俺にくれ。ブライアン、、。」
「ギターなんか、、、私よりギターがいいのか?私より、、、。」
「馬鹿だな、、、ダーリン、、、。」
なんて小憎たらしくて魅力的なのか、、口づけて、そのままソファに押し倒しそうになる。
私の悪魔、私の天使、私の運命、、、よくも今まで離れずに私の傍らに居てくれた、、。もう離さない、何があろうとけして、、!
「ほらダーリン、そんな風に抱きしめたままだと仕事が進まないぜ。」
それでもまだ、キスをし続けようとすると、、
「今日はロンドンには行かなくていいのか?忙しいんだろ?
モントルーで住む家は見つかったのか?」
私の背を押すように立ち上がらせる。自分も立ち上がって
「そうだ、ディディーにはこれをやろうあいつめ、これを受け取って泣け!ははは。ハリソンには、、、やっぱりマッカランかな?何年物がいいかな?
ジェイムズ今、、、。」
私の背後でジェイムズに話しかけようとしたロジャーの言葉が止まる、、
ドンと私の背に彼の体がぶつかって来た。思わぬ衝撃に一歩足がよろける。
どうしたのだ?急に貧血でも起こしたのか?
あわてて振り返って彼を支えようとしたがさらに押されるように後ずさる、、、
「ロジャー、、、!?」
彼一人の体重にしては圧力が大きい、、、見るとジェイムズがロジャーにしがみつくようにその上体を彼に預けてもたれかかっている。
一瞬、感極まったジェイムスがロジャーに抱きついたのかと思った。
しかし、、、カチン。
硬い音がして床に何かが落ちた。それは、、、、!
銀色に光る、細い、、、ナイフ?
かすかに赤い液体が、、、。
「ジェイムズ、、落ち着け、、!」
ロジャーは冷静だった。彼の靴のつま先がそのナイフを蹴り飛ばした。
事態を理解する前にとっさにロジャーの体をかばうように私の後ろにまわして二人の間に入り込むと、ジェイムズを突き飛ばした。
「ブライアン大丈夫だ、、騒ぐな。
ジェイムズ、、、俺は大丈夫だ。だから落ち着くんだ、、!」
「ロジャー、、、逃げろ、、、メディックに行け!」
私の背中からまだジェイムズを説得しようとしているロジャーに怒鳴った。
「だんな様、、、。」
ジェイムスは血走った目をして、ブルブルと震えながら涙を流していた。
「だんな様は、、私が、、、私がお楽にして差し上げます、、
モントルーへなど行かせません、、、私がこの手で、、、。」
意外だった、いつも冷静で主人への忠誠心の篤いジェイムズの心情にもっと注意を払うべきだった。
「ジェイムズ分かってるぜ。だから落ち着いて、一度座るんだ。」
ロジャーはあくまでも冷静にジェイムスに話しかけた。
ロジャーをどちらに逃がすべきか?部屋の入り口は近いがジェイムズの後ろだ、メディカルルームの方が遠いがそのままロジャーの背後にある。
「ロジャー、メディックに行け!」
私の目の隅に金色の光が目に入った。
ミニテーブルにさっきまでロジャーが使っていたペーパーナイフが乗っている。その私の目の動きに吊られてジェイムズもそれに目をつけた。
”いけない!”と思った瞬間わたしより素早くジェイムズがペーパーナイフに飛びついた。それを見てロジャーもついに諦めてメディックに向かうために身を翻した。
私からジェイムズの視線が逃げるロジャーの後姿に移り、彼はロジャーを追うように走り出した。必死でジェイムズに飛び掛かりナイフを握った手をつかんで押さえつけようとする。
「ブライアン!」
ロジャーが叫んでいる。
「だんな様!」
「ロジャー!メディックで人を、、呼べ!」
ジェイムズは若く力強い、私は体格で勝っていたが所詮は老人だ。
それでも何とかジェイムズを止めようと暴れる彼を押さえ込もうとした。
「離してくださいDrレイ!!
あなたに、あなたなんかに、、、!
だんな様を渡しません!」
「ジェイムズ、、冷静になれ!」
ロジャーは無事にメディックに逃れ切った、安心して油断したせいか瞬間、左手に鋭い痛みが走った。しかしメディカルルームから大きなシルエットの人物が出てきた。ロジャーの声。
「ハリソン!無理をするな。」
ナイフを振り回すジェイムズの腕を捕まえ損ねて私は跳ね飛ばされたが、ジェイムズの前にはハリソンの頼もしい姿があった。
「落ち着いてくださいジェイムズさん。」
どんな時も無表情のハリソンは、こんな時もあわてた様子も無くジェイムズに向かい合う。ジェイムズも若い当直医の登場についに観念してペーパーナイフを取り落とし膝を突いて崩おれた。
「ブライアン!手から血が、、!」
ロジャーが慌てて私に駆け寄ろうとする。
「まだ近づいてはいけない!」
ハリソンはジェイムズを支えて立ち上がらせると、近くの椅子に座らせて慎重に監視した。
私は金色のぺーパーナイフと最初に落とした銀の細いナイフを拾い上げるとその場にあった小箱の中に慎重にしまった。
「ブライアン、どうしよう?君の手が、、、。」
ロジャーは我が事のように焦っている。私の左手からあふれ出る真っ赤な血、その傷を彼の首に巻いていたストールで縛り上げ様としている、、。
「私は大丈夫かすり傷だ、君は!刺されたんじゃないのか?」
最初に感じた衝撃、あれはジェイムスがロジャーにナイフを突き立てようとぶつかったものだろう。ロジャーは黒のゆったりしたニットを着ている、上からは出血は認められないが、、。
「俺はたいしたこと無い。ブライアンすぐに治療をしなければ。」
気がつけばコナーが白衣を着て出てきた、蒼白な顔だが落ちついている。
「Mrセイラー、Drレイお怪我は?」
「コナー、ブライアンを診てくれ。」
「だんな様、、、。」
ジェイムズはまだ体の震えが止まらない、両手で顔を覆って興奮もまだ収まっていない様子だ。いつまでもハリソンに見晴らせているわけにもいかないだろう。
「ジェイムズさんを彼の部屋に送って来ますか?」
「いや待てハリソン、ルーカスを呼ぶから。
ブライアン、手を心臓より高く上げて。」
しかし、ここでロジャーは突然真っ青になってぐらりと体を揺るがせた。
倒れ掛かる彼を慌てて支えて抱きかかえる。
その場にいる全員が彼の名前を呼んだ!ジェイムズさえも。
ベッドまで運ぶ余裕がなくてさっきまで腰掛けていたソファに横たえる。
「だいじょうぶだ、、、。」
弱い声だが、意識はあるようだ。
「胸を刺されたのか?」
私は今更ながら気が動転して彼の胸を押さえようとした。
しかし、冷静にコナーはロジャーの脈を取った。
遠巻きに様子を見ていた看護士に血圧計などを持って来るように指示を出す。ついでロジャーのニットの前を開けて下に着込んでいるダウンベストを見ると黒い生地に血が染みていた。一瞬息を呑んだが、コナーは慌てずに患部を診るべくベストの合わせ目も開く。
傷は小さかった。細いナイフだったがしかし深く刺さっていたら、、、
「だいじょうぶだ、、、骨に当たって止まった、、、深くはない、、。」
ロジャーは冷静に自分の状態を分析していた。
「だんな様、、、私は、、なんと言うことを、、、。」
ジェイムスは主人の傷を見て初めて我に返ったようだ。
コナーは止血のためにガーゼを当てて上から押さえた。
「Mrセイラーこの辺りに痛みや息苦しさは感じませんか?」
「、、、無いぜ。君の指が冷たいくらいだ。」
真っ青で脂汗をかきながら冗談を言う。
「俺は貧血だ、、、情けない、、、ジェイムズ気にするな。
あれくらい、、、ブライアンが俺に突っ込む時に比べたら、、、。」
私は盛大に咳払いをした、何を言い出すのだこんな時に。
ロジャーはハリソンに携帯電話を差し出してルーカスを呼ぶように指示する。
コナーは骨に異常が無いか、明日にでもレントゲン車を手配すると言ってロジャーの傷の手当てを済ますと私の手の傷の治療を始めた。
ルーカスが急に呼び出されて慌ててやって来る。
ソファに横たえられた父。私の怪我で血で汚れた部屋を見て狼狽したが、ロジャーは落ち着いて話した。
「ルーカス、悪いがジェイムズをお前の家に連れて行って、そうだな、酒でも飲ませてやってくれ。」
そう言われても訳が分からない顔をするルーカス-。
「ジェイムズ?こんな時間から酒?僕はいいけど、、、何があったの?
パパは大丈夫なの?え?ブライアン怪我したの?」
「だんな様、、私を警察に突き出してください。」
ジェイムズは泣いていた。
「ジェイムズ、君みたいに有能な男を警察なんかにくれてやる気はないぜ。
さあ、俺も後から行くからルーカスの秘蔵の酒を全部飲み干して来い。
ハリソン、君も一緒に行って来い。」
まるでこの場にいたのはただ通りがかっただけです。と言った様な顔で立っていたハリソンは突然名前を出されて面食らった顔をした。
彼が表情を変えた珍しい一瞬だ。
「僕は今夜の夜勤なので、、遠慮します。」
「今から飲んでしばらく眠れば十分間に合うだろう。いいから行って来い。」
おっとりしたルーカス一人でジェイムズの相手は難しいと判断したのか?
ロジャーはハリソンも一緒に西翼に向かわせた。
「すまんなコナー。」
コナーとハリソンは恋人同士だ。
金、土、日、とハリソンの夜勤に合わせてコナーは土日の日勤を勤めて二人のスケジュールを合わせていた。今日もハリソンは早めに起きてきてコナーと会っていたのだろう。おかげで助かったが。
「いいえMrセイラー。大きな図体でメディックに居座られて窮屈でしたから。」
コナーも笑ってかわした。私の傷は見かけより深かったらしく3針ほど縫われてしまった。ロジャーは自分の体より私の傷を気にしてしきりと謝ってばかりだ。
「ジェイムズの気持ちに気がついてやれなかった。俺のせいだ。」
「君のせいじゃない。私が君を独り占めしたくて、、、
この屋敷の人々の神経を逆なでしたんだ。」
ロジャーは屋敷の使用人や出入りする人々に人気があって好かれている。
乱暴な口は利くし、時々無茶をするが大らかで思いやりあふれ、明るくて茶目っ気があって憎めない。そこへ横から私が現れて彼らの主人を独占したのだ。使用人達の中には私を面白く思わない者もいるだろう。
しばらくするとロジャーは貧血から回復してルーカスに預けたジェイムズに会って来ると言う。むろん止めた。
「悪いなダーリン。これはうちの問題だ、俺が解決する。」
ロジャーはコナーに付き添われて西翼に向かった。
私は一人で置かれたが、しばらく安静にするように言われて何もできない。
メイドがお茶を持って来てくれたが、ジェイムズの淹れるお茶の味に敵うものでもなく、ロジャーのいない部屋で黙って待つだけだ。
しかし1時間もしないうちにロジャーは戻って来た。
「すまないダーリン待たせてしまった。手の傷は痛むか?」
「私は平気だよ。君が私の肩に噛み付いて歯形を付けた時に比べたら。」
まだ笑顔が青ざめてはいるが緊張はしていなかった。
私の隣に腰掛ける彼の背中に腕を回しながら、
「ダーリン、、モントルーだがジェイムズも連れて行きたい。」
やはりそう結論したか。
「向こうで人を雇うつもりだろうが、、今更俺も他人に世話をされるのは嫌だ。」
「ロジャー、、。」
「君も俺の下の世話まではできないだろう。」
「何だってしてみせるさ、、でも、いいよ。君がその方がいいのなら。私も考えてはいたんだ。でもジェイムズは有能なこの屋敷の執事だし、、モントルーまで一緒に来てもらうのは酷かと思ったんだ。」
「うん、俺もそう思ったんだが、、あいつ、、思いつめていたんだな。
かわいそうに俺ももっと早く相談していればよかった。」
ジェイムズは落ち着いたのだろうか?
「しばらく休むように言いつけたよ。嫌がっていたが、、。
ディズニーランドにでも行って羽を伸ばして来いって。ははは。
モントルーではもっともっとこき使われるぞ。ってさ。」
ロジャーは本当にやさしい男だ、自分にナイフを向けた使用人を笑って許してやる。私は思っていたことを口にした。
「君は、、、いやじゃないのか、、?
自分の家から連れ出されて、、、誰もいないモントルーに行くのが?」
私たちが足繁くモントルーに行っていたのは30年も昔だ。
もう知り合いもいないだろう。
「ディディーやザックは来るさ。
ザックは年中世界中を飛び回ってるからな。」
そうだろう。
ディディーはもともとスイスのスタジオ専属だった。
一拍おいて、、、訥々と話し始めた。
「ここで死んだら、、、俺が。
みんな、、俺が死んだ。って分かるよな。
でもモントルーなら、、、
みんな俺が死んだことを確認?できないだろ?」
「ロジャー、、、。」
「そうしたら、みんな、、、俺はモントルーに行ったんだ。
って思ってるよな。
モントルーに行ってここに居ないだけだって、、そう思うかな。って。」
強く彼の体を抱きしめる。
私の独占欲をなんて優しい、、哀しい思いで昇華してくれるのだ。
「私たちが湖に沈む時は、、、
旅に出る。と書き付けを残そう。」
「ブライアン、、、君まで、、死ぬことは無い。」
「君が居ない世界で私に一人で生きて行けと言うのか?」
「墓はどうする、、空っぽか?」
「レッドスペシャルのコピーモデルを入れておけばいいさ。6ペンスと一緒に。」
微笑んで口づけをかわす。もう言葉は要らない、ただ抱き合ってお互いの心臓の音を聞くだけ。
ロンドンに出て、世話になった教授や教え子にそれとなく別れを告げる。
年末からスイスに行ってしばらく向こうに滞在すると。自伝でも執筆するつもりだ、と。言わば隠居宣言だ。
「自伝の完成を楽しみにしています。」
無邪気にエールを送ってくれる。
アリサとクリスティの元妻たち、子供達や孫たちとも会食してやはりスイス行きを告げた。クリスマスのチャリティライブの話をしたら是非楽しみにしている。と言ってくれた。
ロジャーの病気を知っているのはアリサだけだ。彼女は私のスイス行きの真意を見抜いたようだが何も言わなかった。
だいたいの事をやり遂げてやれやれと一息ついた、と、気が抜けたのか?
インフルエンザに罹ってしまった。うっかり予防接種を忘れた報いだ。
けっしてロジャーに伝染してはいけない。
ルーカスの住居の西翼で療養するように勧められたが、小さな子供もいるしちょうどロンドンにいる時に発症したこともあり、久しぶりに論文執筆用に借りていた(今では改築中の自宅の荷物置き場とも化しているが)古いフラットの部屋で一人わびしく熱に浮かされて寝込むことになった。
「こっちも風邪やなんやで病人続出だぜ、熱が引いたらさっさと戻って来いよ。」
呑気にロジャーはそう言うが、
「インフルエンザはきついぞ、私も久しぶりに罹ったが堪えている。君に移したら大変だ。」
今は特効薬もあるし、普通の風邪より直りは早い。
そう言っても隙間風の吹く古い部屋に一人で寝ていると、さすがにメイドやジェイムズに傅かれての生活に慣れた身には気持ちが落ち込んでいく。
うとうとしていると夢なのか?ロジャーの声がする。
「だらしないなあ、肝炎が治ったら十二指腸潰瘍で今度は風邪かよ。
体弱すぎだぜブライアン!俺達がトップでアメリカンツアーの時に病気になんかなったら今度こそ殺すぞ!」
口の悪いロジャーが文句を言いながらもスープを作ってくれたり、りんごを切ってくれたりした。普段の態度からは思いもよらぬ甲斐甲斐しさぶりに、
すっかり甘えて口を開けると熱いスープを突っ込まれて噴き出したり。
楽しかった、思えば私は病気に苦しむロジャーに何をしてやっただろう。
薬を探したり、治療法を検索したりはしたが、いや食が進まない彼にポタージュを飲ませたりはした。だけど手料理のひとつ作るでなし、何かもっとできることがあるのではないか?
「ほら、ブライアン口を開けろよ。水を飲め。」
えらくリアルな夢だ。声も鮮明に聞こえる、もしかして幻覚を見るようになったのだろうか?インフルエンザの治療薬にはそう言った症状が出るものもあるとは聞いた。
「ほら頭を起こして、枕をもう一つ入れたほうがいい。」
誰かの手に頭を起こされて口元に病人用の吸い口のようなものを差し込まれる。口の中に冷たい水が広がって熱を持った頭に気持ちがいい。
誰かいる?この部屋に?
「だれ、、、?」
「しっかりしろよ。ダーリン俺の顔も忘れたか?」
またあの悪魔か黒い大きな口を開けて笑っている、、、、!
「ロジャー!?」
驚いて飛び起きた!
瞬間、激しい頭痛とめまいに襲われてもう一度枕に頭を戻す。
「大丈夫か?急に頭を上げちゃだめだ。まだ熱が高いんだ。」
「、、、ロジャー、、、本当に?ここにいるのか?私はいつの間にサリーに戻ったんだ。」
まだ熱に浮かされた頭でいつロンドンからサリーに帰ったのか考えるが記憶にない。かすかに見渡した天井も壁も、ロンドンの古いフラットの物だった。
「ここはロンドンだよ、ダーリン。心配だから様子を見に来たんだ。」
ロジャーはまた黒い大きなマスクをしている。
部屋の中は暖かかった。蒸気があがり適度な湿度がある。
「たく、暖房と加湿器くらいはしっかり点けとけよな。
ほら、汗かいただろ。拭いてやるよ。」
熱いタオルを絞って私の顔や首筋、胸元などを拭いてくれる。
「ばかな、、、近づいてはいけない。
インフルエンザなんだ、、、!伝染るぞ、、。」
弱弱しく抗議したが、熱いタオルで体を拭かれる気持ちよさに言葉が消える。
「俺は予防摂取したから大丈夫だ。
それに毎晩一緒に寝てたんだぜ、移るんならもう移ってるさ。」
「すまない、、、私が不注意だった、、。」
「疲れてたんだよ。俺のためにいろいろがんばってくれてたから、、ゆっくり休め。」
しかし、ロジャーに病気を移したくなくてこのフラットで孤独に耐えて療養していたのに、、私の苦労を一気に無駄にしてくれるロジャーの行動力には
あきれるばかりだ。
「ジェイムズ、君も一緒にいながら、なぜロジャーをここに連れて来た。」
私の洗濯物などを取りまとめていたジェイムズを咎めた。
「申し訳ございません、、、。どうしても行くとおっしゃって。
私がこちらに伺ってDrレイのお世話をいたします。と申し上げたのですが、、。」
先日の一件以来、ジェイムズはロジャーに頭が上がらなくてほぼ言いなりだ。彼を責めても仕方ないのは分かっている。
「来てくれたのはありがたいよ。でも自分の体をもっと気遣ってくれ。
私のことはいいから、早く帰るんだ。さあ、移らない間に。」
本当はうれしかった。涙が出そうなくらいうれしかった。
今さらアリサ達を頼るわけにも行かず、一人で古ぼけたフラットで熱に苦しんでいるのは心細かったし、孤独だった。
それを普段はまったく出かけたがらないロジャーが、、、自分もインフルエンザに罹患する恐れもあるのに、、感染したら命に関わる可能性も大きいのに、その危険を冒してまで、、。!-だがそうだった。ジャパンにも、自分の命を危険に晒してまで来てくれた。ロジャー!私のために!
「帰らないよ。」
ケロッとして言い放つ。
「ロジャー!だめだ、もし君に感染したら、、。」
「今帰ったらうちにインフルエンザウィルスばら撒くことになるかもしれないじゃないか?君が完治して俺もジェイムズも罹患していないって分かるまで帰れないだろ?」
最もな説だが、それではこの狭いフラットで三人で過ごすのか?
「さあ、スープだ。厨房係が作ってくれたぜ。マジでここ電子レンジしかないのか?鍋くらい置いとけよな。」
ロジャーは私の胸元にタオルを広げてスープを入れたキャセロールにスプーンを差し込んで飲ませようとする。
「自分で食べるよ。」
ここで料理はしたことはない。
デリカテッセンを買って来て温めて食べるくらいだ。
「ほら、口を開けて、、、ああ、こぼれるだろ。」
ロジャーは楽しそうだ。顔色はけして良くない。
スプーンを持つ手も一段と痩せた様で痛々しい。
「何だこのベッドは!狭い上にスプリングも効いてないし、最悪だな。
おいジェイムス!ケンジントン・マーケットへ行ってベッド買って来いよ。クイーンサイズのスプリングの効いたやつ。」
やめてくれ、クイーンサイズのベッドなんてこの部屋に入りきらない!すったもんだを繰り返して気がつけば、ちょっと疲れた。とロジャーは私のベッドにもぐりこんで眠りはじめた。
「ロジャー、、、移るぞ、、、、。」
しかし私も食事の後に飲まされた薬が効いてきて強烈に眠気に襲われる。
狭いベッドに二人、体を寄せ合って眠り込んだ。
ジェイムズ、、ロジャーを連れて帰るんだ、、。と、必死で訴えようとしながら、、。
昔の日々が夢に出ては現在に重なり、、うなされながらロジャーを抱きしめて口づける、、。片方で、”いけない”と叫ぶ自分を感じながらロジャーの体を離すことができない。私を翻弄する愛しい男。どこまでも一緒だ。
その日の夕方には熱が下がって来て私は回復期に入ったようだ。
結局ロジャーはインフルエンザには感染しなかった。
しかし冷や冷やしっぱなしだった。
サリーに帰り着くと使用人もルーカスも一応にホッとしていた。
私もつくづく安心した。いつの間にかここが落ち着ける場所になっているのだ。しかし気をつけなければならない、モントルーに行けば本当に二人きり。逃げ場はない。
ロジャーはロンドンで子犬を買った。自分の為ではない。
以前、厨房係の女性の飼い犬が高齢で体が弱り、飼い主の本人も心配で元気がないと言っていたがとうとう先日、その愛犬が亡くなってしまったらしい。その厨房係の女性のバースデーが間も無くだそうで、プレゼントに子犬を用意したようだ。
私の好物の絶品ポタージュスープを作る名手の厨房係の、失意を慰めるためのバースデーイベントにちょっとした演出を試みた。
厨房係の女性は”マリア”と言う名前だった。そこで私は歌の好きな使用人を10人ほど集めて”Ave Maria”のコーラスを歌わせた。彼らはたびたび、主人であるロジャーの歌声を聞き覚えており自分たちが参加できることに喜んで協力してくれた。
「おれはもう、声が出ないから、、。」
尻込みするロジャーも仲間に入れてコーラスを歌う。
ジェイムズが厨房係のマリアを連れ出してきた。
「さあ、マリアさん。ここに立ってください。」
主人の部屋に立ち入ったことのない中年の女性はおどおどと何がおきるのか不安そうだ。
「マリア、いつもうまい飯をありがとう。今日は俺たちから感謝の心を贈るぜ。」
突然背後に屋敷で働く使用人が集まって彼女を取り囲んだ。
そして私のピアノの伴奏に合わせてみんなで”Ave Maria”を歌い始めた。
粗野で声の大きさも高さもバラバラだが何度も練習したのでなんとか歌声が揃っている。とにかく歌詞もメロディも単純だから覚えやすい。
彼女は、みんなの歌にひたすらびっくりした呈で反応することができない。
「HappyBirthdayMaria!」
ロジャーが赤いバラの花束とバスケットを手渡した。バスケットの中には、、、
「まあ!かわいい仔!」
彼女はバスケットからピンクのリボンを首に巻いた茶色い小さなミニチュアダックスを抱き上げた。
「以前、飼っていた愛犬にはかなわないだろうが、、
その子のこともかわいがってやってくれ。」
「だんな様、、!ありがとうございます。」
彼女は子犬を抱きしめて涙を流した。
ほかの使用人も思い思いのプレゼントを渡して、思いがけないBirthdayを祝っていた。私はその犬用に首輪とリードのセットをプレゼントした。
しかし、歌を何より喜んでくれた。
「ありがとう。ダーリン。」
彼女以外の使用人たちも。ロジャーも。
「Birthdayは君の企画だ。」
「いや、みんなに歌を歌わせてくれて、、俺も感激したよ。
そうだ、キャシイと”サマーナイトブルース”も歌っておかなきゃな。」
12月に入って一段とロジャーは痩せて行く。このごろはギターやピアノを弾くのも大儀そうで、、。それでも毎日、小さな孫と庭の散歩は欠かさない。
その孫息子を私の養子にしてくれと言われた。人見知りでまだまともに顔も合わせていないルーカスの長男だが、、どうやら発達障害らしい。
「いまさら、私が養子を取ってどうするんだ。育てられないぞ。」
「育てるのはルーカスが育てるさ。名前が継げるだろう。」
「継ぐ?」
私とロジャーは結婚のしるしとして改名した。
”of Regina”
私はブライアン・ハロルド・レイ・オブ・レジーナ
ロジャーは ロジャー・セイラー・オブ・レジーナ。
改名しただけだ。どちらがどちらの籍に入ったとかではない。
私もロジャーも経済的にも自立しているし、子供たちもそれぞれ独立している。
もはや財産も分配して最後の希望は同じ墓に入るだけ、それでも何か形がほしくて。墓石に刻まれる名前を同じにした。
”オブ・レジーナ”なんてことはない、今までどおり、
ロックバンド”レジーナ”のロジャー・セイラー
”レジーナ”のブライアン・レイ。
みんなが聞いても違和感も覚えないだろう。
でも、これが私とロジャーの新しい名前だ。
そしてそれを受け継ぐ子供、それがルーカスの長男。
”ロジャー・ライオネル・セイラー・レイ・オブ・レジーナ”
長々しい名前だがかまわない。長じて彼がいやだと思えば好きな名前を選んでいい。祖父であるロジャーの名前を継いだ金髪の男の子、ロジャーにしかなつかない。
5歳なのに、文字も計算も覚えるのが早く一度聞いた曲はピアノでも弾きこなすらしい。あまりに早熟すぎて、周りの子供と遊ぶこともできなくて幼稚園も行きたがらない。つい先日までは、ロンドンのフェリックスの家で年長の従兄弟たちと育てられていたが最近戻って来たそうだ。
「あの子はルーカスの手には余るだろう。
できれば君に育ててほしいが、、、。」
まさかモントルーに連れて行くわけにもいかないだろう。
せめてロジャーの希望として私の養子として手続きをした。それだけだ。
しかしロジャーは体調の悪化が顕著に現れ始めた。
しきりと血を吐く、黒っぽい粘着質の血液。医師達はついに胃に癌が転移したと診断した。
「このヘリティジのベッドと別れるのは寂しいな。」
「では向こうにも同じベッドを置こうか?」
必要な家具なども選ばなければならない。
「いや、俺のものは介護用の物を選べ、これからは必要になる。」
たしかに今でもそろそろ不便になって来ている。ベッドから起き上がれなくて食事をさせる時枕をいくつも重ねて体を起こさなければならない。
ザックが見舞いにやって来た。
「ロジャー、、、、具合はいかがですか、、?」
ロジャーのあまりの憔悴ぶりがザックにも分かるらしい。言葉を詰まらせる。それでもロジャーは立ち上がってザックを抱きしめた。
「わざわざ来てくれてうれしいよ。」
私も強くハグをした。前回はジャパンまで来てくれた、恋敵だが我々の息子同然のザック。ロジャーと作った曲”the Shape Of Love”を発表した報告を兼ねての訪問だ。
ポップスではないので大ヒットにはなってはいないが、それでも曲の美しさとロジャーの18個のコンガの音が話題に取り上げられているそうだ。
「けっこう騒がれました。みんなに聞かれます。
”アールス”は誰だ?って。」
「なんて答えているんだい。」
「私の大事な人です。と、、ブライアン。」
ふっふっふ。と笑いを含んで答えるところがかわいいところだ。
”ザック&アールス”と言うコンビ名で発表したり、なかなかしゃれを楽しんでいるが
「曲のできた経緯とかは?」
「それは秘密です。でも約束どおり、収益金はユニセフや慈善団体に寄付されるようにしています。」
「ありがとう。ザック。君の分までしなくてもよかったのに。」
”アールス”とはロジャーがよく使うニックネーム。
イニシアルの”R”と”S”で”アールス”。
昔から他のアーティストに楽曲を提供したり、ドラム以外で参加したりした時はこのネームを使っていた。
「いいえ、あの曲は自分でもとても気に入っているので、、
記念にしたかったのです。」
ロジャーはこの頃腕力も落ちてきて、もうヴィオラやチェロのネックの弦を押さえる力も弱くなってしまった。最近私たちの遊びはロジャーの背中を抱くようにしてギターのネックのフレットの弦を私が抑える。
そして右手でロジャーが弦を弾く。右手と左手を別々に使って弾く。
ルーカスは
「神業みたいなことやってるね!」
と驚嘆したが私たちには軽い遊びだ
「素晴らしいです!まったく一身同体ですね。
僕には一人で弾いているとしか聞こえません。」
「ザック、君もやってみるか?」
「いいのですか?ロジャー!ぜひやってみたいです。」
「だめだ!これは私だけの特権だ。いくら君でも許さないぞ。」
私は断固拒否した。
ザックは、盛大に残念がって見せる。ロジャーは笑う。しかし、もうドンペリのゴールドも杯を重ねる気力もなくロジャーは次第に疲れて行く。
「ロジャー、どうか横になってください。無理に起きていなくていいです。」
ザックは弱視で輪郭が朧に見えるだけなのだが、ロジャーが消耗して行くさまが感じられるのか?彼の体調を察して気遣う。
「ザック、いいから。それより何か聞かせてくれ。」
「、、はい、僕が弾いて、、それであなたが元気になってくれればいいのですが?」
私はロジャーをカウチに移した。ここならばまだ体を横にできる。
ザックのチェロはいつ聴いても心が洗われる様だ。
無垢な彼のハートそのままの美しい情感が心地よい。
ロジャーも目を閉じて、ザックの醸し出す美しい空間にたゆたっている。
「僕もスイスに家があります。
モントルーにも行きますよ。イギリスより通いやすいです。」
そう言ってザックは去って行った。名残惜しげに、、、。
いつもならば車まで見送るロジャーなのに今日は部屋で別れを告げた。
私がザックを見送って部屋に戻るとロジャーの姿がなかった。
「ロジャー!?」
だるそうにカウチに横になっていたのに、、。
いやな予感がしてラバトリーのドアを急いで開ける。
「ロジャー!」
洗面台は彼の吐いた血で赤黒く汚れていた。
ドアのすぐ直後から洗面台まで点々と続く吐血の痕。
ロジャーは洗面台の後ろの壁に背を持たせかかるように倒れていた。
「たいへんだ!誰か!?ハリソン!」
抱き起こしながらもロジャーはまだ咳き込んで血を吐き続けている。
「ジェイムズ!誰か、当直医を呼べ!」
抱きかかえてラバトリーを出るとベッドへ運んだ。
「誰か!?」
叫ぶが、こんな時に誰もいないのか?出てこない。
吐血を抑えようと彼の首のストールを口元に持って行く。
「ジェイムズ、、、!」
ジェイムズはザックを送って外に出ていた、、、当直医達は、、?
メディックに直通のベッドサイドのインターフォンのスイッチを入れて叫ぶ。
「誰か!いないのか?」
しかし、、、ロジャーが私の手を掴んだ。
「もう、、、いい、、。」
「ロジャー!」
血まみれの手で、、血にぬれた顔で、、。
「ブライ、、、アン、、もう、、解放して、、くれ。苦しい、、。。」
「ロジャー、、、何を言ってる、、。がんばるんだ。」
彼の体がどんどん冷たくなっていく、、
どのくらい血を吐いたのか?輸血が必要なのか?
頭がぐるぐると回って考えがまとまらない。
なぜこんな時にハリソンも誰も来ないのか?
「、、お願いだ、、、もう、、終わりに、、させてくれ、、、。」
青い瞳から涙が流れる、
息苦しそうな呼吸が時々、苦し気に止まりそうになる、、。
”病気に殺されるより、あなたに殺されたい。って、、”
ルーカスの言葉がよみがえる、、
癌に、、病気にロジャーが殺される、、それよりは、、。
青い瞳、、、初めて会った瞬間から私を捕らえて離さない、美しい青い瞳。
「ブライアン、、、お願いだ、、、殺してくれ、、、。」
私の上で怪しく乱れながら何度も懇願した、、、
白い首をのけぞらせて、、。
無意識に自分の指がロジャーの白い細い首に巻きついていくのを呆然と見つめる。
”俺が君を世界一のロックバンドのギタリストにして見せるぜ!”
そう言って私に向かって手を差し伸べたロジャー。
その手を握り返した瞬間から私たちの運命は決まっていたのだ。
初めて彼と演奏した瞬間、初めてフレディの歌を聞いた瞬間、、!
初めて”レジーナ”としてステージで聴衆の前に立った瞬間。
いや、ロジャーと私が出会った瞬間、すべては今に向かって動き始めたのだ。運命が!
ロジャーは満足そうに笑った。
「愛している、、。」
「私も愛してるよ、、ロジャー、、。」
彼の顔を濡らしているのは私の涙だろうか?
「キスが、、、ほしい、、。」
彼の唇は紫色になってゆく、、、
だが、私の指は力を緩めない。
顔を下げて口づけをした。
長く、長く、、どんどん彼の唇が冷たくなって行く。
ロジャーは腕を上げて私の頭を抱いた。
私の髪に指を絡ませて、、、しかし、、、力が抜けて、、腕が滑り落ちる。
ゆっくりと彼のまぶたが落ちて、青い瞳を隠した。
私は泣きながら彼の首を絞め続けた。
世界は私の周りで揺れ始め轟音を上げて崩れていく。
しかし、負けてはいけない。
激しく揺らぐ世界、私とロジャーを引き離そうと圧力がかかるが、、
けしてロジャーを離さない、、、。強く!強く彼の首を絞める!
そしてその最期の息を吸い取るように口づけを、、、。
ふいに私は闇に引きずり込まれた。
周囲は真っ暗だ、ここは地獄だろうか?
ロジャー!ロジャーはどこだ?
けっして離れない。離さない!ロジャー、、、!
”、、、、イ!、、、、、レイ!、、、、、て。”
「、、、、、、、、。」
「、、、レイ。、、、、、クター・レイ、、、
しっかり、、、てください。」
次第に目の前がほの明るくなって、ぼやけながらも輪郭が見えて来た。
何も考えられない、、、。何がおきたのだろう、、、?
「Dr.レイ、、、!大丈夫ですか?」
「、、、ジェイムズ、、、?」
頭が痛い、、、まだインフルエンザが治らないのか?
ロジャーは?彼に移してはいけない、、。
冷たいタオルが私の顔半分に当てられて、、
その部分が熱を持って熱い。
「Drレイ!大丈夫ですか?しっかりしてください。」
「、、私は、、どうしたのだ、、、?」
ゆっくりと体を起こした、、ここは、、ロンドンではない。
いや、今日はザックが来ていたはずだ、、。
「大丈夫ですか、、?頭痛とか、、気分は悪くありませんか?」
私が、、?どうした、、?だが、気がつくと騒がしい、、。
「Mrセイラー!Mrセイラー!」
声のほうを見ると、ロジャーのベッドに大きな男が覆いかぶさるように
体を上下させている。思わず不快感を感じて、ゆっくりと立ち上がるとベッドに歩み寄った。さすがにふらつく、ジェイムズが私を背後から支える。
「Mrセイラー!しっかりしてください。早く!イソプロテレノールを!」
ハリソンが珍しく取り乱している。こんなに焦った顔もできるのだ。
ロジャーは、、、、酸素マスクをされて蒼白な顔がどす黒く血に汚れている。
ハリソンはロジャーの胸をくつろげて、胸部圧迫をしている。
「待て、、、!」
反射的に声が出た。凶暴な目つきでハリソンが私を振り返る。
しかしそんなものに怯む私ではない。
「胸部圧迫を続ければロジャーの肋骨は骨折するぞ、、。」
不意を突かれた顔でハリソンは動きを止めた。
「電気ショックは?」
「使用拒否されていて、、、西翼にAEDが、、。」
苦々しそうに答える。私はロジャーを見た。
気道確保の為に頭を仰け反らせる様に顔を上げている。
顔の血を拭いてやりたかった。しかし酸素マスクを剥ぎ取ると彼の額と顎を抑えて口を開け、私の唇でそのすべてを覆った。ゆっくりと息を吹き込む、文字通り息を。やや置いてもう一度繰り返す。反応がない。
「例え肋骨が折れても、、、このままでは、。」
ハリソンを無視してもう一度息を吹き込む、、
かすかに喉が動いて弱々しくロジャーが咳き込み始めた。
「マスクを!」
ハリソンはもう一度ロジャーに酸素マスクを付けた。
呼吸は浅く、か細い。ハリソンは酸素濃度を上げて酸素量を測る。
大きく息を吐いたのは私だ。ロジャーでもハリソンでもない。
「どうなんだ、、?」
「心臓も呼吸もかすかで、、弱くて、、危険です。」
「だめか?」
「何がですか?」
彼は何が聞きたいのか?頭が働かない、、顔がズキズキ痛んで来た。
「ロジャーは、、、助かるのか?」
「このまま呼吸が回復すれば、、、。」
私は自分の顔に当てられていたタオルを手に取って愛する男の顔を汚している血の跡を拭き始めた。
ハッとして看護士がアルコールでロジャーの顔を拭き始める。
ジェイムズもお湯で温めたタオルを持って来た。
「どのくらい血を吐いたか分かるか?」
まだ私に猛々しい眼差しを送って来る大男に起源となる事態の把握を求めた。
「ここ以外でも吐血を?」
「ラバトリーで吐いていた、おそらく200ccはあっただろう、、。
君を呼んだ、、、だけどいなかった、、、。。」
大男は顔色を無くしながらラバトリーに向かった。
「ジェイムズ、、、ラバトリーを、、きれいにしてやってくれ、、。」
「Drレイ、ご気分は大丈夫ですか?」
彼は同病相哀れむ、と言った表情だった。
先日ロジャーを刺そうとした彼を止めたのは私だ。
「どうしても、、手を離さなくて、、それでどうしようもなくて殴ったと。
申し訳ありません私が、バウザー様をお見送りした後、庭師に声をかけられて、、。」
あの時、ジェイムズかハリソンかいれば、、、私はどうしただろう?
ロジャーは目覚めるだろうか?
彼にはこのまま息を吹き返さないほうが幸せなのだろうか?
あんなに苦しんで、、、首を絞めた私をうれしそうに抱いたのに。
「許してくれ、、、。」
何に許しを乞うのか?彼を殺そうとしたことか?それとも助けようとしたことを?輸血をされてしばらくすると呼吸と心拍数が安定して来た。
大男は大きく息をついて、一拍置くと、
「、、殴ってすみませんでした。」
相変わらず謝意がまったく感じられない。
「いいさ。」
彼にしては正当な行為だ。
「だが、私が呼んだ時何をしていた?」
大男は一瞬、言いよどんだ。
「日勤の医師とキッチンで、夕食を取りながら申し送りをしていました。」
私はもう、何も言わなかった。それはタイミングなのだ。
ロジャーは、、どんな反応をしめすだろうか?
かわいそうに、今度こそ死んだと思っただろうに、、何度こうやって目覚めただろう。また生きていて、、がっかりするだろう。
その失意は計り知れようもない。
「私は、、、なんて中途半端なんだ、、、。殺してさえやれない。」
「Drレイ、、ご自分を責めないでください。」
ジェイムズは私を抱かんばかりに肩を寄せて慰めてくれる。
「だんな様は、先日、、私の無作法を、、ご自分のせいだとおっしゃいました。」
「ロジャーが、、、?」
「はい、人がご自分を殺したくなるのは、、ご自身がそれを強く望んでいるからだ。と。
ご自分にはそれを相手に対して強烈に要求する力がある。だから、ご自分を殺そうと思うのはだんな様の強く死を願う気持ちが感染したせいだと。
けっして私をお責めになりませんでした。」
あの時、ルーカスに預けたジェイムズに会いに行ったロジャーはそんな事を語っていたのか?ルーカスも父親を殺しかけたと言っていた。確かにそうかもしれない。
だけど私は、自分の意思で彼の首に手をかけたと思いたい。
看護士は私の体調を確認した。脳に影響がないか?不安なのだろう。
顔を殴ってしまったのは、後頭部だと危険なので、、。とこちらは本気で謝っていた。私も休むように勧められたが心配で枕元から離れられない。
ハリソンも付きっ切りで容態を見ている。
翌朝、ロジャーはうっすらと目を覚ました。
「ロジャー、、、、。」
かける言葉を探した、、、大丈夫か?とか、
気分はどうだ?とか、、。しかし。
「すまない、、。」
どこまで記憶があるだろうか?
それよりも、呼吸のない時間がどのくらい続いたのか?
脳に損傷があったなら、?前後の記憶が飛ぶ場合もあるらしい。
ゆっくりと私の方向を向いた。まだぼんやりした眼差し。
だけどいとしい青い瞳。
やはり生きていてくれることがうれしい。
彼の手を取って頬に押し当てて、涙がこぼれた。
「すまない、、、。」
彼はその指先をかすかに動かして流れる私の涙をぬぐった。
翌日の朝ハリソンが荷物をまとめて挨拶に来た。
「お世話になりました。」
「改まってどうしたのだ?」
やっとしっかり意識を回復したロジャーの傍にいた私は大男の様子に違和感を感じた。
「ヤツはクビだ。」
ロジャーが一言、言い放った。
「クビ?なぜ?」
ロジャーはそれ以上言葉を続けない。
ハリソンも何も言わなかった。しかし後ろから看護士が
「Drレイ!ハリソンがあなたを殴ったのは、、どうしてもMrセイラーから手を離さなくて、、、!
僕と二人掛りでなんとか引き離そうとしたのですが、岩の様に動かなくて、、、緊急で、、本当に緊急事態で、、申し訳なかったのですが殴るしかなくて。本当です。悪意ではないのです。どうか考え直してください!」
必死で取りすがるように、同僚のために謝っている。
「まったく無口なのもほどがある、少しは弁解ぐらいしたらどうだ。」
ロジャーの方を見ると横を向いて、聞く耳を持たないと示している。
本当にこの男はいつまでも子供だ。
「ロジャー、、分かっているだろう。悪いのは私だ。
ハリソン!辞めることはない。ロジャーも本気じゃない。
荷物は置いて、、いや、もう夜勤明けか。帰っても良いが辞めるんじゃないぞ。キャンベルにも私から連絡しておく。」
「クビだ!二度と来るな!」
重ねて追い討ちをかける。
「ロジャー!怒るぞ!
今回の件でハリソンをクビにしたら私もここを出て行くぞ!」
「、、、、、、、。」
「ロジャー、君もハリソンは信頼していた。ジャパンまで付いて行ってくれたじゃないか?私を殴ったことを怒っているなら、君の首を絞めた私を君が殴れば良いだろう。」
「、、、よく分からん解決法を提示するな、、。」
しぶしぶロジャーは態度を和らげた。
「ハリソン、もう行って良い。だけど週末になったらまた来てくれ。
大丈夫だ、ロジャーはそのころはもう忘れてるさ。」
「、、、、、。」
無愛想な男は最後まで無口で何も言わずに踵を返した。
「ありがとうございます。僕も、今日は失礼します。」
看護士の方はきちんと礼を言って立ち去った。
まったくこの二人は似たもの同志かも知れない。
しばらくして、やっと落ち着いた
「ロジャー、、、すまなかった。」
「君が謝ることはない。」
枕に上体を預けながら大きく息をついた。
「君こそ俺のために死に掛けたり、刺されたり、殴られたり、、
インフルエンザになったり、、散々な目に遭っている。
俺が謝らなければならんだろう。」
「心筋梗塞もインフルエンザも私の健康管理ができていなかったんだ。
殴られたのも自業自得だ、君のせいなんかじゃないよ。」
「いや、、、俺のために無理をして、、、ストレスを与えた。」
彼を抱きしめる。
自分の苦しみだけでも精一杯だろうのに、、私のことまで気遣って、、。
「君を、、、殺しきれない、、
優柔不断な私だ、、
君を一番苦しめているのは私だ。」
彼の指が私の背中をなだめるようになでる。
「ブライアン、、苦しまないでくれ、、、
俺のために、、、、これ以上苦しまないでくれ。」
彼の唇、、あの時どんどん紫色になって冷たくなって行く彼の唇に口づけた。もう一度口づけられる、、、愛しい唇。
「やばいな、ヤりたくなって来たぜ。」
一層細くなった彼の背中を痛々しく抱きしめていると、、
「ふふふ、、だってさ、、
俺がフィニッシュする時、君が首を絞めてくれるから、、
もう癖になっちゃってさ、、あの時も思わずイキそうになったぜ。
まったくイカれたテクニックだな、ダーリン。」
「何度だって抱いてやるさ、、、
私のヒヒ爺ぶりを見くびってはいけない。」
私の負い目を笑って吹き飛ばそうとしてくれる、ロジャー。。。
ハリソン、良くぞ殴ってくれた。もう一度ロジャーを抱きしめられる。
本当に腰のあたりが熱くなって来た。背中がうずく、、、
ロジャーの目を見ると彼も頬を高潮させて悩ましげな流し目を送ってくる。
こうなったら体に障るとか、、もう言っている場合ではない。
私達には時間はないのだ、、。
そのままベッドに乗り上げて彼の首筋に唇を落とす、、
「ああ、、、ブライアン、、、。」
熱い吐息を吐きながらロジャーの体が波打つ。
彼の足が私の股間を刺激する、、。
「愛している、、、私の命、、、。」
お定まりの台詞を耳元でつぶやいてそのまま耳たぶに噛み付くと、、、
「、、、、、あの、、、申し訳ありません、、、。」
遠慮がちな声がした。。
「、、、、、、、、、、、、、、、。」
「申し訳ありません、、、Drキャンベルがいらしておりますが、、、、。」
ジェイムズが最大級の遠慮を発揮しながら来客を告げた、、、。
「2時間待てと言え!」
ロジャーの帝王ぶりも懐かしい。しかし、、、、
「すまん、、、。」
「あ~あ、、、またかよ。ダーリン。」
この程度で萎えるなよ、、、。と私を突き放す。
「ジェイムス、、お前もわかってるだろ?
俺たちはヤりたい盛りのオールドボーイだ。
盛ってる最中は客なんて取り次ぐな。」
ジェイムスはまるで平身低頭と言った様で申し訳なさ気に汗をかいている。
「申し訳ございません!
ですが、大変あわてていらして、、
普通ではないご様子で、、。」
そう言えばキャンベルが来る時は必ず前もって連絡があった。それが今日は前触れもなく、、しかも、、まだ月曜日の午前中だ。
「キャンベルが、、、今ごろ?何の用だ。」
もしかしてハリソンのことか?
「ダーリン、どうする?会うか?」
めんどくさそうに、、いや、やはりまだ体が辛いのだ。
ロジャーはまだ万全ではない。
客に会うには負担が大きいだろう。
(自分がその万全ではないロジャーに
何をしようとしていたのかは棚に上げた。)
「まず私が会って来よう。それでいいか?」
「いいぜ、、頼む。」
そう言うと枕を倒して上掛けをかぶった。
服装を改めるべきかと思ったが、
慌てていると言うし取り繕っている場合でもないので
昨夜からの姿のままリビングに向かった。
「Drレイ!こんな時間に突然すみません。」
挨拶もそこそこに立ち上がって歩み寄って来る。
慌てていたにしてはやけに洒落たいでたちだ。
「やあ、ダニエル!こんな時間からどうしたんだ?」
キャンベルは一瞬私を見て驚いた様に立ち止まった。
忘れていた。ハリソンに殴られた顔は痣になってまだかなり腫れている。
「すまん、年をとると外見にかまわなくてな。無様な格好で申し訳ない。」
「いいえ、、、。」
「どうしたのだ?今日は仕事じゃないのか?」
キャンベルは何とか立ち直って言葉を発した。
「はい、今日は休みを取っていて、、、
それが、、ハリソンから連絡があって。」
「ハリソンか、私も彼のことで連絡しようと思っていたのだが。」
「えっ!では今回のことはやはりMrセイラーが彼を誘ったのですか?」
どう言う事だ?ハリソンを誘った?
「待て、ダニエル。最初から話してくれ。」
「は、はい。ハリソンが電話で、、病院を辞めたい。と。」
「辞める?病院を!?」
私は鸚鵡返しに聞き返した。
「理由を聞いても言わなくて、、でも、
ちゃんと訳を聞かないと許可は出せないといいましたら、、。
スイスに行きたい。と、スイスの病院に勤めたい。言い出して。」
「スイス!?」
「Mrセイラーとあなたは年末にスイスに行かれる予定だと聞いています。
もしかして同行を依頼されたのか?と、聞きましたら。あくまでも個人的な問題だ。と、言うのですが、、。」
まったく初耳だ。スイスに行くなど、聞いたこともない。
我々のモントルー行きを告げた時もはかばかしい反応もなかったのに。
「それどころか、あなたに無礼を働いて、Mrセイラーにクビを宣告されたとも言っていました。」
キャンベルは私の顔の腫れを気にしながら言った。
「それは、私が悪かったのだ。
彼は私を止めるためにやむなく取った措置だ、彼にもクビはない、週末はまた来るように言っておいたのだが、、。
しかしスイスに行ってどうするのだ?もしかして、、?」
私たちがモントルーに行った後、ハリソンとコナーはジャパンに研修に出すように薦めていた。
キャンベルを待たせて私は一旦ロジャーの元に戻った。話を聞いたロジャーは笑い飛ばした。
「面白い男だな。素直に一緒に行きたいと言えばいいのに。」
簡単に切って捨てる。
「一緒に?私たちと?」
「あいつは俺が弟と同じなんだと、
たく、親父か爺さんだろ。普通。
なんで俺があいつの弟なんだよ。」
「おとうと?彼の?」
「あいつは、弟を亡くしてるんだ。小児がんでな。で、医者を目指した。そんで俺が似てるって言いやがった。この俺に向かって。自分より何十歳も年上の俺にさ。」
ロジャーはハリソンを詰りながらもうれしそうだった。何より、、
「ばかな男だ、、。」
目頭を潤ませる、、。悔しい、私より今はハリソンを思っているな。
キャンベルを私室に呼んで話をした。
ハリソンはジャパンに行かせる。
むろん州立病院から派遣研修医として。
「あいつの繰言なんか気にするな、、。
病院でコナーとハリソンのジャパン行きを発表するんだ。
穴あけにはファンデーションから人材を派遣させるぜ。」
ハリソンには週末ちゃんとここへ来るように伝えろ。と念を押す。
「キャンベル、君にも世話になった。」
それにしても今日はめかし込んでどうしたんだ。キャンベルはグレンチェックの三つ揃いのスーツを着てなかなかのダンディぶりだ。
「実は結婚記念日で、、この後、妻と出かける予定で。」
照れながら告白した。
「それは記念日にとんだハプニングだったな。ちょっと待て。」
ロジャーはキャンベルに赤いバラの花束とドンペリを持たせた。
「君の細君に進呈してくれ。」
キャンベルはしきりと恐縮しながら帰って行った。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
17 / 20