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ひいじいちゃんのその前の代から、都に店を構えて80年。そこそこ歴史のある我がミラーズ洋品店は、現在、経営危機の真っただ中だ。
お客さんの影もない、がらんとした店の中を見回しながら、はあ、とため息をつく。
かつては、色とりどりのドレスや紳士服がいっぱい溢れてた店内も、今は数着が寂しく飾られてるだけだった。
経営が苦しいから貴重な布をサンプルに使えず、オーダーを頂いて辛うじて回すことしかできない。店で抱えてたデザイナーさんも次々辞めて行ったから、最新の流行に乗りきれない。
オレも一応デザインは学んだけど、やっぱり女の人のドレスには疎いし。店に残ってくれたベテランデザイナーのオバサンたちだけじゃ、状況を挽回するようなドレスは作れそうになかった。
紳士服のデザインはそうそう変化はないし、仕立ての良さはどこにも負けない自信はあるけど、それだってドレスと一緒に注文されるのが普通だ。
最新の流行に沿ったドレスを作れない、落ち目の店に注文してくれるような奇特な人なんて、ほとんどいない。結果的に紳士服のオーダーも落ち込んでしまって、もうどうにもならなかった。
じいちゃんの代からずっと勤めてくれてる、職人のおじさん、おじいちゃんたちは、「一蓮托生だ」って言って店に残ってくれてるけど、お給料だって十分に払えてはないのに、申し訳ない。
でも、どうにかしたくても、どうすればいいのか分かんなかった。
こんな状況に陥ったのは、布を仕入れに行った両親が、布を乗せた馬車ごと崖から転落して亡くなったからだ。
大きな晩餐会を控え、ドレスや紳士服の注文を大量に受けてたのに。それを作るための布のほとんどを失って、注文を果たせなくなってしまった。
両親の死にショックを受けてる暇もなく、払戻金や賠償金、そして布の代金の支払いに追われ、蓄えてたほとんどの財産を失った。それでも店は残ったけど、一度失った信用は取り戻せない。
晩餐会に間に合うよう、周辺のお店に頭を下げて、うちの分のドレスの注文を引き受けて貰ったのはいいけど、そのままお客さんは戻って来なくて、今こんな状況だ。
布の仕入れ先の人には、同情もあるんだろうけど、最新の織物を優先的に紹介しては貰ってる。けど、新しく布を仕入れたって、注文してくれる人がいなければ、仕立て屋はやってけない。
ひとりじゃ頑張れない。
「もう無理なのかな……?」
がらんとした店内を見回すたび、ため息しか出ない。
援助を申し出てくれる人はいるけど、それに「はい」とうなずくのにもためらわれて、ぐるぐる考えるしかできなかった。
奥のカウンターで、丸椅子に座ってぼうっとしてると、店のドアがカランと鳴って、店内に誰かが入って来た。
「い、……」
いらっしゃいませ、と言いかけた言葉が、入って来た人の顔を見て止まる。お客さんかと思って期待したけど、お客さんじゃなかった。
「やあ、クリフォード君」
にこやかな笑みを浮かべ、壮年の紳士が帽子を脱ぎながらオレに挨拶して来る。態度は丁寧だけど、その目はまっすぐオレに向けられてて、ちょっと苦手だ。
けど、苦手だからって嫌な顔はできない。
「こんにちは、ミスター」
真面目な顔で挨拶を返し、丁寧に頭を下げる。
ミスター・モブレット。彼は金融業を営んでる資産家で、うちに援助を申し出てくれてる、すごく奇特な人だった。
街の噂を集めてみたけど、特に後ろ暗いことはないし、犯罪に手を染めてる訳でもないみたい。商売はちょっと強引なとこがあるらしいけど、金融業って、そんなものかも。
人となりは悪くないし、資産は十分みたい。もし援助を受けるなら、お店を元のように盛り立ててもくれる、って。
残ってくれてるデザイナーや職人さんのためにも、何よりこの思い出のあるお店を守るためにも、援助を受けた方がいいのは分かってる。
けど、どうしても踏ん切りがつかないのは、援助を受ける条件に、ちょっと問題があるからだ。
「クリフォード君、そろそろ考えてくれたかな?」
亡くなった父と、そう年の変わらない紳士の手が、そっとオレの頬に触れる。それをあからさまに避ける訳にもいかなくて、オレはビクッと肩を竦めた。
ミスターから出された条件は、オレが彼の愛人になること。
週に1度か2度、彼の求めに身体を差し出すだけで、店を続けるのに十分な資金をくれるらしい。そしたら80年続いたこの店を手放す必要もないし、デザイナーさんや職人さんに、給料も払える。
新しい布地だって買えるし、前みたいに店内をドレスのサンプルでいっぱいにもできる。腕利きのデザイナーさんだって、雇える。
そしたらお客さんだって、戻ってくれるかも知れない。けど――。
「あの、もうちょっと、考えさせてください」
じわっと赤面しながら、バッと頭を下げ、紳士の右手から逃れる。
好きな人がいるから、他の誰かの愛人にはなりたくなかった。それは彼にも伝えてるけど、それでもいいって言ってくれてるんだから、ホントに奇特な人だと思う。
「そう……。まあ、ゆっくりと考えるといいよ」
右手を引っ込めて笑ってくれる彼は、まさに紳士で、イイ人だ。愛人になったって、きっと大事にしてくれるんじゃないかって、そう思う。
奥様はいらっしゃるみたいだけど、オレみたいな人間に援助をするのも、上流階級の嗜みだからって、特に気にしてはないらしい。
問題はオレの気持ち1つだけで――でも、それが1番重要だった。
ぽんぽんと肩を叩かれ、姿勢を戻したところで、店の入り口がカランと開いて、また誰かが入って来た。今度こそ、お客さんみたいだ。
「い、いらっしゃいませ」
店に入って来たのは、未だに注文をくれる数少ない常連の1人、で。
カッと赤面したオレを見て、片思いの相手だって分かったみたい。ミスター・モブレットは後ろを振り向き、分かったような態度でふっと笑った。
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