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「ありがとうございました!」
帽子を脱いで、ハキハキと頭を下げた引越し屋のスタッフ2人に、「お疲れ様っした」と言って、缶コーヒーを2本渡した。
扉がパタンと閉まった後、ダンボールの積み上がった新居を振り向いて、ふう、と息を吐く。
葵と違って割と何でも捨てるたちだから、荷物は少ねぇと思ってたけど、こう見ると結構ある。
この分じゃ、葵の分は相当な量になるんじゃねーか? あいつの荷物が届くまでに、全部片付けておかねぇと……。
そう考えたら気が急いて、オレはさっそく手近なダンボールを開封した。
名古屋から東京に戻って、2か月半。
オレはようやく加納との同居を終えて、新しいマンションに引っ越した。
オレとしては1月からでも、あの元の部屋で葵と一緒に住みたかった。けど、葵がどうしてもイヤだっつーから仕方ねぇ。
「槇君がイヤなんじゃないんだよ? でも……」
泣きそうな顔で言った葵に、オレは「分かってるよ」って頭を撫でてやるしかできなかった。
あの部屋はイヤだ、と――そう思わせたのは、オレだ。
オレ自身も、もうあの部屋に未練はなかった。
葵がオレに知らせず出てった後、代わりに住みついた加納のせいで、すっかり空気が変わっちまったし。
空気っつーか、ニオイっつーか……いや、部屋の温度さえ、葵と加納とじゃ全く違う。
思い出の詰まった部屋で、他人と同居してみて、初めて分かった。葵がいかに優しかったか。優しい空気を作っていたのか。
単純に同居人、ルームメイトとして考えりゃ、加納の方がオレにはぴったりだったかも知んねぇ。
詮索しねぇ、束縛しねぇ、フィフティフィフティで、お互い様。加納はそういうトコきっちりしてて、ドライで、付き合いやすいヤツだった。
ただ、加納は葵の幼馴染で――葵の味方だ。
葵を泣かせたオレに、当たり前だけどイイ顔はしねぇ。
表立って責めたりはされなかったけど、無言の圧力を感じるっつーか……居心地が悪ぃっつーか。マジ、この2ヵ月半の間は、針のムシロに座ってるみてーだった。
いや単に、オレのやましい気持ちが、そう感じさせてるだけだったのかも知んねーけど。
とにかく、前と同じ部屋にはもう戻りたくねぇって葵が言うから、オレは仕事の合間をぬって、不動産屋を回った。
ある程度はネットで調べられるけど、やっぱ実際に現地に行って、自分の目で確かめねーと怖ぇ。
葵と一緒に住める2LDKで、駅近でコンビニ近でスーパー近で、互いの通勤に不便じゃねーとこ。そんで、家族限定とかじゃなくて、男2人でも住めるとこ。
そんな条件で懸命に探して……やっと1件、納得できる物件が見つかったのが、先月の末のことだ。
一方の葵は、新居探しに消極的だった。
「オレは別に、このままでもイイよ」
そう言って、不動産情報にもろくに目を通さなかったくらいだ。
でも、このままでいんのはオレがイヤだった。
なんで、恋人でも親友でもねぇ他人と同居しなきゃなんねーんだ。この先も、加納とルームシェアを続ける意味が分かんねぇ。
加納だって、ルームシェアの解消には反対しなかったのに。
「槇君、ムリにオレと同居してくれなくても、いいんだよ」
会う度、葵は何度もそう言って、うつむいた。
「ムリなんてしてねーよ」
オレも何度もそう答えた。
「言っただろ、お前のこと、もう家族だと思ってるって」
最終的に、葵は「うん……」とうなずいて、小さく笑う。いつもいつも。
毎度毎度、会う度に同じ会話、同じセリフで、正直よく飽きねーなと思う。
付き合うオレもオレだけどさ。
儀式みてーに、同じセリフをやり取りした後、キスしてギューッと抱き締めてやれば、ちっとも太らない体にギョッとする。
一緒に住み始めたら、美味いモン一杯食わして、もっと肉をつけさせようと真剣に思う。
葵も、痩せちまった自分の体を、かなり気にしてるみてーだった。
クリスマスに名古屋で拒まれて以来、実はまだ、一回もセックスをしていねぇ。
オレが「勝手に乗っかって勝手に動け」とか、葵にヒデーこと言って強いたセックス以降だから、もう半年くらいになるんかな。
まず、裸になんのをイヤがるってのもあるけど、何よりそういう雰囲気にならねーっつーか……場所に恵まれねぇせいだ。
オレんとこには加納がいるし。加納が留守の時だって、あそこに足を踏み入れんのも葵は嫌がってたから、会うのは大体外か、葵の部屋だった。
葵が「寂しい」つって飛び出した先は、鉄筋のくせにやけに壁の薄いワンルーム。
隣のテレビの音が聞こえるくらいだから、そりゃ寂しくはねぇんだろうけど……「ここじゃ、イヤだ」って言う気持ちも分かるし、オレだってイヤだ。
名古屋の寮も壁が薄そうだったけど、さすがにそこまで酷くなかった。
まあ、そんながっつく程セックスしてー訳じゃねーし、引っ越して、同居始めて、まずはそれからだと思ってる。
まずは――同居が先だ。
もう、「寂しい」なんて絶対に言わせねぇ。
泣かさねぇ。
加納とも、そう約束した。
全部、今日から、また始めるんだ。
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