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prologue
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いくら『上』からの命令だと言っても、休日のひとときを楽しんでいた俺に、電話が来たときは泣きたくなった。
嘘だろ……これから、スーパーの福引きがあんだよ。列が。せっかく取った先頭が。
全部が台無しになるような急用だ。
よっぽどのもんじゃなきゃ許さん。と怒りに拳を固める俺の耳に、電話越しに社長からの声。
「藍鶴が、いなくなった。探せ」
あー、はいはい。
藍鶴は、同じ会社の同じチームなのだが、どうにも繊細な部分があるようで、何かあると逃げ出してしまう。
会社はあいつを怒らない。俺だって、逃げていいと思うような強烈なトラウマを植え付けた『何か』に、関わらせた責任があるのは、会社の方だから。
それでも、俺たちはそこから動かない。
藍鶴がやめることもない。
――だって、そこにしか、居場所がないから。
01.
高いところからの方が探しやすそうだから、スーパーから出ると、塀を登り、どこかのお宅の屋根に勝手によじのぼった。
「よっし」
捜索、開始。
目を閉じて一心に念じる。藍鶴、どこだ……藍鶴……
脳裏に浮かぶ風景を足し算して、居場所を割り出す。頭の中に、見慣れた場所が映った。
人間の視覚は不思議だ。眼球以外の神経が、画像を拾ってくる原理については、まだ科学的にもよくわかっていないが、いわゆる、心の目、は存在する。俺はその心の「視力」がいいらしく、会社にそれを買われている。
俺たちがいるのは、つまり、そういう世界。
「あー、いー、づーくん」
写った風景からしても、居場所はわかりやすかった。あいつが会社をサボタージュしてまで来る場所なんか、限られている。『そこ』のひとつは、俺の居る、ボロアパートだった。
カンカンと抜け落ちそうな錆びた階段を登り、自分の部屋のある202号室へ。ドアの前にチャイムがあるが、ピンポン、と押しても、居留守の常連の奴のこと、どうせ出てくれないので、っていうか自宅だし、鍵を開けて中に入る。
幸い、チェーンはかかっていない。
冷たい空気をまとう短い廊下を歩いて、2LDKの、一部屋のふすまを開く。
「あーいーづーくん」
長めの黒髪を肩に垂らし、背中を丸めて、縮こまりながら、そいつはケタケタ笑っている。
足元では俺の、ロボ君一号1/50スケールのプラモが、バラバラになっていた。
……あーあー。
「こら」
肩から覆い被さってみると、彼はこちらを見もせずに「かいせ……」と俺の名を呼ぶ。
「おかえりー」
「はい、ただいま」
そのまま押し倒すと、藍鶴は肩から上を砕きかけのプラモ共々、畳に倒された。
「……会社が探してるよ」
先に用件を告げる。
彼は、いやいやと首を横に振った。
わかる。
俺だって、あいつの立場ならそうしたい。精神が壊れても、そこに居続けなきゃいけないなんて、そんなの、拷問だ。
一緒に逃げてやりたいが、なかなか、それさえもできない。
「……かいせも、追い出す」
涙目で睨まれたので、よしよしと頭を撫でてみる。彼はふにゃんと笑った。
「追い出してないだろ? つーか、これ完成させんの大変だったんですけど」
ばらけたプラモを指差してささやくと、藍鶴――藍鶴 色(あいづ いろ)は、寝転がったまま知りませーんとでもいうように、ふいっと顔をそらす。
前はストーブを破壊しやがったから、冬場買い直すのが怠かった。組み直せばいいんだがそういや、あれはめんどくさくて捨てた。
「あー……もー!」
あきれればいいのか宥めればいいのか、怒るべきか考えたが浮かばない。
「色」
名前呼びしてやると、顔を引き寄せられて口付けられる。彼は無防備な体勢で、少しドキドキしてしまう。
「ん……お仕事より、かいせと、いちゃいちゃしてたい、な」
にへ、と笑って言われて、俺はうっかりほだされそうになる。
知ってる、いつもの手だ。こいつは、誰かを陥落させるのがうまい。
俺たちがいるのは、特殊な体質や技能から、普通の世界ではぐれものになってしまった人間で結成された組織なのだが、だから一種の自己アピールなのだろう、ある意味カラフルな人間が多い。見た目からやばいのもいる。
そんななかで、彼のまったくそめていない黒髪というのが珍しく、藍鶴の、その自然体の美しさというか……惹かれてる部分も確かにあるし、俺の中では潤いみたいになっている。が。いやいや……
だめだ。
どんなに好きでも、惑わされちゃいけない。
好きだよ。
藍鶴色。
「――それでも。お前、今呼ばれてるんだよ。命令は、逆らっちゃだめ。終わったらいっぱい甘やかしてやるから」
じわあ……と、彼の疲労でくぼんで隈のできた目が、涙で潤んで来る。
「……あはっ、あはははは、あはっ、あは、はは」
うまく泣けないから、彼は笑った。悲しそうに笑う。俺だって断って、こいつが気のすむまで一緒に居たいけれど、そうもいかない。起き上がらせて、目元の涙を手の甲でぬぐってやる。うえっ、うえっ、と、そいつはえずくような声を出した。苦しいだろう。
背中をさすって、よしよしと撫でる。
少しして泣き止むと、濡れた目で、そいつは微笑んで聞いてきた。
「かいせも、行く?」
俺は休みだっつーの、お前のせいで福引き抽選会間に合わんっつーの、と言ってやりたかったが、
はあ、と諦めの息を漏らし、行くなら、お前も戻るな? と聞いてみる。
彼の返事は抱擁と「いやだ」だった。
その前に、と、俺は社長に電話をする。
「保護しましたが、あいつめちゃくちゃ怯えてましたよ。何させたんすか?」そう言うと一言、すまんな、と返された。言えないらしい。彼が悪いわけではないのは知っていた。誰にも責任を問えないことも。
「……少ししたら、そっち戻ります」
俺が電話越しに曖昧に言うと、社長は、藍鶴の様子はどうだと聞いてくる。
「だから、めちゃくちゃ怯えてて、俺のプラモが崩壊してましたが、やっと今泣きや……んっ」
唐突に唇をふさがれてしまって言葉が紡げなくなる。藍鶴は暇だったらしい。このやろう……
考えているうちに、そのまま、ジリジリと迫られ、舌を割り入れられて変な声が出た。
歯列をわざわざなぞって、上顎とかをくすぐるので、びくっと肩を震わせる。
いや、今、そんな暇はないんだって。
「会社戻りたくない……」
駄々を捏ねる藍鶴は、どうやら俺の連絡で不機嫌度をあげていた。単独で考えての行動でないので、騙された気分なんだろう。
胸の突起辺りをさりげなくさわられて、や、とか、あぅっとか情けない声を出しそうになって、慌てて通話を終える。
彼に向き直ると、やはりとても不機嫌そう。
「この前のだって、かいせが一人で行かせたから」
「ごめん」
「別に悪くない」
さっきと真逆のことを言われる。そのときは、ちょうど、さらに前の任務で酷使した体が悲鳴をあげ、寝ていた。
「だって俺たちは……特異能力科だから」
藍鶴は、ぽつりと溢す。
「表の世界には、居場所がない人たちだから」
「ん」
「人間だから、漫画みたいに、ガタが来ないなんて、わけないから、に、にんげ……」
人間だから。
俺はそいつを引き寄せて、ぎゅっと抱き締める。
「そうだ、人間だよ?」
耳元で囁くと、震えた藍鶴は、涙目で頷く。
――わたしにさわらないで。
それが、彼の母親からの最後の言葉だったというのを、聞いたことがある。絆だなんだのといっても、そんなの、無いときは無い。
けど、それを誰かに『間違ってる』なんてことも無責任に言わないで欲しかった。愛情も、友情も、やはり、無いときには無いのだから。
それが、どうとりつくろおうが正解なのだし、世界はやはり不平等だ。
ただ、愛されなければ愛を知らないという言葉については、あれは嘘だ。
愛されなくても、人は愛されようとする。確かになかなか気づかない、かもしれないけれど、知っては、いるのだ。
ただ、見分けがつかない。向けられる何もかもが愛情に思えて、その微妙な違いが、わからない。利用ではなく、純粋に優しくされれば、それだけで好き。だから誰のことも大好きで、でも誰でもどうでもいいという、そういう人間が出来上がるのだと、思う。
いつも、にこにこしていても、ぽっかりと心の根底には穴が空いた、そういう人間。それは不幸なのか、どうなのか、俺にもまだわからない。
「かいせは可愛いね」
にっこり、笑って言われて、俺はしばらく絶句する。
「遊びに来た訳じゃないんだって」
なんて言ってたらふいに、両腕を掴まれた。かと思ったら、かちゃ、とそいつは、どこから出したのか俺に手錠をかける。呆然としていたから、一瞬、何が起きたかと思ったが、拘束された。
「ここに、居よ?」
にぃっと、そいつは笑う。
「……やだ」
俺は顔を背けて、脱げかけていた服を、どうにか着直そうと、肘で頑張ってみる。腕を拘束されているから、手は使えないし、もどかしい。
「お前を保護して、スーパーに行かなきゃ」
「え、買い物中だったの?」
「お前の好きな大福アイス、買ってやろうかと思ったんだがな」
ふえ、と藍鶴が、どこかひきつった声をあげる。 本当は福引きにならんでいただけだ。3等の商品券がほしかったから。
でも、それを信じた藍鶴色は、驚いたような、嬉しいような表情で目を潤ませた。
「一緒に買いに行く?」
「手錠をはずせ」
俺が強く訴えると、彼はにやにやして、わっかに繋がっている鎖を引っ張った。犬の散歩みたいだ。
「どうしようかな?」
どうしようもこうしようもないから外せ、という意見は聞き入れられないらしい。そいつはにこにこ、笑ったまま、また服に手をかける。
だから、だから、暇がないんだよ。
辛うじて自由な足で、蹴りを入れる抵抗に出る。おっと、と腹の前で、彼の手に掴まれて足も動かせなくなった。
……しまった。
咄嗟に足を出すときは、すぐに引っ込められるように考えなければ。
このように封じられてはかなわない。
そんなことさえ忘れていたのか、たるんでいたのか。
「一日休んだだけで、甘くなるね?」
藍鶴色は、冷たく言った。
「うるさいなあ」
そいつは乱暴に言いながら、俺の口の中に指をつっこんできた。指とか美味しくないし。どんなに好きな相手でも、まずいもんはまずい。
うえ、とえずく俺を無視して、しばらく唾液を絡め取られる。
「ん、よくできたね」
「ん、ふ、ざけるな……」
と。玄関から、ピンポン、という明るい音。
何回も連打される。
藍鶴は黙ってそちらに向かった。来い、と俺を引いたまま。
曇り空、風のびゅうびゅうと吹く日だったと思う。そいつ――
藍鶴 色を、
初めて見たのは。
歩道橋の上で、真下の道路を見下ろしていた。
寂しそうに。
酷くやつれていたし、何かを怖がっているようでもあった。
しかし、本当に恐れなければならない何かは、簡単に飛び越えようとしてしまうような、なんていうか、危うい感じがした。
会社帰り……と言っても、前に居た会社をクビになった帰り道だった俺は、行く宛も、明日からのことも考えられないでいて、そんな気分で暗く俯いていても、思わず振り向いてしまったほどには、そいつの纏う空気は異様だった。
「どうか、しましたか」
声を、かけてしまった。彼は俺を見て、ふっと儚く笑ってから、別に、と橋の一部みたいにまた、橋に寄りかかっていた。下を通る車を、なんとなしに、無気力に眺めている。
頼りない目をしたそいつがいつかここから落ちてしまうのではと、俺はなんだか気が気じゃなくて、だから、思わずその手を握った。
指先から、電流がかけぬける。というのは大袈裟だが、俺は生まれつき、変な技術を持っている。その場にいながら遠くの物を見ることが出来るのだ。そして、いわゆる、サイコメトラーでもあった。触れたものの奥に残る何かを、読んでしまう。
「……っ」
藍鶴色の記憶。
だと思う。
監禁され、暴行され、そして、乱暴され、あらゆるものでまみれたその記憶は、たどるだけでも吐き気がしそうで、それに耐えてきたのだと思うと、目の前の彼が、ここから飛び立つ資格は、充分にあるように思えた。
なにを言っているんだろう。
――そんなものに、資格なんかないのに。
「……お前、居場所が無いのか」
思っていたことが、思わず、口から溢れた。
そいつは振り向いた。
きれいな黒髪。
きれいな黒い目。
でも、あまりに淀んだ、瞳。細く痩せた身体。
居場所のある人間という感じは明らかにしない。ストレートに聞いてしまった。マシな表現がまだあっただろうに。
「うん」
そいつは笑う。
「おれ、あいづ いろって言うんだ」
変わった名前。
なのに、なんだか、そいつに似合っているような気がした。
俺も名乗る。
「俺は、解瀬 絹良――かいせ きぬら」
変な名前、と藍鶴は言っていた。
藍鶴色は、あの日から俺のすむアパートに入り浸っている。
……押し掛け女房というかなんというか。
ある日、部屋のそばにいたから飼っている。
こいつ、確かに顔は可愛いが男二人だから、なんとも言えない気分。
シャワー浴びてくるね、とそいつがそちらに向かって行ったのを見届けながら、その音を聞きながら、ため息を吐く。
俺、なんで拾ったし。
藍鶴色を拾ってから、さらに不思議なことがあった。ポストに、見知らぬ札束が置かれ、さらには聞いたこともない、エントリーもしていない、会社の説明会案内が送られてきていたのだった。
普通なら不気味に思うところだ。
詐欺を疑うべきだ。
なのに、いろいろと混乱していた俺は、それらに手を伸ばしてしまって、結果として、現在に至る。
その会社は、俺が会社をクビになった原因でもあり、普段はひた隠しにしてきていた、超感覚的知覚のことを、能力を――
なぜか、知っていた。
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