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車内
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「花ちゃんからメール来た。主催者は、麻薬絡みのことで、消されたかもしれないんだって」
色の、更に奥に座っている橋引が、ぼーっと、窓の外の夜を見ながら言った。
そのやや疲れた横顔を見ていると、どうしても、あの頃のことを思い出してしまう。
――そういうの、やめて。
あんたは来たばっかりで、知らないだろうけど……
――色ちゃんを傷つけたら、私が許さないから。
すごい剣幕で、叱られたっけな。
どうして橋引が、あの頃から、色に甘いのか。
俺はまだ、全て知るわけじゃない。
「そうか、カクテルパーティとかいうやつか……」
麻薬の取り締まりは担当していないので、そっちに連絡されるはずで、俺たちには出る幕は本当はないのだけど、色は少し、気にしていた。
「また連絡来ると思うよ。私たちは一旦、取引現場を押さえたということで報告、ね」
「あぁ」
隣で眠っている藍鶴色は、やっぱりどこか、苦しそうに眉を寄せていて、
けれど、俺にはどうすることも出来なくて、ため息をつきそうになる。
「サンドイッチ、いっぱい食べられたって」
何気なく、そういうと、橋引は少し泣きそうになる。
「そう……そっか」
俯いて、目を逸らす。声が震えていた。
「よかった、ねぇ……よかった、」
ぽた、ぽた、と、静かに、透明な雫が落ちる。
彼女は俺にそれを見られるのが癪だというように、慌てて目元をぬぐった。
「んん……」
楽しい夢でも見ているのか、色が少しにやけながら寄りかかってくる。
「お、しゅし……」
「……おしゅし」
ちょっとドキドキする。
色がトイレは嫌だと言ったので、理性を総動員したけれど、危なかったな。
――別に、俺は、構わないけど……
昔、色は俺に言った。
――でも、きっと、恋人らしいことは出来ない。
俺だって、そうだと思う、と俺は返した。
彼は首を横に振った。
――俺は、みんなと、違うから……
えっと。その。
未来が、とかそういう話なら、いつものことだろ? とか、俺もそうだとか、言おうと思った。けど彼が言ったのはそういう、
『周りが期待するありきたりな悩み』の話じゃなかった。
そんなものは、とっくに、当然のことだったから。
――なんて、言ったらいいのかな。
と、しばらく逡巡して、視線をあちこちに泳がせて、それから、
――おにぎり。
と言った。
結果的に俺が台所に向かい、
おにぎりを作って、玉子焼きを作って、それから、タコさんウインナーを作って、
色は、くすくすと、それを見て、笑って、はしゃいだ。
よく、わからない。
夏の暇な昼。
遠足でも無いのに、部屋でそれを並べた。
彼は、嬉しそうに言った。
――春。
俺は、彼の指先にそっと触れる。真っ赤な、真っ赤な雫が、視界一面に広がって、彼の春が見えた。
――桜、だ。よ。
思わず目を逸らしたくなるような、そんな、彼の季節が見えた。
「お寿司、此処でも食べてた気がするけど、まだ食べたいのかな」
彼の髪を撫でる。
さらさらと、指を滑っていく髪が心地いい。
『わかった、何か与えようとしなくてもいい。無理に考えなくてもいい。
だから。傍に、居てくれれば、それで、良いんだ』
あの日。なんだか、俺の方が辛くて、そう言って抱きしめた。
彼はぼーっとしているだけで、なぜ俺がそんなに辛そうなのか理解してなさそうだったけれど、普通、人の『心』はある程度のくっきりした映像がある。
あんなふうに、真っ赤なもので、べったりと塗りつぶされて、暴力的に穴があけられているものじゃない。
今でもそれは変わらないけれど、昔に比べたら、多少は感情らしいものが見えるような、見えないような。
いまならわかる。
暖かい、とか嬉しいとか、そういうものを、とりあえず、思い出す、ということだけが、彼の心の中。
だから、俺に春を見せた。
一緒に、春を、その感情だった時間を食べようと、何かしら伝わるんじゃないかと思ったのだろう。
――やっぱり仕事の裏で、辛そうなのを見ると考えてしまってさ。
声を出さずに、橋引に話しかける。
窓の外を見たまま彼女は だめだよと言った。
――また、その話。
色ちゃんが望んだんだよ、怪物扱いされるよりずっとマシだって。あの子の家族だって、売ってたの知ってるでしょ? 保育園のときから、『主観的な感情』を出すと大人に騒がれて。それなら堂々と仕事で使った方が幸せじゃない。
って言っても、いつ心が戻るかもわからないから、あの嫌味な占い師みたいな露出とかじゃなくて、こんな裏側でゆるーくさ。
――いやー、そうなんだけど。
――っていうか、あんたの家のことも、取引のことも、あれで片付いたわけじゃないからね。
うぐぐ。家のことなんか考えたくない。
考えなきゃならない気はするんだが、考えたくない。
直接会わなかった(いや、たぶん会ったけど、さっさと退散した)のが今回の救いだけれど、存在を認知された可能性はある。あの辺り、どうしてくれようか。いや、あの部署は表向き存在しないしなぁ。
適当に誤魔化して……貰えるのか?
信号が赤になり、一旦車が停車する。
「もう、着いた?」
そのタイミングで寝ぼけた色が、むくりと起き上がって、ぼーっとしながら抱きついてくる。
「もうすぐだよ」
背中に手を回しながら、俺は端的に答える。えへへ、と彼は笑った。
「サンドイッチ」
なぜかその単語を呟いて、ぎゅうう、と力を込められる。
俺はサンドイッチになったのか。
「玉子焼き?」
俺は玉子焼きになったのか。
「髪が?」
「んー-」
彼は首をかしげたが、何も考えないことにしたらしい。
ふと、携帯が震える。
抱きしめたまま、片手でポケットを探る。メールが届いていて、ゆうこさんからだった。
『玲奈も私も、待ちくたびれたんだけどー』
「玲奈まで付いて来んのかよ……あいつらにマナーはないのか」
彼女たちは、色と同じじゃない。
意思の塊。好き嫌いがコロコロ変わり、好き嫌いを自由に主張して、その心をなんとも感じない。傲慢だから周りもそれで当然と思っている。
「金持ちの道楽は困ったもんね」
橋引が、こちらを向く。色が引っ付いていることには何も言わなかったが、 ゆうこさんたちにはあきれているようだった。
──西尾も、竜ちゃんも、チャリも、
もう、あなたたちだけが頼みの綱。
寄付ならするから。
あなたたちを誉めて誉めて媚びて媚びてアゲるしか、
もうやり方がないのよーー
寄付? 保護に使われやしない、会社の維持費か。
足枷が、増えるだけじゃないか。
いっそ、事務所も全部無くなれば──なんて、思うのは、酷い男かな……?
(2022年1月11日1時50分ー2022年1月13日1時41分加筆)
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