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写真
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足元に一枚、写真が落ちる。
あどけない笑顔の少女の写真だ。眼鏡をかけていて、ショートカットで、スラックスを身に着けている。
親戚だろうか、何人かに囲まれて、どこかぎこちなく映っていた。
これは……
「あ、ごめん、取ってくれる。ポッケから落ちたみたい」
すぐそばに座っている橋引が、掌を差し出した。
「はははっ。嫌だったのよね、それ」
寂しそうな横顔。
「なんで? 似合うけど」
写真を返しながら俺が言うと、彼女は少しだけ照れたようにはにかんだ。
「……に、似合うのは、とーぜん、だけどっ。そうじゃなくて……、
これ、周りの大人の趣味で。がさつだから、って、男の子になりたいんだって、思われてたことがあったの」
「そうなんだ」
俺だって、女顔だからスカートやドレスの方が良い、なんて言われたら少し悩みそう。橋引は、念動力や怪力を持っているけれど、それは性別とは関係が無いことで、本当はとても繊細な子だ。
皆の前で、写真を撮られてイメージを勝手に固定されるような経験があって、傷ついただろうことは想像に難くない。
見世物にされて、更に、いいことをしたみたいな顔をされるのだろう。
「そういうの、なんか、違うって思う。スカートを履いてても、元気いっぱいでも良いと思うし……長い髪の子が、ズボンを履いてても問題無いし、性格や内面で、外側まで固めたい人ばかりじゃない」
「あぁ、まつりも、自由に服着てるからな」
性別不詳な友人を思い出す。
橋引は首を傾げた。そういや、まだ話していなかったか。
花子さんは知っているのだけれど。
まつりは確かに、可愛い服を着ていたところで楽しそうに暴れているし、格好良い服を着ていたところでそれが変わることもない、と思う。
「それを撮ってくれたのママなんだけどさ、あぁ、ママの理想の子になれなかったなぁって、見るたび思い出すの。でもね、今はそんな自分が好き」
今着ている綺麗な服も、それでいて、会場で身体を張っている姿も、彼女らしくて、美しいものだった。
「良かった。俺もそう思う」
あの日の少女が、大きくなったものだとか、そんなことも、思う。
家族からも、そんな理不尽な扱いで晒され、外でも、ああやってニュースになってしまう。
彼女も、俺も、ちょっとしたことを普通にこなすのが大変だからこそ、
普通以上に、意識して、努力して、心を持たなくてはいけなかったのに。
「色ちゃんは優しいんだね」
「え?」
「訴えたところで、みんなは、私のことも知らずに『どっちもどっち』とか言うのに」
それは変だった。どっちも、なんて範疇ではない。
軽く何か言うのと、親戚中に嫌なイメージを固定された写真が回るのとではあまりに被害が違う。
それを大したことの無いように、どっちもどっちに見えてしまう時点で、娘としてすら扱われて居ない。
「文句を言ったところで、今まで、迷惑も考えずに他人を勝手な印象に当てはめて納得するふりをしていた奴らを、正してやっただけだろう? どこが悪い?」
「そう。ふふふ。私、正してやっただけなの」
会場付近は人通りが激しく、しばらく静観した方が良さそうだ。
という判断のもと、というかどのみちすぐに駆け込むことは無理そうだったのだけど、しばらくしてから少しずつ下へ向かった。
この国は奪われている。
ニュースも、新聞も、嘘だらけ―――
このままにしていたら乗っ取られる。
やつらは中枢にまで既に入り込んでいる。
日本を、取り戻す。
「…………考えさせられるね、まったく」
ため息まじりに、目の前を歩く界瀬が言う。
橋引と会ったときも、『あの事件』のときにも、発砲のあった今も。
確かに、メディアは、事件の真実そのものは語っていない。
それが良い悪いはともかくとして、完全に彼が嘘を言っているわけでは、少なくとも無いのだろう。
だけど、日本から、何を取り戻すというんだろうか?
何かが奪われている前提で、何らかの敵を想定していないと出てこない言葉だ。事情を知らされず、平和ボケしている民に聞かせても、ポカンとするだけなのに。現に、コメント欄も「何を?」で埋っているし。
「山手拓は、利用制度を取り下げろ、と、やつらは中枢にまで既に入り込んでいる、と言っていた。大方、政治家や警察なんかに、既にグルが回っている、と考えているんだろうな。だからこそ、利用制度がすんなり通ってしまうとか、思っているのかもしれない」
日本の未来を担う、国に直結した機関が乗っ取られている、というのは間接的に日本が奪われているということとも、言えるのかもしれない。
「だから、取り戻す、と」
「まぁ、妄想だと、いいけどね」
橋引が苦笑する。ほとんどの人が妄想だと思っているし、きっと『取り戻す』はしばらくの間、犯人の妄想として世間を賑わせ、批難の的として取り上げられることになるだろう。
花子さんが「撃たれた人、大丈夫かなぁ」と呟く。
菊さんは「昔は、ある宗教団体が、本当に警察や政治家にも居たからな、可能性が無い事は無い」と、独り言のように呟いた。
「宗教、ねぇ」
玄関の方から救急車の気配が伝わっている。
壁や窓が、ランプによって真っ赤に照らされ、それがいっそう不気味さを醸し出している。ドアから次々やじ馬が外へとなだれ込んでいく。
大分人が減ったと思ったが、まだまだ何人か残っていたらしい。
人ごみの中に、ふと、見慣れた顔をみつけた。
「あ――――」
一度、気付いてしまったら、もう逃れられない。
捕らわれたように、視線にくぎ付けになる。
すぐ後ろで、界瀬たちが、撃たれた人や周囲の聞き込みをしているのがわかる。それらはやがて全て背景のように溶けて、遠くに行ってしまった。
「久しぶりね。色」
抑揚のない声で、彼女が言う。
昔はよく、飾り気の無い服と、白衣姿だったのだけど、今は
血のような真っ赤なドレスを着た、細身の女。
やけにでかでかとした、緑色の石のネックレスを提げていた。
「はい。お久しぶりです」
「あれから、好きな人出来た?」
信じられない程、厚かましいでは到底済まないような、言葉を、
それを奪って来た相手が、
「好きな物は出来た? また、『未来に連れて行ってね』」
開いた口が塞がらない、というのはこういう気持ちなのだろう。
よく、そんなあり得ない異常すぎる台詞を言えるものだと、逆に驚いてしまう。心を奪った。未来と呼んで、勝手にばら撒き、捨てた。
その後の俺がどうなるかも知らないで。
「どうやったら未来に行けるのか、どうやったらあなたみたいになれるのか、挑戦が尽きない!」
とっくに古くなった過去を、自分で描けないものを、未来と呼んでいるだけということに彼女が気づくことはない。
自分の意思を持っていないからなんでも目新しく見えるんですよ、と、俺が教えてあげることも無いだろう。大人になった今、俺はそれに気付いている。
未来というものがなんなのかという定義すらも出来ていない、ただの駄々をこねる馬鹿なのだということも。
「まだ、ラコはあったんですね」
「朝倉会が、あるのよ」
「そうですか」
彼女たちは、本来は研究者でもなんでもない。実態は、以前薬を調査したときに見つけている。ある毒薬を製造していた、黒魔術系カルト宗教傘下の研究所職員。
未だに旧式のパソコンを使っている独裁国家と通じている、自称研究者。
そんな世界から来ればそりゃ、そもそもが、なんだって未来だろう。
(2022年7月20日5時19分‐2022年7月21日20時45分)
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