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艮くんの界隈。
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***
「来たぞ」
二度目ましてのその男は俺を見るなり少し驚いた顔をして「…来てくれたんですね」と呟いた。日はもうすっかり落ちているのに空が明るいのは街の明かりがギラギラしている所為だろう。路地裏でも差し込むネオンの光は男の顔をハッキリと映し出している。
「した約束は守る」
「あ、いえ…疑った訳では…」
「?」
「追っ手は無事撒けたようですね。似合ってますよ、その格好」
男が寄越した視線の先にある窓ガラスにはチノパンとTシャツを少し上等そうなテラードジャケットで誤魔化した黒髪の俺が映っている。
「カツラとか初めて着けた」
「ウィッグて言うそうですよ。元々目立つ容姿ですから匂い消し以外にも対策が必要でした。それに今から行く場所は未成年だと少々…ね」
何が「少々」だ。
明らかに此処は飲屋街だ。しかもサラリーマンが屯する飲み屋ではない。下世話な色のネオンが並ぶこのカンジは些かアブノーマルな人間が集まるそうゆう飲み屋の街だ。
「大学生くらいには見えますよ」
見つかったら停学じゃ済まない。
「では、」
「…なあ」
「?はい」
「今から行くところが溜まり場なのか」
「の、一部です。そうゆう所は幾つもあります」
「…」
男の目を見る。瞳はしっかり俺を捉えていて動揺など微塵も感じられない。呼吸も同様。静かにそこに立っている。
「疑ってらっしゃいますか…?」
「100%は信じてない」
「正直な方ですね」
ふふ、と声を漏らすように男が笑う。
「いざとゆうときは私を殺してでも逃げて下さい。貴方にはその力がある筈です」
「物騒な事言うな」
「そうですね。失礼しました」
笑みは絶やさないまま男が進むよう促す。
聞きたい事は山ほどある。だから此処に来た。それを男も承知で此処にいる。
「貴方が来てくれた。お話はゆっくり出来ます」
「…行く前にひとつだけ」
「はい」
「アンタ…名前は?」
男の目が少し見開き、そのままスッと目尻を下げた。
「九頭神弥彦と申します」
「クズガミ?」
「はい」
「スゲェ名前だな…」
「よく言われます」
さあ行きましょう、男の促しに俺は歩みを進めた。
「個室があるんです」
そう通されたのは居酒屋の一室…などではなく、バーの二階にあるよく分からない部屋だった。ドアが無い代わりに入り口は簾のような物で隠されていて照明はミラーボール、おまけに中には小さな二人掛けソファーしかない。
「飲み物はどうしますか?ノンアルコールのカクテルもありますよ」
「…お茶で良い」
「ではウーロン茶にしておきましょう」
ウエイターが注文を取り部屋を出る。立ったまま壁に寄りかかってるとソファーから声をかけられた。
「どうぞ座って下さい」
「座れって…」
「元々カップルが予約する部屋なのでラブチェアーしかないんですよ、此処」
「ラ、ラブ……、」
そんな阿保みたいな名前が付いてるのかそのソファーは。命名した奴の顔が見たい。
「気にせず、さあ」
何か途轍もなく騙された気分だ。が、これ以上拒むのも変に意識している様で違う気もする。非常に話しにくい態勢だと思うが渋々隣に座った。
「ふふ…」
「何だよ」
「外見や言葉遣いに似合わず素直な方ですね」
「なっ…、」
「褒め言葉ですよ。…貴方はいつだって綺麗だ」
肩が触れ合う近さで隣の男が見つめてくる。ソファーの構造か後退りする事が出来ず密着したまま動けない。男がにじり寄った。
「…おい、クズ」
「あら。いつの間にか素敵なあだ名が付きましたね」
「冗談言ってると帰るぞ」
「冗談では無かったのですが帰られたら困りますので控えます」
「他に椅子ねェのかよッ!」
「良いじゃありませんか。伴侶なんですし」
失礼します、と簾の向こうから声がしてウエイターが現れた。飲み物とつまみを置くと一礼して去る。
「…アレも仲間なのか?」
「そうですよ。此処の経営者も従業員も私たちの仲間。客も殆どそうです。知らずに利用してる人間もたまに居ますが」
聞かなくても匂いで解るのだが聞かずにはいられない。何故なら、
「集まって何をしてる?」
「特に何も。強いて言えば情報交換ですかね」
「情報交換?」
「何処の誰が退治屋に捕まったとか、出くわした場所だとか」
どうぞ、とクズがウーロン茶を手渡してきた。照明が暗くてハッキリとは判らないが匂いも普通のウーロン茶で特別怪しい所はない。そもそも俺に危害を加えた所で彼らにメリットはない筈だが…。
「何も入っていませんよ」
「…」
「貴方に来て貰ったのはいま自分たちが晒されている現状を知ってもらう為。貴方は私たちの首領だ。間違っても危害は加えません」
「…俺は関係ない」
「いいえ。残念ながら貴方は渦中の人だ。その身体に酒呑童子の血が流れている限り」
理不尽だ。
選択の余地などないまま戦争のど真ん中に立たされている。タイマン勝負ならまだ良い。けどこれは戦争だ。知らない間に自分の背中に自分以外の命が乗っかってしまっている。
「逃げる事は可能です。ただし現状は変わらない。私たちは勿論、貴方も貴方の家族も一生命を狙われるだけです」
「…家族は巻き込まない」
「相手が話を聞いてくれれば良いですが」
「…」
ー 引き金を引いたら止まらない。
今更ヤツの言葉がグルグルと頭の中を駆け回る。解ってると思っていたのに、いざ問題が目の前に現れると足が竦みそうになる。
「…辛い選択だ」
ふと頬に触れたクズの手は冷たかった。
「正直、逃げ出しても良いんですよ。貴方がそう決めたなら私は従うのみ。誰も貴方を責めません。けれど私たちの…彼らの言葉も聞いて欲しい。決断を下すのはその後でも遅くないと思うのです」
クズはあくまで優しかった。本気で俺に選ばせるつもりだ。どの選択を俺がしても良いよう覚悟をしているのだろう。だから俺を此処に連れてきた。俺もこうゆう展開になる事を…全く気づいていなかった訳ではない。
「他の奴らと話せるのか?」
「ええ。気をコントロールされてますし酒呑童子とは気づかれず話せると思いますよ」
「そっか」
ウーロン茶をイッキに飲み干し重たい腰を上げた。此処まで来たら知るしかない。その為に来た。
「覚えておいて下さいね。どんな決断を下そうとも私は貴方と貴方の家族を守ります。命をかけてでも。それが伴侶である私の務めです」
「その伴侶ってのは酒呑童子の、て事だろ。俺の伴侶じゃない。俺は俺、お前はお前だ」
「…私にとっては同じ事ですよ」
「あ?」
「いえ。私はこちらで待っています。気が済んだら戻って来て下さい」
おう、とだけ返事をして個室を去り一階へと向かう。ふとクズが見せた寂しげな表情が頭の片隅に残ったがその理由を戻って聞くほどの度量は無かった。何となく今の俺には聞く事が出来ない、そんな気がした。何故だか。
辺りはムーディーな曲が流れている。
俺は一歩、鬼の巣窟へと足を踏み入れた。
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