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エピローグ
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【エピローグ】
彼は真っ暗な闇の中にいた。
光も差さず何の音もない暗闇の中なら、誰も彼を見ない。誰の顔も見なくてすむ。誰かが自分の噂をするのを耳にしてしまうこともなかった。
彼は望んで暗闇にいた。
もう何も見たくないし、何も聞きたくない。何かに期待したくない。何も欲しくなかった。
温もりや優しさを覚えてしまうと、弱くなる。
向かい来る敵を倒し続け、その度に身体は強くなったけれど、心に傷がつかないよう鍛えることはできなかった。
誰もが彼を強いと言うが、彼の心は召喚された時の15歳の少年のまま。何年も旅を続け、経験を積むことによって少しは成長したかも知れないが、それを彼自身が実感できることはなかった。
彼はこの世界に降り立った時から「勇者」だった。
「勇者」であるということは、周りの人間とは違うということでもある。
この世の無数の人間の中で、彼唯一ひとりだけが「勇者」。最強の勇者、栄えある英雄、魔王を討伐せし者――そんな彼の呼称が、いつの間にか「化け物」に変わったのは、魔王討伐を成し遂げてから、それ程月日も経たない頃だ。
魔王から不老不死の呪いを受けたと、彼が実感したのもこの頃だった。
多くの刺客が彼の元に現われた。勿論1人残らず撃退したが、刃物で斬りかかられたこともある。
刃に毒が塗られたこともあるし、食事に毒が盛られたこともあった。だが、彼はそれで死ぬことはなかった。
剣で斬りかかって来た暗殺者に「化け物」と罵られる日々。命を狙われ、罵られ、安心して眠ることもできない。自分は周りの人間とは違うのだと、毎日毎晩悟らされた。
そんな日々が続いて、どうして平静でいられるだろう。
体がいくら頑健になろうと、不老不死であろうと、心は柔らかなままの彼が、どうして傷付かずにいられるだろう。
この世界に自分の居場所はない。誰も自分を歓迎しない。誰も自分を「人間」として見ない。
もはや元の世界に帰ることもできない彼が、そうして行先に決めたのが、この静かな暗闇だった。
光も差さない、何の音も聞こえない。
1人だけ彼の心を揺るがせた存在はいたけれど、それを失うことを考えると怖くて、手を伸ばすことはできなかった。
こんな彼のことを好きだと言ってくれた少年。どんなに酷く扱っても、広い心で赦してくれた少年。その真っ白な心が次第にに倦み曇り、濁っていくのを見たくない。
恐れをはらんだ目で見られたくはなかった。
かつて苦楽を共にした旅の仲間たちだって、最後にはそうなったのだから。出会ってまだ間もない少年に、真っ白であり続けることを期待するのは無理だった。
そうして再び闇に閉じこもり、彼はヒザを抱えてうずくまった。水を入れさせたので空気もなく、音も何も聞こえない。
ゆらゆらと水底にたゆたう様子は、まるで母親の胎内に戻ったかのように優しい。水は冷たいけれど、それもいつか慣れるだろう。
もう何も見たくないし、聞きたくない。もう何も考えたくなかった。すべてを忘れ、ここで静かに過ごしたい。
けれど――その暗闇に、ふいに光が差し込んだ。
顔を上げると、光と共に例の少年がこちらに手を差し伸べるのが見えた。
身動きできずに眺めていると、白い手を伸ばされ、抱き着かれる。柔らかな唇が重なり、そこから空気が吹き込まれて、彼の意識を覚醒させた。
不老不死である彼を救おうと、何度も水に潜る少年の姿は、ひどく愚かでひどく痛い。だが、その愚かしさこそが少年らしい。
「ひとりにしないで」
「側にいて」
少年が彼に告げた言葉は、少年のエゴに満ちていた。だがそれでいて、真っ直ぐに求められる喜びを彼の心にもたらした。
「自分を信じて」
少年の言葉に、どくんと心臓が動き始める。
今更彼が、自分自身を信じることは難しい。激昂して我を忘れた時に、またいつ暴走するか自分でも分からなかった。だが「鍵」である少年なら、そんな自分を止められる。
彼を恐れず手を伸ばし、好きだと告げて求める少年。彼を封印できる「鍵」。少年と一緒なら、もしかするとここではないどこかに行けるかも知れない。どうせ時間はこの先たっぷりあるのだから、たかが数十年、少年に付き合うのもいいだろう。
勇者・名木沢嗣人が、ルーク王子と共に城を出たのは、それから間もなくのことだった。
同時に世間には、勇者が再び眠りに就いたと公表された。
隣国の襲撃を退け、敵軍を壊滅させ、戦争を早々のうちに終わらせて勝利をもたらした勇者ナギは、やがてまた人々の中に英雄譚としてのみ語られることになるだろう。
ミッドワルド王家は一切の記録を残さず、成人を迎えた時に口伝のみで勇者の記憶を繋いでいく。
だがその城の地下に、もはや勇者の封印はない。
勇者は自らの封印の「鍵」と共に城を出て、どこの空の下にいるのか、誰も知ることはなくなった。
呪われた彼に、救いは訪れるのだろうか?
いつか彼の心が救われる日は来るのだろうか?
「ん……ツグト君、もう朝……?」
粗末な宿屋の一室で、朝日の中にルークが目を覚ます。
「ああ。でもまだ早ぇ。もうちょっと寝てな」
彼が腕の中にルークを閉じ込め、その柔らかな頬に顔を寄せると、ルークに「痛っ」と押しのけられる。
「ちくちくしたの、何?」
「はあ?」
ちくちくの意味が分からず、首をかしげる彼。
「別に何もちくちくなんか……」
形の良い眉を寄せ、ぼやきながら自らのアゴに触れた彼の手に、ちくりと刺す棘が当たる。
何本も生えたその黒い棘は、彼の時間が再び動き始めた証。
――そんな朝が、いつの日か彼らの元に訪れることを、願っている。
(終)
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