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ヒートの対処法
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椿原から、よく知っている匂いがした。誰も足を踏み入れない場所で、静かに美しく咲く花の甘い匂い。
その瞬間、俺はうっすら理解した。ヒートが来てしまったのだ。
「抑制剤を教室に置いてきた」
プールの更衣室へ到着すると、椿原は床に崩れ落ち、早口でそう言った。
「えっと……大丈夫?」
「大丈夫、なわけないでしょ」
椿原は制服の袖の端を咥えて深呼吸を繰り返している。
「俺が取りに行こうか?急いで帰ってくるから」
「ま、待って。ひとりにしないで。もし誰かに気づかれたら……」
…そうか。椿原を置いて行くなんてできない。また由比のような事件が起きてしまうかもしれないじゃんか。
「じゃあ、誰かに取ってきてもらおう。まだ教室に残ってる人もいると思う」
「こんな状況、クラスの奴らにバレたくない」
「えっと…じゃあ翔也に」
「正気?!αじゃん!」
「あ…そうだった」
困った時の佐瀬頼みも今回は通じないようだ。
椿原の様子はどんどん悪化している。
「……ごめん。俺、こんな体で…」
椿原は苦しそうに息を吐いた。
どうして椿原ばっかりこんな思いをしなくちゃいけないんだろう。俺はいつも何もできなくて…
「……あ」
「川名?」
「アホだ、俺は」
重要なことを思い出し、急いで自分の鞄をひっくり返した。どさどさと落ちる教科書や筆記用具の中に、2つの瓶が転がった。その内1つを拾い上げ、錠剤を取り出し椿原に渡した。
「これ!抑制剤!」
「……え?なんで川名が」
「いいから早く飲んで。ほら、お水もあるよ」
椿原の口の中に無理矢理押し込み、ペットボトルの蓋を開けて水を飲ませた。
「まっ…ぐっ…ぶはっ!げほっげほっ」
一気に傾けすぎたのか、椿原は盛大にむせて吐き出したが、錠剤は体内に入ったようだ。
「よかった…βでも買えるやつだからあんまり強力じゃないけど、ちゃんと効いてくると思うから…あ、ごめん服びしょ濡れだね」
「なんれ?」
椿原は咳き込みながら涙目で聞いてきた。
「なんで川名が持ってるの?」
まだつらそうな椿原のそばでしゃがみ、正面から抱きしめるように背中をさすった。拒否されるかと思ったけど、椿原は黙って俺に体を預けた。
「この前、ツバキが山内に拘束された事件あったでしょ?あの後買ったんだ」
「なんで…?」
「中学の卒業式のときも、由比をツバキの家にいる連れて行っちゃったときも、山内のときも、俺は何にもできなかった」
「そんなこと…」
「でも翔也は違う。由比の時は事情も言わずに呼び出したのに、すぐ抑制剤を打って事態をおさめてくれた。山内の時も、猛ダッシュで駆けつけてくれた。翔也ってそういうところ…かっこいいなぁと思って」
「…うん」
「だから俺も買ってみた。α用とΩ用の抑制剤。目の前で困ってる人がいたら、ちょっとでも助けられるように。それがβに生まれた俺にできることかなって…えっと…こんなにすぐに役に立つとは思わなかったけどね」
「…ありがとう」
じっとしていた椿原が、俺の体に手を回して抱きついた。まだ荒い呼吸と、心臓の鼓動を直接感じる。
「俺、好きだよ。川名のことも、佐瀬のことも」
「うん」
「苦しいな…」
椿原が呟いた言葉に、俺は返事ができなかった。
「抑制剤を飲ませてくれる前、俺が何を考えてたかわかる?」
「え…何?」
「川名とセックスしたい」
「……え?」
「発情すると頭の中、セックスのことでいっぱいで。それで目の前には川名がいる。川名が俺の体に触れてくれたら、奥まで注いでくれたらってことしか考えられなくて」
「ツバキ」
「俺はそんな、汚い人間なんだよ。誰かと付き合うなんて、絶対にできない」
「ツバキ、それは俺もだよ」
「は…?」
椿原はすっと体を離し、泣き顔のまま俺を見た。
「セックスしたいと思うことの何がいけないんだよ?俺なんて24時間セックスのことで頭がいっぱいだよ。翔也だってすぐセックスしたがるし、山内なんて性欲の権化じゃないか」
「ん?えっと…?」
「セックスしたいと思うことが汚いっていうなら、ツバキはずいぶんきれいな方だと思うね」
「はあ…」
「つ、つまり…あんまり自分を責めるなってこと。たまに性欲が爆発するから誰とも付き合えないなんて、考えなくていいじゃん」
「…そっか」
潔癖気味だとは思ってたけど、椿原がそんなことを考えていたとは知らなかった。
「…いや、なんか違くない?恋人にだけ欲情するならまだしも、他の人にも欲情するなんて」
「ツバキ、残念ながら、みんながみんな恋人にしか欲情しないわけじゃないぞ」
「え?」
「例えば恋人がいるけどAVを見る人なんてごまんといる」
「嘘でしょ?」
「ツバキはロマンチストなんだね」
「な、なんか腹立つ〜」
「…落ち着いてきた?」
「うん」
椿原は小さくうなずいて、自分の服に目を落とした。
「お茶じゃなくてよかった」
「あ…本当ごめん。服のことは」
「一緒にいたのが川名でよかった」
「俺も初めて役に立てて嬉しい」
「初めてじゃないよ。川名はいつだって…」
椿原は体をぐっと近づけ、俺の頬に手を当てた。
茶色がかった大きな瞳に見つめられ、思わずごくりと唾を飲んだ。
「ツバキ…?」
「川名がいつも能天気で一生懸命だから、俺は何度も救われたんだよ」
「…うん」
「自分がΩだって知った時も、初めてヒートが来た時も、川名が変わらず好きだ好きだってアピールしまくってたから」
「ふふ…懐かしい」
椿原と付き合いたくて仕方なくて、自分の気持ちをただただぶつけていた頃のことを思い出した。
……今もあんまり進化してない気がするけど。
「ふふ、じゃないんだよ…」
呆れたように呟きながら、椿原は頬に手のひらを当てたまま親指ですりすりと撫でた。
「…あのー、ツバキくん。どうしてこんなに顔が近いのかな?」
緊張感に耐えきれずそう聞くと、椿原は表情を変えずに呟いた。
「川名にキスしたい気持ちと自制心が戦った結果がこの距離だよ」
「うわあっ、互角の勝負」
「川名が逃げれば終わるんだけど」
「ああ、そういうのもあるんだ…」
「逃げないの?」
鼻先が触れそうな距離のまま、椿原は静かに尋ねた。
フェロモンの甘い匂いが未だふんわりと空気を満たしていて、なぜか自然と頬が緩む。
「逃げないよ。ツバキが近くにいると、嬉しいから」
「………どうせ、佐瀬にも同じこと言うくせに」
「…え?それって」
嫉妬してるの?と聞こうとした口を塞がれた。唇…ではなく、手のひらで。
「……俺、教室に抑制剤取りに行くから、先に帰ってて」
それだけ言うと椿原は口から手を離して立ち上がった。
「アイスは行かないの?」
「行かない」
「気をつけて帰ってね…?」
椿原は制服の埃を払い、乱れているところをパパッと直した。そして落ちていた鞄を拾ってすごい速さで更衣室を出て行った。
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