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02.貴様にこの仕事は向かない
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目の前で怒り狂っている橋谷田はしやだをよそに、保住は平然と言い放った。
「あのですね。少しいいですか? 係長の言い分はごもっともであると思われます。ですが、経験年数はこの問題には全く関係のないことだと思われます。係長はご自分の意見をそのまま忠実に実行する部下がよい部下だと思っているのかも知れませんが、もし係長が間違われた時に、どうされるおつもりですか?
——いいですか。人間はどんなに細心の注意を払ってもミスをする生き物です。ミスをするんだということを前提に考えていけば、部下からの手直しなど問題にはならないはずではないでしょうか?」
「お前……」
「おれは別に係長に意見するつもりは毛頭ないのです。ただ、誤字や脱字、表現の誤りなどを訂正しているだけです」
「貴様……おれが、誤字や脱字や、誤りばかりだとでも言いたいのか?」
「ええ。おっしゃる通りです」
しらっと言い切った保住の様子に河合が両手で顔を隠すのが見えた。「おや?」と思った保住が周囲を見渡すと河合だけではない。ほかの職員たちも顔をしかめてうつむくばかりだ。
——もしかして、また?
そう思った瞬間。橋谷田はこぶしを握り締めて、怒りを噛みしめているようだ。
——これは、かなりのお怒りか?
「か、係長っ! ここは堪えてくださいっ」
係長補佐の佐藤が橋谷田を抑え込んだその時。フロア全体に響き渡るどす黒い重低音が聞こえた。
「保住っ、ちょっと来い」
まちづくり推進室以外の部署の職員たちも一斉に手が止まり、しんと静まり返る。しかし保住は「は~い」と気の抜けたような返答をして首をかく。保住が声の主のところに歩き出したのを合図に、一同は、そそくさと仕事に戻った。
——関わったら終わりだ。
そんな雰囲気で。誰しもが視線をパソコンやデスクに落として、無関係を装っているのがありありとわかった。
「なんですか。今、係長と話をしていて……」
保住は声の主である男の目の前に立った。男は無言で隣の打ち合わせ室を見た。
「承知いたしました」
棒読みの返答をし、仕方なしに打ち合わせ室に入った。
——なにもかもが面倒。こんなはずじゃなかった。仕事がしたい。仕事がしたいだけなのに。
課長席のすぐ隣にある打ち合わせのための会議室はそう大きくない。四脚のパイプ椅子が向い合せに配置されているテーブルは灰色の事務仕様。壁には同様に事務仕様の書架が所せましと並んでいて、ファイルがぎっちりと詰め込まれていた。
もう見慣れたそこに入っていると、後ろから乱暴な音を立てて大柄な男が現れた。
課長の澤井である。見た目からして邪悪だと保住は思っている。なにせ人相が悪い。性格の悪さがにじみ出ているのだ。
最近になって気が付いたが、先輩たちである職員は澤井のことを極度に恐れているようだった。しかし、自分にはなんの関係もない。周囲が澤井と話をすることをためらい避けている中、保住だけは臆することなく彼と対峙していた。それは世間知らずだからなせる業だと河合に言われたが、それが正しいのか誤りなのかは保住には判断がつかなかった。
「一体なんの問題があるというのですか」
口の減らない保住を黙らせるためなのか、中に入ってきた澤井はパイプ椅子を乱暴に引くと、それにどっかりと腰を下ろし、それから机を拳で叩いた。
「お前は組織のなんたるかを理解していないな」
「組織がどうなんて、関係ないです。おれはおれの好きに——」
「それがクズの意見だと言っているのだ」
「クズで悪かったですね」
「ああ、悪いな」
澤井はまっすぐに彼を見据えてから、ゆっくりと立ち上がると、保住の目の前に立った。そして保住のネクタイを鷲掴みにしたかと思うと、その手に力を入れた。
「おれはクズですけど、暴力で人を押さえつけようなんて、あなたは野蛮だ」
「暴力ではない。しつけだ」
澤井はそばのパイプ椅子を足で蹴る。大きな音を立てて、椅子は床に倒れた。
「お前は口ばかりだ」
普通の職員だったら、粗悪な態度の澤井に恐怖を覚えるのだろうが、お互い視線を外すことはない。澤井に見据えられても、やはり保住には関係がないのだ。
「保住。確かにお前はなんの不自由もなく今まで生きてきたのだろう。だが、ここは違う。市役所は組織だ。組織の流れに従わないものは去れ」
「辞めろということですか」
「そうだ」
「働く側の権利があります。雇用したからには、余程のことが無ければ解雇はできませんよ」
「そんなことは知っている。だから、促しているだけだ。貴様はこの仕事に向いていない」
澤井は苛立っているのだろう。保住を捕まえている手に力が入った。
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