アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
4.
-
ーー始まりは三ヶ月程前のことだ。
最初は一体何が起こったのか分からなかった。
目の前に幾分か大人になった雅琴がいて、変わらぬ丸い目を驚きで零れ落ちそうなほどに見開いていた。
唇が震え、大粒の涙が溢れ出す。
『絢…介、なの…?』
信じられないといった口調。
半信半疑に掛けられた問いに俺はわけも分からず頷いた。
『絢介…っ…!!』
勢いよく抱き締められて、その温もりを感じて、俺は漸く忘れていた全てを思い出した。
ーーそうだ、俺は死んだんだ。
不慮の交通事故だった。
雅琴の家に向かう途中で、信号無視をした車に轢かれそうになった子供を見て、俺は咄嗟に手を伸ばしていた。
自分が背負うものの大きさ、自分がいなくなったら雅琴の手を引いて歩く人間がいなくなってしまうことくらい最初から分かっていたのに。
途切れゆく意識の中で走馬灯が脳裏を過ぎる。
雅琴を初めて見た時の胸の高鳴り。
穏やかに見えて何も映していない黒い瞳は寂しげに揺らめいていた。
また、あの頃の雅琴に戻してしまう。
俺は、心の中でごめんと何度も繰り返した。
自分でも驚く程冷静な頭で息絶える直前に思ったのは、最後に雅琴に愛してると伝えたいということと、雅琴の今後への不安と後悔だった。
そう、確かに俺は死んだはずなのだ。
なら、これは都合のいい自分の夢だろうか。
天の世界で、来るべきはずだったもう一つの可能性《未来》を見せられているのかもしれない。
目を伏せたら消えてしまうかもしれないこの幸せを噛み締めながら俺の目からも涙が零れた。
そして、次に目を開けた時視界に映ったのは見知らぬ天井だった。
腕の中には雅琴がいて、掛けられた布団にもちゃんと触れることが出来る。
然し、現実は現実だった。
後に分かったことなのだが俺の姿が見えるのも、声が聞こえるのも雅琴だけ。
つまり俺は未練を残してこの世を漂う霊体、所謂幽霊というわけだった。
しかし何故こうなったのだろうか。
枕元に置いてあった雅琴のスマホを拝借して日付を確認すると、あの日から五年近くの年月が経っていることが分かったものの、なら何故今頃になって霊体として具現したのかが分からなかった。
確かに未練はあった、だが五年も経ってから現れる必要はあったのだろうか。
その時は不思議で仕方なかった。
然し、すぐにその理由を理解させられた。
午前六時、けたたましいアラームの音とともに少しばかり意識が浮上した雅琴だったが、その手は俺を離そうとはしない。
何度声を掛けても雅琴は夢現の状態で幸せな夢に浸ったまま起きようとはせず、満足気な顔で存在を確かめるように俺の顔に擦り寄っては胸に顔を埋めてきた。
あまりにも愛らしい恋人の行動に心を揺さぶられながら必死に理性を繋ぎ止めて雅琴と正面から向き合う。
漸く完全に覚醒した雅琴はどうしたらいいのか分からない、といったような表情だった。
それもそのはずだ、死者である俺は死ぬ間際に着ていた制服のままで容姿も何も変わっていないのだ。
元々童顔で幼い印象があった雅琴だったが、五年も経てば顔も幾分か大人びて社会人らしい雰囲気を纏っている。
高校生のまま時間の止まっている俺とは違って、雅琴は確かに大人になっていた。
ーーなのに、なんだろうこの違和感…。
『幽霊…なんだよね』
『…うん。ごめん、雅琴』
俺が謝ると雅琴は仄かに笑って首を振って俺を抱き締める。
『でも…本当に、絢なんだ…』
『…みたいだね』
『…会いたかった…』
『…俺もだよ』
『へへ…幽霊って触れるんだねぇ』
冗談交じりにそう言う雅琴だったが、触れる手が微かに震えていたのを俺は見逃さなかった。
ーーそして、この日が覚めない夢の始まりだったのだ。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
5 / 257