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ミコトとオト
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『……ありがと。あんたがそう言ってくれて安心した。
おれの名前はオト。あんたは?』
「……あ」
そういえば、お互いに名前も知らずに会話していたのか。
何だかこう改まって、名乗りを上げるというのは微妙に緊張する。
おれは座布団の上で居住まいを正した。
「おれは柳瀬皇子翔……です」
『ふーん、ミコトね。
可愛らしい名前じゃないの』
「……」
一番言われたくないことをさらっと言うな。
思いっきりしかめっ面したおれに対し、オトはしれっとした表情で、あ、と何かひらめいたような声を上げた。
『ねー、ひとってあだ名?とか、よくつけるじゃん。
ミコトも、そーいうのないの?』
「あだ名?」
それなら、いくつか思い当たるけど……
どれもあんまり広めたくないからなあ。
「うん、特にない」
きっぱりというと、オトは不満げにえー、ともらした。
『つまんないの。
じゃー、おれがつけたげよっか?』
「まあなんでも……」
『んーとねー』
実名でもあだ名でもそう変わらない気がするけど、出来れば女の子っぽさが増すものはやめてほしい。
そう考えると、最近こたから広まりつつあるあのあだ名は、唯一男っぽいと言えるかもしれない気がする。
『んーとー……
あのねー……
あー、なんかもー飽きてきちゃったからー、やっぱミコトでいいや』
「はあ……」
どこまでもマイペースすぎやしませんか。
おれがうんざりした表情をするのにも構わず、オトはちゃぶ台から降りておれのひざに頭をすり寄せた。
『ねーミコト、お風呂入んないの?』
「は?
……風呂は二日にいっぺんだけど」
おれの言葉が予想外だったのか、オトはえ?と首を傾げた。
『そんなもんなの?
毎日入んないの?』
「二日に一回入れればいい方だよ。
うち金ないから……」
『ふーん……』
オトはこたのように憐れみの目で見てはこなかったが、さぞかし不服そうに尻尾を揺らした。
『まーおれ野良だしー
汚いのは慣れてるから、別にいーんだけどね』
「……」
猫のくせに贅沢だな……
うちの実家の猫なんて、年に一回入れてやる程度だったのに。
……というか、待てよ。
「お前、ここに居座るの?」
『え?
当たり前じゃん』
「……」
そんな当然でしょ?みたいな顔しないでほしい。
ひとり分の生活費だけでキリキリなのに、これ以上出費が増えるなんてたまったもんじゃない。
泣きそうに表情を歪めたおれを、オトは眸を瞬いて見つめた。
『おれにいられると困る?』
「つうか、だって!」
『そんなにお金ないの?』
「う……」
自分で言うのも憂鬱だが、言われるのもなかなかぐさりとくる。
本気で肩を落とすおれに、オトはのんきに言った。
『心配ないって。
最悪食べ物がなくなってもさ、あんたがいれば』
「……はあ?」
突然の告白に、おれはじとっとオトを見る。
オトはやはりおかしそうに笑った。
『あんたの、精気さえあれば……ね?』
「……精気……」
『精気って、なんのことだか分かる?』
首を傾げる。
するとすかさず、そんなことも知らないの、とバカにされた。
『精気っていうのは、所謂魂の気のことなんだけど。
生命の根源となる力……すなわち、元気なの。
だから食べ物を口にしなくても、精気の供給さえあれば生きていけるってわけ』
「へえ……」
『で、今のはなしで思い出したんだけど。
そろそろ効力が切れるから、精気をちょーだい?』
どきりとした。
おれにまたあんな痛い思いをしろと言うのか。
たまらず両手を背中に隠すと、オトはくすくす笑った。
『契約は成立したんだ。
これからおれたちは毎日一緒にいることになるんだよ。
おれだって毎回血からもらうなんて吸血鬼みたいなことすんのやだし、血は特別濃いけど、あんな程度の切り傷じゃ量がないから効率悪いし。
なにより、ミコトが泣いちゃうし?』
「……」
『だからね……』
ぽん!
「!」
思わず後ろにのけぞった。
一瞬にして目の前に現れた人間の顔に、びっくりしすぎた心臓がのどから飛び出しそうになる。
青黒の髪の男はおもむろに顔を近付けると、一切の躊躇もなく唇を重ねてきた。
「んむっ……!?」
慌てて顔を横に逸らす。
すると朝のように頬を掴まれて、無理矢理前を向かされた。
恐る恐る下に視線をすべらせると、案の定一糸まとわぬ生まれたままの身体が視界に入る。
慌てて目を戻した先には青い眸が待ち構えていて、まっすぐにおれを捉えると、蠱惑的な笑みを浮かべた。
「これなら、痛くないよね?」
いやいやいやいや……
だからってこんなやり方はないだろう。
そもそもおれとこいつは昨日の今日に出会ったようなもので、何よりお互い男じゃないか。
男にキスされるなんて一生の恥だ。
無理無理、絶対無理!
「あ、ちょっと」
頬を掴む手を強引に振り払って、おれは部屋のすみっこへ逃げた。
オトは呆れたように息をはくと、壁にべったりとはりつくおれを追い詰めるようにゆっくり近付いてくる。
ああ、そうだった、部屋が狭いのを忘れてた。
これじゃあまさに袋の鼠じゃないか。
全裸の男が自分の部屋にいるってだけで鳥肌が立ってたまらないのに、こんな風に迫られるなんて……
おれの頭の横に両手をついて、男はおれを見下ろした。
めいっぱい顔を逸らすおれの鼓膜に、さっきまで頭の中で聞いていた声が響く。
「ねー、時間がないんだってば。
はやくしてくんないと元に戻っちゃう。
痛いのやなんでしょ?」
「……」
「ねーえ、ミコト」
「……」
はー、とわざとらしくため息をつく音が聞こえる。
それから、
「もー知らない」
「……っ!?」
苛立たしげに呟いて、あろうことか、おれの首筋に噛み付いた。
まさか、そこから血を飲む気なのだろうか?
猫ならまだしも、ひとの姿で……
「〜〜っ!」
全身がぞわっと震える。
たまらず男の肩を思い切り両手で押した。
男はよろめいておれから離れると、手の甲で唇をぬぐう。
じんじんと麻痺する首に触れて、血が出てないことを確認し、おれはほっと息をついた。
「ミコトが悪いんだもん」
「……」
まるで駄々っ子のようにふてくされる男を、半ば呆然と見つめ返す。
その表情がやけに人間らしくて、ふいに罪悪感が胸の内にわいた。
そもそも手を出してきたのは向こうなのだから、おれが悪く思ういわれはないのだけど。
おれはなんとか、のどから声を絞り出す。
「その……
血とか……唾液以外で、なんかないの」
「は?
あんた、おれの言ったこと覚えてないわけ?
他って言ったら、あと汗と精液くらいだけど?
正直あんたのにおいかなりくるんだよね、やらせてくれんなら喜んでやるけどキスも出来ないような相手とセックスするなんて想像したくもないんでしょーね!」
「え、えっと……」
逆ギレされても困るんだけど。
つーかそこまで怒ることじゃないと思うんだけど。
なんにせよ、選択肢はひとつしかないらしい。
「やっぱり、血で」
「分かってるよ!
バーカバーカ!」
「えー……」
なにはともあれ。
かくしておれと黒猫の、奇妙な共同生活は始まったのだった。
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