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街の平和を守り隊
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「ーーオト」
その夜、おれは自ら包丁で指を切り、オトに差し出した。
オトは丹念に血を舐めとると、しばらくの間、何も言わずにじっとおれを見つめていた。
オトが何も言わないなら、おれが行動するしかないじゃないか。
マンネリはもう充分満喫した。
ゆっくりと息を吸い込み、口を開く。
「おれは、なにをすればいい」
澄んだ青い眸が、僅かに細くなる。
おれはその目をじっと見据え、頭の中に声が響くのを待った。
『ーー誠意を』
「……え?」
『あんたの誠意を、おれに見せてよ』
ぽん!
「あっ……」
低い声で言われた直後には、人間の男が目の前に現れた。
思わず身を引いたおれの腕を掴み、男は憮然とした表情で言う。
「逃げるの?」
「なっ」
「ねーあんたさ、自分が情けないとは思わないのかな?
吹っ切れたような顔するから覚悟が出来たのかと思えば、手が痛いのを嫌がるしキスさえ出来ないしおれが居座ると知った途端急に泣きそうな顔するし。
今だってさ、まるでおれは何でもするから、みたいな態度とっといて、おれを拒否って逃げようとしたじゃない」
「い、今のは……」
「おれさ、そーいう曖昧で中途半端なことされんのが一番腹立つの。
なんで人間ってみんなそうなの?
自分が恥ずかしくないわけ?
あんたらみたいなのがいるから、彼女みたいな捨て猫が減らないの。
どーせ、あんたみたいに幸せに生きてきたやつには、分かんないんだろーけど?」
「……っ」
じわじわと顔に熱がたまる。
こんな人間としての自分までも否定するような言い方をされれば、おれだって黙っているわけにはいかない。
掴まれたままの腕を振り解いて、男の脳天目掛けて、思い切りこぶしを振り下ろした。
見事にヒットして、気持ちいいくらい鈍い音が鳴った。
「うああぁぁ……っ
あたま、頭割れたーっ!」
「割れてねえよ。
お前、人間好きとか言ってたくせに人間バカにしてんじゃんか。
お前だって中途半端なことしてるくせに、えらそうなこと言うな!」
「なんで分かんないの!?
好きだからこそ否定すんでしょ!
興味ないとバカになんて出来ないんだよ!」
「だからって人間みんなバカだと思うなよ!
確かにおれはバカかもしんないけど……バカもバカなりに頑張ってんだからな!」
「そんなんだからあんたはバカなんだよ!」
「うるさい!
バカバカ言うな!」
「あんたが言い出したんじゃん!」
「言ってない!」
「言ったよ!」
「言ったけど言ってないの!」
「意味分かんないよバカ!」
「うるさいバカ!」
「……」
「……」
お互い真っ赤な顔をして、見つめあう。
なんだかこんな下らない言い合いをしていることが、ふいにおかしくなってきて。
たえ切れず吹き出すと、男は怪訝そうに目を瞬いた。
「なに笑ってんの?」
「いや……なんか、バカらしいな」
「……そーだね。
あははっ、変なの」
「はははは」
なんだかよく分からないまま、二人して涙が出るまで笑った。
ひーひー言いながらどうにか笑いをおさめて、長く息をつく。
目を見るとまた笑ってしまいそうで、お互いに背中を向けたまま口を開いた。
「ごめんな。
……半端な態度とって」
「んーん……おれもね、ついあんなひどいこと口走っちゃって……ごめん」
「うん。
……あのさ」
「ん?」
おれは天井を見上げて、目を細める。
「あの母猫、捨て猫だったんだな」
しばらく、穏やかな沈黙が訪れる。
オトがゆっくりと語り出すのは、あるひとと飼い猫の物語だった。
「彼女はね……長い間若い女のひとの家で飼われてたんだ。
そのひとはとても優しくて、いいひとだったらしいけどね。
そのひとが結婚してこどもが産まれて……
彼女、そのこどもにひどく嫌われてたらしいんだ。
いつも泣かれちゃうから、彼女も出来るだけ近づかないようにしてたみたいだけど。
あんまり泣くもんだから夫婦も困り果てて、あるとき、あの駐車場に捨てられちゃったんだって。
……飼い主の女のひとは、こどもが大きくなったら迎えに来るからって、泣きながら彼女に言ったらしいよ。
だから彼女はずっとあそこに留まり続けたし、あんな状態になっても、彼女、まだ信じてるって言ってた。
あのひとは絶対迎えに来てくれるんだって」
「……」
「ねー、ミコト」
とん、と背中にあたたかな重さが乗っかる。
肩に当たる感触で、男が背中を合わせたのだと分かった。
「おれね、みんなを守りたい……
ほんとは、あの子も幸せにしてあげたかったのに……
毎日走り回って飼い主を捜してたけど、結局最期まで、叶えてあげられなかった。
自分がこんなにも無力なのがやだよ。
だけど、いくら頑張ってもこれ以上強くなんてなれないから……
これが今のおれの精一杯だから」
「……」
「……ミコト、お願い。
やっぱりおれひとりじゃ、なんにも出来ないみたいなの。
あんたの力を貸して。
おれと一緒に、みんなを守って」
その声音は、あまりにも切実で……
一週間前、あんなに威圧的に決断を迫ってきたときとは大違いに、弱々しかった。
おれは男の言葉をひとつひとつ汲み取りちゃんと答えを用意してから、敢えて声を低めて言う。
「ひとと猫を繋ぐためってのは、どうしたんだよ」
男は少しだけ肩を縮めた。
「それは、最終目標なんだもん」
「適当だなあ」
おれは苦笑する。
男はのどの奥で低くうなった。
「おれは大器晩成型なんだよ……」
「はいはい」
「将を射んと欲すればって言うじゃん」
「あーなるほどね」
「……」
ふいに体重をかけられて、背中がぐんと重たくなる。
すねたような声が頭上から降ってきた。
「ねー、絶対分かってないでしょ」
おれは笑いをこらえながら、男の身体を押し返した。
「分かってるよ。
……オト」
名前を呼ぶと、なに?と声が返ってくる。
背中に感じるぬくもりも声もまるで人間そのものなのに、この男も紛れもなく、オトなのだ。
おれは今になってやっと、そんな当たり前じゃないようで当たり前のことを、受け入れられたような気がした。
「おれも、守りたいよ。
おれなんかが守れるものがあるのだとしたら、おれはそれを守りたい。
お前が言うのと同じように、それはお前がいなきゃ出来ないことなんだと思う。
……だから、おれと一緒に守ってください。
猫も、ひとも、みんな」
「……うん。
ミコト、ありがと……」
ぽん!
「うわっ!」
突然、背中を支えていたものがなくなって、そのまま頭を床に打ち付けてしまった。
痛みにもだえながら横を見ると、上手くつぶされずにすり抜けたらしいオトが、おれの頬に鼻先をすり寄せてきた。
どうやら、タイミングよく時間切れだったらしい。
頭を打ったおれからしたら、タイミング悪すぎるとしか思えないが。
「なんだかなあ……」
思わず呟いてから、今日の昼間にも同じ台詞をもらしていたことに気付いて苦笑する。
「マンネリ、ね」
ごろごろとのどを鳴らすオトの頭を撫でてやりながら、おれは特に意味もなく口にする。
自分の声音がやけに弾んでいるのがなんだかおかしかった。
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