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猫屋敷の真実
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『……ミコト、入れ』
先にみんなにおれのことを説明してもらうために、部屋の中へ入って行ったあんちゃんが、扉の隙間から顔を覗かせる。
おれはごくりとつばを飲み込み、そっと扉に手をかけた。
明かりのついていない薄暗い部屋に、目を凝らす。
あちらこちらで二組の目が光るのを見る限り、かなりの数の猫がこの狭い部屋で息を潜めているということだけは分かった。
おれはあんちゃんに促されるまま、部屋の真ん中あたりに正座した。
「…………」
たくさんの目が、唯、おれを見ている。
耳鳴りがするほどの静寂に、息がとまるような心地がした。
『ミコト』
「……オト?」
暗闇の中から音もなく現れたオトが、ぴったりと寄り添うように隣に座った。
おれは、意を決して口を開く。
「……こんにちは。
えっと、こた……光汰郎の友人で、柳瀬皇子翔……です。
今日は、こたのことで、あなたたちが困っていると聞いて、ここへ、来ました」
『ミコト、深呼吸』
「う……うん」
あぁ……なんて、息苦しいんだろ。
たくさんの目がおれを見てる。
おれのことを、探ってる……
握りしめた手のひらが汗ばむ。
口の中が渇いて仕方がない。
緊張を悟られないように、おれはまばたきをこらえた。
『……本当に、わしらの言葉が分かるのだな』
張り詰めた空気を捌けるように、しゃがれた、けれど深みのある声が響いた。
おれは目を凝らし、声の主を捜す。
一匹の猫が一歩手前に歩み出た。
『わしの名はツクシ。
ミコトよ、おぬしはわしらの声を我が主人に届けたいと申したらしいな』
「……はい。
あいつが、本当にあなたたちを苦しめているのだとしたら、おれはあいつを説得したいと思ってます」
声が上ずりかけながらも、きっぱりと伝えると、ツクシはじっと目を細めおれを見つめた。
沈黙を破るように、別のところから声が上がった。
『なら、おいらのはなしを聞いてくれよ!』
群れの中から飛び出してきたのは、丸々太ったオス猫。
『おいら、元々はこのあたりに棲む野良猫だったんだ。
だけどある日、腹が減ってふらふらしていたら、いつの間にかこの家の庭に迷い込んじまって……
それで、コータローに捕まって、おいらはこの家に閉じ込められちまった!』
『それからの毎日は、地獄だったさ』
オス猫の言葉を引き継いで、別の猫が口を開く。
その猫もまた、見事なデブ猫だった。
『コータローはおれたちを執拗に追い回しては、逃げ遅れた者を捕らえ、容赦無く拷問にかける。
そうしてノイローゼになった仲間は数え切れないほど……』
『しかもコータローは、おいらたちにたらふく飯を食わせ、太って動けなくなった仲間を捕まえて……』
『くっちまうんだよ!パクリとな……!』
『あぁ、おいらははっきりと見た!
あのときの仲間の悲痛な叫び声が、今でも耳を離れない……』
「……こたが……」
まさか、噂が本当だなんて。
あまりの事実に呆然とするおれの耳に、今度は一際凛とした声が届いた。
『ミコト、と言ったかしら?』
姿を見せたのは、真っ白な美しい毛並みを持つメス猫。
デブ猫ばかりの中で、その猫は異質なほどの存在感を放っている。
『わたくしの名はスズラン。
あなた、コータローの友人なのよね?
なのに、何故わたくしたちの肩を持つの?』
「……友人だからこそ、間違ったことをしているのなら正してやりたい」
『だけど、信じてもらえるかしら?
あなたの猫がこう言ってました、だから直してください。
なんて、あなた、彼に言えるの?』
「確かに……ありのままを伝えることは無理かもしれない。
だけど、あらゆる手段を使って説得するつもりです。
……だから、きみもなにか思うことがあれば、言ってほしい」
そう告げると、スズランのまっすぐな眸が僅かに揺らいだ。
『……わたくしは
わたくしは、一度でいいから、外の世界に触れてみたい』
「外に……」
『ええ。
……一目、お逢いしたい方が、いるの』
逢いたいひと?
そうおれが問い返す前に、また別の声が叫んだ。
『コータローは悪魔だ……!
このままだと、ぼくたちみんな殺されちゃう!』
そしてその言葉を皮切りに、あちこちで声が上がり始めた。
『出して!ここから出してよ!』
『もうこんな生活たえられない……!!』
『死にたくないよお』
『怖い……』
『助けて!あいつをとめて!』
『地獄を終わらせてくれよ……!』
「ちょ、ちょっと……」
こんな一斉にはなされては、なにも聞き取れない。
あんちゃんがみんなを落ち着かせようとなにか叫んでいたけれど、それすらも埋もれてしまうほど不満の声はぐんぐん増幅し、その熱量を増していった。
あまりの数に頭がパンクしそうになる。
たまらず頭を抱えた直後……
何故かぴたりと、声がやんだ。
「……?」
恐る恐る顔を上げる。
「なあんだ〜
みんな、こんなとこにいたのか!」
……あぁ。
タイミングがいいのか、悪いのか……
なんにせよこれは……
まずい。
『……逃げろーーーーーッ!!!』
誰かが声を張り上げ、それを合図に、猫たちはどっと外に向かって駆け出した。
「へっへっへ〜逃がさないぞ〜!」
『キャーーーッ!!』
逃げ遅れた猫を抱え上げ、こたはぎゅーっと腕の中に閉じ込める。
愛しそうに頬ずりをするこたに対し、そのメス猫は目を見開いてガタガタと震えていた。
『!!!
なんてことだ……キクっ!
このやろう、キクを離せ!!』
『あんちゃん……!』
「ん〜?
レンもぎゅ〜ってしてほしいの?
よし、じゃあお前も一緒にぎゅ〜〜っ!」
『ぎゃ〜〜っ!!』
「んんん〜も〜キクもレンも可愛すぎ〜っ!!
可愛い子は〜食べちゃうぞ〜!」
『うにゃーーー!!
耳!耳がとれちゃうーーっ!』
『キクーーーッ!!』
「……。」
はい。
ええ。
つまるところ、全てはこたの行き過ぎた愛情表現だったというわけで。
「うん……だからね、こた」
「なに? おーじ」
なに? おーじ。
じゃないんだよ……
お前のせいで、おれの貴重な休みが台無しになったんだよ……
と、そんな本音を言えるはずもなく。
「たまには、外に出してあげた方がいいんじゃねえかな?
ほら、猫だってさ……ずっと家に閉じこもってても、つまらないだろ?」
「ん〜
でもうち、塀がないからさあ。
もし無闇に外に出して、もし、道路に飛び出して……もし、事故にでもあったらって思うと……!
あぁ!駄目駄目!ぜーったい、駄目!!」
「あ〜……」
まあそういうことなら、仕方ないよな……
きっと外に出たら、ほとんどの猫は逃げ出すだろうし。
そうなってしまうと、さすがにこたが不憫だ。
猫たちには悪いが、この問題は目をつむるしかないな。
うん、そういうことで。
「じゃあせめて、もう少し猫たちに自由な時間をあげて下さい」
「なんで敬語なの?
つーか自由な時間って?」
「こたは猫たちに構いすぎるだろ。
猫は静かなのが好きな生き物だからさ……構うばかりじゃなくて、ほっといてあげることも、愛情だと思うよ」
「愛情……!
うん、分かった!
ほっとく時間も作ってみる!」
こたのほっとくの基準が分からないけど、きっと今までよりは楽になるはずだよな……
うん、おれはこたを信じるよ。
よし次。
「猫は食べないこと」
「えーだって可愛いんだもーん」
なにがだもーんだよ。
「可愛いからってかじったら、猫が痛いだろ?
こたは猫に嫌われてもいいの?」
「それはやだ!」
「じゃあ、ほどほどにする」
「うん!甘噛みにする!!」
あー、うん。
……まあいいか!
「あとは、ちょっと……ていうかかなり、太らせ過ぎだ」
「おーじ、分かってないな!
ねこはぷっくらしてる方がだんっぜん、可愛いんだ!
こればっかりは譲らないぞっ」
「…………」
こたには悪いけど、こうなったらつらい現実を突きつけるしか方法はないだろう。
うん、決して、面倒くさいからってわけじゃない。決して。
「こた……
よく聞くんだ」
おれは身を乗り出して、机を挟んだ向かいに座るこたの肩に両手を置く。
こたはぱちぱちと目をまたたいて首をかしげた。
「あのな、こた……
猫は、太りすぎると……」
「太りすぎると……?」
「……早死にするんだ」
「は……早死に?」
「早死に」
こたの顔がみるみる内に青ざめていく。
おれは追いうちをかけるように、こたに優しく問いた。
「こたは、猫に早く死んでほしいの?」
「そんなわけない!」
「なら、ご飯は少し控えような?」
「うん、控える……!」
こたは泣きそうな顔をして、こくこくと何度も頷く。
おれは微笑ってこたの頭をぽんぽんと撫でた。
こうして、猫屋敷騒動は無事鎮火したのだった。
……たぶん。
『ーー……さすがオトの旦那。
こんなに早く解決してしまうとは、いやぁ全く、恐れ入りまさぁ』
こた邸からの帰り道、昨日と同じ場所に姿を現したズィルは、開口一番にそう言った。
それからおれを振り向くと、深々と頭を垂れた。
『ミコトの旦那も、本当に、ありがとうございやした。
これで仲間も、救われるはずでさぁ……』
しみじみとそう言われて、おれは曖昧に笑うしかなかった。
『じゃあ、あっしはこれで……』
『ねぇ、ズィル』
今まで口を閉ざしていたオトが、立ち去ろうとしたズィルを引き止める。
ズィルはゆっくりと振り向き、首を傾げた。
『はい、旦那?』
『まさか、あんたが仲間を救いたい、なんて本気で思ってるわけじゃないよね?』
オトは据わった目でズィルを見ながら言う。
対するズィルは、大げさな抑揚で、まさか!と叫んだ。
『旦那も疑り深いでさぁな!
あっしが仲間を助けたいと思っちゃいけないんで?』
『だから、あんたがそんなことを思うはずがないって言ってんの。
それと、あんたは昨日、よくあの屋敷の前を通る、と言った。
情報を求めて各地を放浪し、ひとところに留まることのないあんたが、何度も同じ場所を通る、なんておかしい』
「え……じゃあ、よく屋敷の前を通るっていうのは、嘘?」
思わずおれは声を上げる。
オトは少し考えるそぶりをしてから、首をゆるりと横に振った。
『んーん、ズィルはやけに猫屋敷について詳しかった。
いくら情報収集が趣味でも、コータローの名前を知っていたり、ミコトと一緒にいるところを見ていたり、詳細に知りすぎてる。
だから、それは嘘ではない。
ズィルには、あそこへ何度も通い詰めるべき理由があったんだ……
それが、仲間を助けたいからではないのだとすれば、家族が捕まってしまったか……
もしくは……女、かな』
オトが囁くようにそう呟いた瞬間、ズィルはぎくりとしっぽを立てた。
オトはズィルの反応を見ると、あっさりとズィルに背を向けた。
『ミコト、帰ろ』
「え……っ
え、ちょっと、どういうこと?」
おれはオトとズィルに交互に見る。
オトはあれだけで、ズィルの目的が分かってしまったのだろうか?
おれだけ腑に落ちないままなのは、どうにも気持ちが悪い。
説明を求めてズィルをじっと見つめると、ズィルは諦めたようにため息をついて、苦笑した。
『全く、オトの旦那には敵わないでさぁな……』
「どういうこと?
こたの家に、ズィルの恋人がいるの?」
そう問いかけると、ズィルは切なそうに笑って、遠くに視線を投げた。
『恋人だなんて……あっしは、あっしにとってあのお方は、まさに高嶺の花なんでさぁ……
たまたまあの屋敷のそばを通りかかったとき……柵の外から、あの方を見つけやした……
その御身はあまりにも麗しく艶やかで、その眸は神々しいほどの輝きに満ちていやした……
あっしは刹那にして、あのお方の虜になってしまったんでさぁ。
それからは、何度もあの屋敷に通うように……
きっと、あのお方はあっしのような穢らわしい野良の存在など、お気付きにすらなっていないでさぁな……
それでも、あっしはあのお方のお姿を外から眺めていられるだけで……
あのお方が少しでも幸せになれるように、祈っていられるだけで、充分なんでさぁ』
「…………」
『ミコトの旦那』
ズィルは改めておれに頭を下げる。
「あっしのわがままを聞いてくれて……
あのお方を救ってくれて、ありがとうございやした。
旦那には感謝してもしきれやせん。
本当に……ありがとうございやした』
ズィルの言葉を噛み締めながら、おれは先へ行ってしまったオトを追いかけた。
道の曲がり角で、オトはおれを待ってくれていた。
『……ねぇ、ミコト』
「ん?」
『スズランちゃんって子、覚えてる?』
スズラン。
すらりとした、美しい白猫の姿がすぐに頭に浮かんだ。
『あの子ね、おれがあの部屋を見つけたとき、一人ぼっちで窓の外を眺めていたんだ。
とても寂しそうな目をしていたから……
思わず、どうしたの、って、声をかけた』
「……へえ?」
へえー。
まぁ、確かにあの子は綺麗だし、可愛かったもんなぁ。
『……ちょっと、にやにやしないでよ、気持ち悪い。
勘違いしてんなら言うけど、おれは寂しそうにしてる子がほっとけないだけで、別にナンパとかじゃないから』
「ふーん。それで?」
『…………』
おれはなんでもないように続きを促す。
けれど、なおも揶揄を含んだ声色で返答をするおれに、オトはすっかり機嫌を損ねてしまったらしい。
無言でおれを追い越し、すたすたと歩き去ってしまった。
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