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期間限定の恋人
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「……あれ?」
部屋に戻りオトに滞在期間が延びた旨を伝えようと思ったのに、そこにオトはいなかった。
トイレにでも行ったのだろうか?
「……はあ、」
なんだかな……
荷造り途中の荷物を見つめて、おれはため息をつく。
せっかく綺麗に詰めた荷をすぐに解くのは気がすすまず、鞄の前にうなだれるように腰を下ろした。
そのときだった。
……聞き覚えのない声が頭の中に響いたのは。
『みーことッ』
「……!?」
はっと顔を上げると、目の前に琥珀色の宝石……
ではなく。
「ねねねね猫……!!?」
思わず後ろに仰け反る。
そして、さぁっと全身から血の気が引いていくのが分かった。
それは……そう、確かに猫だ。
なのだけど……そのからだは、明らかに空中を漂っていた。
「な、なっ……」
唖然とするおれに、その猫らしき生き物は、眸を細めて愉快そうに笑った。
『まるで夢みたいだぜ!なァ、ミコト!
おまえにオレの言葉が通じるなんてさ……』
「うわっ
く、来るな……!」
反射的に腕を突き出す。
すると柔らかい毛の感触はなく、代わりにドライアイスのような冷たい風が腕を覆った。
……通り抜けたからだの向こうに、おれの手が透けて見えた。
「ひっ……」
『おいおい、なにすんだよ?
……まさかおまえ、オレの顔忘れちまったのか!?』
「は!?
な、なに言って……っ」
……琥珀色の眸に、見憶えがあった。
くすんだ茶トラ模様と、少しぽっちゃり気味のおなかが、懐かしい面影にぴたりと重なる。
「……まさか……」
『なァ、久々にオレの名前を呼んでくれよ!
愛すべきその名は……』
「……カイリ」
『そう、カイリ!!
ミコトォ、元気してたか〜!』
「……嘘だろ……」
カイリ。
かつてこの家で飼われていた、飼い猫の名前。
……カイリは、おれが中学生のときに、寿命で死んだ。
「な……なんで……」
『オレがここにいるのかって?
それはなァ、この家が大好きだからさ!』
「……じゃあおまえは、カイリのおばけ?」
『そうそう、おばけ!』
「…………」
そんな昨日の夕飯を思い出すように言われたって、信じられない。
けれど死んだはずのカイリがここにいること、からだが宙に浮いていて、しかも触れられないことが、カイリが幽霊であることをはっきりと証明している。
……だとしたら、なんで今更見えるようになったんだろう?
『それは、おまえの中にキョーリョクな霊力が流れてるからさ!』
おれの心を見透かしたように、カイリは言った。
「霊力が?」
『ほら、ミコトといつも一緒にいるあの、ひとなのに猫っぽい変なヤツ!
あいつの霊力のおかげで、ミコトは今オレが見えるんだ。
まァ、今の今までミコトに近付けなかったのもあいつのせいなんだけどさ!』
「……?
どういうこと?」
首をかしげる。
カイリはほおを膨らませて、ふわりとおれの周りを回った。
『だってあいつ気味悪いぜ!
ひとなのか猫なのかはっきりしないし、なにより、霊力が他のヤツらとはまるで桁違いだ!
あんなバケモノ、近付けるかっつーの!』
オレは早くミコトとはなしがしたかったのにさ!
そう付け加えて、カイリは不満そうにふわふわと上下に揺れた。
……あいつがバケモノ?
まぁ人間に化けられるんだから、ある意味バケモノだけど。
『ミコトも、あんなのと関わるのやめた方がいいと思うぜ!
ろくなことがないぞ、きっと』
「……もう慣れたよ、ろくでもないことには」
『ふーん?
まあ、どんなヤツと付き合おうがおまえの自由だけどさァ。
おれも、あいつがいなきゃミコトとはなせなかったんだしな!
一応、感謝とかしてやってもいいんだぜ!』
「はあ……」
いまいちカイリのノリがつかめないが、状況はなんとなく把握出来た気がする。
おれはふよふよ機嫌良さそうに漂っているカイリに、ところで、と切り出した。
「カイリは、えっと……
死んでから今まで、ずっとうちにいたのか?」
『まァな!
おまえらがあんまり泣くもんだからァ、オレもいくにいけなくなっちまってよォ』
……さっきと言ってることが違う気がするけど。
『ま、なにはともあれ、せっかくこうして言葉を交わすことが出来るんだ。
だからさ、ミコト……』
笑みをたたえていたカイリの眸が、すっと細くなる。
『オレの頼みごと、聞いてくれないか』
「……頼みごと?」
カタン、
物音がして振り返る。
そこには、なにやら不機嫌そうに顔をしかめたオトが立っていた。
「……誰とはなしてたの?」
オトは警戒心をあらわにした声音でゆっくりと言った。
「誰って、……?」
目線を戻した先にあいつはいなかった。
きょろきょろと辺りを見回してみても、いつの間にかその気配の尾すら消えている。
オトを一方的に敵対しているようだったから、オトが現れたことで咄嗟に姿をくらましたのかもしれない。
なんというか……便利なからだだなあ。
「ミコト?」
「ん?……んー、そんなことよりオト、悪いんだけど、年明けまで帰れなくなった」
「うん、聞いたよ。
ヒヨリがミキに頼んだんだってね」
「……え、そうなの?」
「うん。
それで、それまでヒヨリと付き合うことになって」
「ん?」
「まあ年明けまでだし、それであの子に未練が残らないんだったら……」
「え、いや、ちょっと待って」
ヒヨリとオトが……?は?え?
「あの、意味が分からないんだけど」
「だってさーしつこいんだもん。
年明けまで付き合ってみて、それでもおれがなびかなかったら、諦めるって言うからさ。
じゃあそれでいいやって思って」
「それでいいやって……お前なあ」
「なんにしたって、いい迷惑だよねー。
やっと明日、元の姿に戻れるはずだったのにさ」
オトは一層眉間のしわを深くしてぼやきながら、おれのそばに来ると
ごろんと寝転がって膝の上に頭を乗せた。
どうやら、ひざまくらがお気に召したらしい。
重い、とオトの頭をどかそうと、おれは手を伸ばした。
「……?」
その手を訝しげにつかんで、オトは腕に鼻を寄せた。
「……なにしてんの?」
「……おかしな霊力が絡みついてるね。
ミコト、変なものに触ったでしょ」
「は?
別になんも……」
……いや、待てよ。
霊力ってことは、カイリしかいないよな。
おれ、カイリに触っちゃったっけ?
「……えーと、触ったような触ってないような……」
「……ミコトはおれのこと良く解ってるだろうから、敢えて追及なんて無粋なことしないけどさ。
話せるときになったら、話してよね」
「あ、うん?
いや話せないってわけじゃ……」
ない……けど。
カイリはオトに見つかりたくないようだったし
オトが待っててくれると言うなら、もう少しだけカイリのことは黙っていてみようか。
「……じゃあ、また今度、ちゃんと話すよ」
「ん。
まぁ事情はどうあれ、おれ以外の霊力がミコトについてるのは気に入らないね。
ミコトはおれのものなんだからね、あんたも、もっと自覚を持ってよ」
「いつからお前のものになったんだよ……」
「なに言ってるの、最初からでしょ?
おれと契約を結んだ時点で、あんたはとうにおれのものだよ」
それなら、オトもおれのものなのかよ。
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
そうだよ、とオトが肯定したとして、おれはもうなにも言い返せないじゃないか。
「ねーあのさー、さっきから別のことばっか考えてるでしょ。
おれだってひとの心が読めるわけじゃないけど、ミコトが違うこと考えてるってことくらい分かるよ。
あんたは今おれと話してるんだから、おれのことだけ見ていてくれないかな……」
「え、……っ」
ふいに首の後ろを引き寄せられ、オトの青い眸がぐっと近付く。
反射的に目を細めた、そのとき。
ばんっ!
勢い良くドアが開いた。
「……オト君、母さんがオト君とおはなしがしたいって」
勢いのわりには低く静かな声で、部屋の前に立つ姫和が言った。
オトはチッと舌打ちすると、おれにしか聴こえない声で囁く。
『またあとで、ね』
……そんな台詞に期待するほどおれは軽い男じゃないぞ。
いや、そんなことより、オトが舌打ちするのなんて初めて聞いたな。
オトはコロコロ感情が動くから、機嫌が悪いことなんてしょっちゅうだったけど
あんなに不機嫌になることもあるんだな……
「……みーたん」
「ん?」
顔を上げると、姫和が目の前に立っていた。
いつの間にかオトは出て行ったらしく、部屋の中にはおれと姫和の二人きりになっていた。
「…………」
姫和はちょっとだけ俯いて、それから、睨むようにおれの顔をじっと見つめた。
「あのね……オト君に手出さないでくれるかな?」
「…………ん?」
おれがオトに……てをだす?
一瞬言われた意味が分からず、おれは瞬きしながら首を傾げた。
「みーたんさっき、オト君とキスしようとしてたでしょ。
オト君はね、今わたしと付き合ってるの。
ひとの彼氏をたぶらかすようなこと、しないでほしいな」
「…………」
「それだけ。じゃあ」
ばたん。
ドアが閉まり、姫和の足音が遠ざかっていく。
その音が一切聞こえなくなっても、おれは暫く開いた口を閉じられなかった。
……いや、そもそも手を出してきたのはあっちなんだけど。
そう見えたのならものすごく心外だが、それ以前に、姫和がおれたちの関係になんの疑問も持っていないらしいことが一番の驚きだ。
姉ちゃんにしろ姫和にしろ、男同士、というところに何故か頓着がない。
……まあ、おれのことを可愛いとか言うような人たちだ。
そもそもおれを男だと認識していないのかもしれないけど。
ーーあの子は案外手強いかもねぇ。
あの時の姉ちゃんの言葉を思い出しながら、おれは大きくため息をこぼした。
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