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黒猫
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おれが意識を取り戻したのは、その二日後の、大晦日の晩だった。
目を開けると、隣に姉ちゃんがいて、いきさつを説明してくれた。
おれがひどい熱を出して寝込んでいたこと。
母さんや姫和と代わりばんこで看病をしてくれていたこと。
それから……オトがいなくなってしまったこと。
「どこを捜しても見つからないのよ……
ねぇ、皇子翔、オト君となにがあったの?」
「…………」
「……ごめんね。あたしのせいだよね。
皇子翔、ごめんね」
違うよ、姉ちゃん。
違うんだよ……
ーーリン
懐かしい鈴の音色。
手を伸ばすと、そっとおれの頬に擦り寄ってくる。
「……その猫、ずっと皇子翔のそばから離れないの。
どこから入って来たのか、いつの間にか家の中にいてね。
その子がいるとあなたも落ち着いていられるみたいだったから、追い出すに追い出せなくて」
姉ちゃんは呆れたように苦笑して、黒猫を見つめた。
「……もしかして、その子がオト君だったりしてね」
その声音は弾んでいて……
きっと姉ちゃんは、おれがそうだよと肯定すれば、信じてくれたんだろうな。
なんとなく、そんな気がした。
姉ちゃんが出て行ってしばらくして、姫和がそっと部屋のドアを開けて顔を覗かせた。
「みーたん、具合はどう……?」
「もう平気だよ」
そう言うと、姫和はちょっとだけほっとしたように微笑った。
「……オト君は、戻ってないんだね」
「…………」
「あのね、わたし、オト君にふられちゃったんだ」
「え……」
「どうあがいたっておれはミコトが好きだからって。
ミコト以外の誰かを好きになるなんて無理だって。
……みーたん、ごめんね。
わたし、みーたんにやきもちやいて、ひどいことたくさん言っちゃった。
はじめから、みーたんに敵うはずもなかったのにね……」
「……姫和」
「わたし、本当にオト君が好きだったんだよ。
出会ったばっかりだけど、それでも、オト君を好きになれて、すっごく幸せだった。
……あんなに素敵なひとに大切にしてもらえるみーたんが、羨ましいな」
「うん……」
「みーたん、なにがあったのかは分かんないけど、オト君がみーたんを置いていなくなるなんてあり得ないよ。
オト君は絶対、みーたんに会いに帰ってくるから。
だから、大丈夫だよ」
「うん、ありがとう……姫和」
……オトはここにいるよ。
そう言えないことが、少しだけもどかしい。
おれは枕元で丸くなって眠る黒猫の頭を、一度だけ撫でた。
「……オト」
呼びかけると、オトは透き通った声で、にゃあと鳴く。
言葉が通じない状態になるのは、本当に久々だ。
話せないのをいいことに、ぎゅっと甘えるように抱きついて頬を寄せると、オトはごろごろと喉を鳴らした。
言葉が届くようになったら、伝えなきゃ。
たくさん、たくさん話したいことがあるんだ。
お前の声が聞きたいんだ……
遠くで鐘の音が聞こえる。
おれは、オトの額にキスをして微笑った。
「あけましておめでとう、オト」
にゃあ
オトは嬉しそうに目を細めて、おれの鼻先にキスをした。
ーー翌日。
おれは昨日より大分軽くなったからだを起こして、母さんと姉ちゃんと、姫和と、食卓を囲んでいた。
いつ用意したのか、机の上には豪華なおせち料理が並べられていた。
「ーーそれでは、改めて。
あけましておめでとう。
今年も、皆が健康で幸せに過ごせますように……」
母さんがそう言って祈るように目を閉じると、それに倣っておれたちも目を閉じる。
それから、いただきますと手を合わせて、賑やかな食事をした。
「……母さん、ちょっといい?」
食事のあと、おれは母さんの部屋を訪ねていた。
おずおずと中に声を掛けると、どうぞ、と優しい声が返ってくる。
おれはゆっくりと障子を引いて、部屋の中に入った。
そこには、予想外の先客がいた。
「オト?
……あっ」
口走ってから、はっとする。
母さんの前でオトの名前を呼んでしまった。
おれが口を押さえるのを見て、母さんはきょとんと首を傾げた後、ころころと微笑った。
「そんなところで立ってないで、座りなさいな」
「……うん」
座布団に腰を下ろすと、母さんの横にいたオトがおれの隣に移動した。
なぜここにいたのかと、首を傾げるおれに、母さんが嬉しそうに教えてくれた。
「その子ね、わたしが部屋に戻ってくるのを、障子の前で待っていたの。
まるであとから皇子翔が来るって分かっていたみたい」
「……」
見下ろすと、オトは青い眸でおれの目をじっと見返す。
……オトはおれが母さんになにを言いに来たのか、気付いているのかな。
「それで、突然どうしたの?
皇子翔からわたしの部屋を訪ねてくれるなんて、珍しいじゃない」
「……うん。あのさ、」
伝えるべきかどうか、ずっと迷っていた。
伝えたところで本気で信じてもらえるなんて思わないし、あいつがそれを望んでいるとも限らない。
……それでも、これはおれの役目なんだと思ったから。
猫とひとを繋ぐこと。
それがおれの……おれとオトの約束だから。
おれは一瞬だけオトと目を合わせて、それからゆっくり息を吐いた。
「……母さんに、伝言を頼まれたんだ」
「伝言?」
「うん。
……もうオレのことは忘れていい。
だから、幸せになってほしい。
……オレを愛してくれてありがとう……って」
「…………」
母さんは、無表情のまま、ただ薄く唇を開いておれを見つめていた。
おれはあいつの想いが届くように、まっすぐに母さんの目を見つめ返す。
「……そう……」
やがて母さんは花がほころぶような微笑みを浮かべ、眸から涙を流した。
その表情は、少しだけ寂しそうに見えた。
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