アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
帰る場所
-
「本当に、もう帰っちゃうの?」
少し不服そうな姉ちゃんに苦笑を返しながら、おれは頷く。
「そもそも、年明け前には帰る予定だったんだし」
「それはそうだけど……
せっかく志真さんに、みーたんのシフト空けてもらえるように頼んだのに」
「残りは、家で満喫するよ」
そう言うと、姉ちゃんは唇を尖らせながらも、微笑ってくれた。
「全く、みーたんは変なところで強情なんだから」
「姉ちゃんには言われたくないな」
「なんですって〜?」
姉ちゃんがこぶしを振り上げる仕草をするのを、おれは笑ってかわす。
おれたちの隣で何も言わずに佇んでいた姫和が、小さく声を上げた。
「……ねぇ、オト君はいいの?」
姫和は泣きそうな顔でおれを見つめる。
おれは、足元でちょこんと座っている黒猫に目を移しながら、うん、とゆっくり頷いた。
「大丈夫。
……ちゃんと会えるから」
「……本当に?」
「本当だよ。
だから、姫和はなにも心配しなくていい」
おれがきっぱり言い切ると、姫和は驚いたように目を丸くした。
それから、分かった、と明るい声で応えてくれた。
「みーたんが大丈夫なら、いいんだ。
……また、こっちにも帰ってきてね。
わたし、みーたんに会えるの楽しみにしてるからね」
「うん」
次は、きっともう少し軽い気持ちで帰って来られるよな。
……帰ってきてもいいんだよな。
「母さん、またちゃんと顔出しに来ます。
……あと、たまには電話も」
「あらあら……それはとっても嬉しいわ。
わたしはいつでもあなたを待ってるからね。
帰り道、気をつけて帰るのよ」
「うん」
「やっぱり送っていこうか?」
「大丈夫だよ、姉ちゃん。
おれ送ってまたここまで戻ってきたら、夕方になっちゃうだろ」
母さんに交通費を支給してもらってしまったことは少し後ろめたいけど、おれのわがままに姉ちゃんを付き合わせるのもしのびない。
「じゃあ……おれもう行くから。
良いお年を」
「ええ、皇子翔も」
「良いお年を!」
「またね、みーたん」
手を振りながら、背を向ける。
ここまで来る時はあんなに憂鬱だったけれど、小さくなっていくのを見れば少しだけ、後ろ髪を引かれるような心地がした。
オトを大きめのボストンバックに隠して、電車や新幹線を何本も乗り継ぐ。
二度目の上京といえど、さすがに何時間もかけての移動は骨が折れた。
見慣れた路線の電車に乗ったとき、思わずほっとため息がもれた。
「ーー帰ってきた……」
夕暮れに染まるボロいアパートを見上げ、おれは掠れた声で呟いていた。
何日ぶりに帰ってきただろう。
長旅にでも出ていたような気分だ。
ポストを開けると、こたを始め親しい友人からの年賀状が数枚届いていて、すっかり出しそびれたことを反省した。
休みが明けたら、手渡しで返そう。
ガチャッ
耳に馴染んだ音が手に響く。
鍵を引き抜き、扉を開ける。
オトがするりと隙間をすり抜け、先に部屋の中へ入って行った。
この感じも、なんだか懐かしい。
「……ただいま」
誰にでもなく呟いて、おれは玄関の扉を閉めた。
鞄を放り出し、おれはなによりも真っ先に包丁を握っていた。
指先を薄く割いて、オトに差し出す。
改めてみると、まるでなにかの儀式みたいだ。
おれが血を与え、黒猫はそれをうやうやしく受け取る。
そして……
「……ミコトっ!」
「うわ……!?」
ひとに化けた黒猫は、まるで再会を喜ぶように、おれの首に抱き付いた。
「ミコト、ミコト!」
「お、オト……落ち着けって」
なだめるように背中を撫でる。
オトは興奮気味におれの目を覗き込んだ。
「あのね、話したいことがたくさんありすぎて……なにから話したらいーのかな。
……ずっとこうして、ミコトを抱き締めたいって思ってた」
「オト……」
「しばらく話せなくてつまんなかったけど、色々事情があってね……
でも、おれなにも言ってないのに、ミコトはおれに血を与えようとしなかったよね。
どうして?」
「……どうしてかな。
なんとなく?」
「なんとなく?
ふふ、変なの」
「あはは」
多分……オトがそれを望んでいないと、感覚的に分かっていたんだと思う。
オトはおれに媚びるような仕草をしてこなかったし、それに、おれ自身も今は話せなくても構わないような気がしていた。
「あのときね……」
「ん?」
「ミコトがあいつに精気を注いだとき、本当に危ない状態だったんだよ。
おれが以前言ったこと覚えてる?
相性の悪い相手と交わすと、危険なんだって。
気付いたと思うけど、ミコトとあいつの相性、最悪なんだよ。
しかもあいつはひとの精気を受け取る意味をちっとも解っていなくて、ミコトの精気を吸い尽くそうとした。
あいつが幽霊じゃなかったら少しは加減も解ったんだろうけど、幽霊は霊力の塊みたいなものだからね。
いくら霊力を注いでも力が衰えることはない。
だけどひとは、精気を全て奪ったら死んじゃうんだ。
正確には、魂を抜かれて、空っぽのぬけがらみたいな状態になる。
おれが制止した時点では多分、半分くらい抜かれた状態で……
それだけならまだ良かったんだけど、相性の悪いあいつの霊力がミコトの中に流れ込んで、ミコトの精気と反発し合ってたから、ミコトの中はぐちゃぐちゃになってた。
あのままおれが少しでも遅くなってたら、ミコト、死んでたかもしれないんだよ」
「…………」
あの短い時間に、そんなことが起きてたのか……
ただでさえ意識が朦朧としていたから、あまりはっきりとしたことは覚えてない。
ただ、意識を手放す寸前に感じた暖かさが、ひどく心地よくて……
「だから、おれの中の霊力を流し込んで、あいつの霊力を打ち消した。
霊力どうしは馴染まないからね。
強い方が弱い方を飲み込むんだよ。
それでなんとか落ち着かせることは出来たんだけど……
それでも精気の薄くなったミコトのからだはひどく力を失って、高熱に浮かされた」
そっか……
そういうことだったのか。
「じゃあ、オトがおれから精気を取ろうとしなかったのは……」
「うん。
ミコトの精気が完全に回復するまで待とうって思ったから。
……それにね、ミコトはもう、あいつの顔なんて見たくないだろうなって思ったから、見えないようにしておきたかったの」
「……カイリは、なにか言ってた?」
「何度も、ごめんって。
……あと、ありがとうって」
ありがとう?
「伝えてくれて、ありがとう」
「……ああ……」
余計なことをしたかなと、思っていた。
……あのとき、あいつもそばにいたんだな。
「ミコトってさ、バカだよね」
「は?」
「ほんと……どうしようもないくらい、バカだよ」
触れるか触れないかの距離で、オトはおれの髪を撫でる。
見上げた青の眸には、色んな感情が含まれているように見えた。
「……心配かけてごめん」
そっと呟く。
オトは泣きそうな表情で微笑った。
「まったくだよ。
……なんだか嫌な予感がして、部屋に駆け付けて、真っ青な顔したミコトを見つけたとき……
心臓が止まるんじゃないかと思ったんだからね。
抱き締めたからだが冷たくて、このまま雪みたいにおれの手の中で溶けて消えちゃうんじゃないかって、すっごく、怖かった……」
あのときの、珍しく声を荒げていた
オトの姿を思い出す。
冷たい闇の中で、おれの名前を呼んでくれたとき、ほっと安堵したのを覚えてる。
オトが来てくれた。 もう大丈夫だ。
心からそう思った。
オトがそばにいてくれるだけで、おれはこんなにも気持ちが穏やかになるんだと気付いた。
「ありがと……その、助けてくれて……」
そう言うと、オトは少しだけ意外そうに目をまたたいた。
「……でも、遅くなった。
もっと早くに気付いてたら、あんなことにはならなかったかもしれないのに」
「それでも、オトが来てくれたことに変わりはないだろ。
おれはそれで充分だよ」
「ミコト……」
目を細めておれを見つめる。
青の色が濃くなり、それは深い海の底から見上げる空みたいに、綺麗な光を宿す。
おれは、おまえのその色に、いつも惹かれるんだ……
「ミコト、ありがと。
……大好き」
「……うん」
うん、おれも。
おれもお前のこと……
「……っ」
「もう、ヒヨリとは別れたんだから……キスしてもいいでしょ?」
吐息が触れ合う距離で、視線を絡める。
眸を揺らすおれの姿が、オトの目に映っていた。
オトの焦らすような態度に乗るのが悔しくて
おれは敢えて低い声で問い返す。
「オトは姫和のキスの方が、いいんじゃねえの?」
「……は?」
「気持ち良さそうだったもんな。
おれなんかよりさ……」
「……見てたの?」
「え、気付いてなかったの?」
お互いに、目を丸くして見つめ合う。
そして同時に、さっと目を逸らしていた。
「あ、あれはね、ミコトが精気をくれないから、仕方なく……」
「仕方なくとか失礼なこと言うなよ……
つうか、おれはてっきり、おまえに気付かれてるとばかり……」
「あのときはほんとにギリギリで、そんな余裕なかったの!
おれはヒヨリの目の前で猫に戻っても全然構わないけどさ、そんなことになったらミコトが困ると思って」
「おれのせいかよ!」
「ていうかミコトだって、ヒヨリとすればいーじゃんって言ったじゃん!」
「それはつい意地張って……っていうか、だって、おれが本気でそんなこと言うわけないだろ!?」
「知らないよそんなの!
おれがどんな気持ちであんたの言葉受け取ったか分からないでしょ!」
「おれがどんな気分でお前と姫和がキスしてんの見てたか分からないだろ!」
「…………」
「…………」
お互い、続ける言葉は決まっていたと思う。
先に口を開いたのは、オトだった。
「……ごめん」
「うん、おれも、ごめん」
「自分でもね……
たとえ時間切れになっても、ミコト以外のひとからもらうべきじゃなかったって、すごく後悔した。
それこそ浮気みたいっていうかさ。
……それに、あの子には悪いけど、暫く異物感がなくならなくって……
やっぱりおれは、ミコトのじゃないと無理なんだね」
「……おれも……
今までお前以外のを知らなかったから分からなかったけど、他のやつのがあんなに気持ち悪いとは思わなかった……」
もうあんな感覚は二度と味わいたくない。
オトのが暖か過ぎて泣きそうになるくらい、あの苦く混ざり合わない冷たさはぞっとしなかった。
おれたちは顔を見合わせて、思わず吹き出した。
思うことは、同じなんだな。
なんだかとても遠回りをしてしまった気がするけれど、辿り着く場所が一緒なら、どんな過酷な道を選んできてしまったとしても、こんな風に笑い飛ばせるんだ。
……それはもしかしたら、ものすごく幸せなことなのかもしれない。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
42 / 73