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逃亡
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『……ありがとう。
あなたたちのおかげよ』
凛とした声は、冷たい闇夜によく通る。
鈴のように透き通った声音からは、彼女の芯の強さがうかがえた。
『礼を言うのはこっちだよ。
ぼくたちはいつも、この呪縛から逃れたいと願いながら、抜け出そうと考えたことなんて一度もなかったんだ。不思議だよな』
そう言う彼の隣で、ぽっちゃりした若いメス猫が落ち着かない様子で辺りを見渡している。外に出るのは初めてなのだ。
『あんちゃん、怖いよぅ……』
『大丈夫だ、キク。
ぼくたちの主人より恐ろしいものが、あるものか』
彼らは箱の中の世界しか知らなかった。
自分たちはもっとも不幸なのだと、そう信じて疑わなかった。
『いいかね、お前たち。
もしも外の世界で生きることがつらくなったら、必ずここに帰って来なさい。
ここにいれば、少なくとも、飢えて死ぬことはないのだから』
しわがれた声で、オスの老猫が静かに言う。
あんちゃんと呼ばれたオス猫は、その言葉に笑って応えた。
『ボス、もう会えないかもしれないと思うと、やっぱり寂しいです。
できればみんなも逃がしてやりたかったけど……』
その言葉に、老猫はゆっくり首を振った。
『お前たちだけなら、しばらくは家の者も気付かないだろう。
主が気付くよりはやく、お前たちはできるだけ遠くへ行くのだ。決して誰にも見つからぬところへ』
三匹は深く頷くと、名残惜しそうにしながらも背を向け、柵の向こうへ飛び出していった。
その背中を見届け、老猫は静かに夜空を仰ぐ。
……どうか、みなが幸せで在るよう……
『すまない、コウタロウ……』
彼はずっと前から知っていた。
彼の主が、誰よりも、なによりも、自分たちのことをかけがえのないものとして愛してくれていることを。
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