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利用のない控え室。
桜田に連れてこられても、俺の涙は止まってくれなかった。
「な、んでっ……俺は……」
「先輩、話してください。誰が先輩を傷つけたんですか。誰が先輩を泣かせているんです」
「違う、俺が勝手に……」
「そんなわけないです、誰かが先輩を責めたんじゃないですか。だからそんなに怯えて…………まさか主任ですか?」
「ちが、う」
「……椎名先輩、やっぱりオレにしてください。オレだったらこんなふうにさせません! オレの方がっ……ずっとずっと先輩を好きなんです」
手を握られて茫然とする。
亮雅さんとは違う。
優しいけど、やっぱり違う。
「ごめ……ん、こんな姿見せるつもりなかった。俺は……それでも亮雅さんが本当に好きなんだ。ごめん」
「……」
涙で濡れた手はスっと離れていった。
「……オレ、宴会のヘルプに入ることが多くて知ってます。主任は部下のミスも全部、文句1つ言わず客に頭下げてるんです。悪質なクレーマーは理不尽に怒鳴るし、やってないことをやったと言い張るし。それでもあの人は部下の悪口なんて言わないんですね」
「っ……」
「怒鳴りつけるのはただの言いがかりだからって、叱った後には絶対部下をフォローする。正直、ムカつくくらいに凄いなって思いました……」
「亮雅、さんが……?」
「はい。言いたくないんですけど、先輩のことも心配してましたよ。"何もかも一生懸命にしようとして周りが見えてないから、もっと気楽に頼ってほしい"って。主任、頼られるのが生きがいっぽいですもんね」
「____」
怖い顔をして怒っていたのに。
本当は大切にしてくれようとして……
俺のためを考えてくれて。
止まっていた涙がまた溢れそうになる。
「椎名先輩と主任が付き合ってること、オレは素直に応援できません。でも……主任はまっすぐで強い人だと思います」
「……」
「うざい、けど」
「…………」
本当にそうだ。
亮雅さんは自分の意思があってあの完璧主義を貫いている。
それは誰かのためでなく自分のためなんだと、最近になって初めて知った。
尊敬する光樹さんだけを見て育ってきたようなものだ。だから頑張れるのだと。
「先輩は罪な人ですね……ほんと、罪なのはその容姿だけにしてください」
桜田はそれだけ言うと控え室を出ていってしまった。
手の震えは少しだけ落ち着きを取り戻し、ぎゅっと抱きしめる。
「ごめん……ごめん、」
何度もさすりながら頭の隅に浮かんだ陸の笑顔。
本当はあの子の笑顔が見れるだけで十分だった。
きっと俺も張り切りすぎたのかもしれない。
我慢の糸が切れるほど。
涙というのはすごいものだ。
自然とすっきりして、退社する16時まで思ったよりも調子のいい仕事ができた。
今日は亮雅さんが夜遅くまで出勤で、俺は陸を迎えに学校へ向かった。
「ママ〜っ、今日のごはんなにぃ?」
「今日はハンバーグにしようかしら。一緒に作ろうねえ」
「やったぁ!」
小さな子どもの笑顔を見て、なんだか恥ずかしくなった。
……子どもみたいに泣いてしまった。
しかも桜田の前で。
早く帰って、ご飯作ろ。
「____ねこしゃん! あぶないのぉ」
「え?」
陸の声だった気がして横断歩道を見ると、陸がぐったりとした猫を抱きあげようとしていた。
歩道の信号は点滅し始め、視界の先から向かってくる車の運転手がスマホをいじっているのが見えてしまう。
止まろうとする気配がなかった。
心臓がグッと掴まれたように痛み、瞬間カバンを投げて陸の元へ駆け寄っていた。
「ッ……陸! 危ないッ!」
「? ゆしゃ……」
猫を抱き上げた陸の体を強引に抱きしめたとき、耳許でけたたましいスキール音が響いてくる。
体が一瞬だけ宙を舞い、歩道に全身を打ちつけても痛みがなかった。
歩行者の叫び声が聞こえ、陸の泣く声が脳の奥深くまで届いた。
ふしぎと朦朧としていく意識のなかで、どうしてか俺はホッと安堵していた。
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