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冬弥が予約していた旅館の部屋は、本館と庭でつながった離れの一室だった。
一見してグレードの高すぎる部屋に雪斗は慌てたが、時間が経つにつれ落ち着きを取り戻していく。部屋つきの家族風呂と海の幸たっぷりの懐石料理を食べ終えると、すっかり気分はフラットだった。
刻々と、今日の終わりへと近づいているからかもしれない。
「雪、酔ってない?」
「大丈夫です」
「そうかな。昔、僕の家で酔いつぶれたときも、君は大丈夫です~って可愛く笑っていたよ」
「あのときは……お酒に慣れていなくて」
可愛くはないですよ、と言えなかった。
社交辞令だとわかっていても、冬弥の声でもう少し「可愛いね」と言っていてほしかったから。
一本の徳利を満たす清酒を、少しずつ、少しずつ分け合って飲む。庭に面した縁側は綺麗に整えられた景観を望む特等席だ。浴衣姿の冬弥の隣にいられる、最高の。
「君と暮らした一年は……とても、楽しかった」
雪斗は一度、強く目を閉じた。
この日、この時間に、冬弥が思い出話を始めることは、さよならへのカウントダウンと同義だからだ。
まだ言わないで。もう少し、何も話さなくていいから、静かな時間を二人で過ごしたい。
そう言いたかったけれど、雪斗はまぶたを開け、庭の小さな池に通じる飛び石をじっと見つめた。
「俺も楽しかったです」
「本当に?」
「ホントです」
雪斗がついた嘘は、最初のひとつだけだ。
信じてほしくて、とにかく冬弥に視線を送る。瞳の中に迷いがないことを、上辺から底のほうまで冬弥と過ごした幸福で満ちていることを知ってほしかった。
視線を外した冬弥はくいっとお猪口を煽り、濡れた唇を少し舐める。
さわやかな好青年の見せたなまめかしい仕草を直視できなくなった雪斗に笑い返し、後ろ手をついた。
「初めて会った日を、覚えてる?」
「覚えてます」
「僕はね、なんて可愛い男の子だろうって驚いたんだ。二十歳だっていうのに擦れてなくて、僕のことをまっすぐ見てくれて……だけどあざとくなくて。君は会うたび僕に懐いてくれて、本当に弟ができたみたいだった」
ひく、と喉が震える。何か余計なものが出てきてしまいそうで、懸命に唾液を飲み下した。
「冬弥さんは、……誰よりも、素敵な大人でしたから。俺はあなたほどかっこいい男の人を、見たことがなくて」
「それは嬉しいな。そういえば……さくらが僕の愚痴を言うと、いつも君がかばってくれたんだって?」
「っえ!?」
「さくらから聞いたんだ。彼女は僕がなんにでも手を出そうとするのが嫌いで……いつも、私を駄目女にしたいの? って言われていたんだけど、これはもう性分でね」
聞き覚えのある愚痴だ。
彼女は雪斗よりずっと快活な自立した女性だから、男性に求めるものが強い庇護ではなく、背を預けられることだった。
「冬弥は私をか弱い女だと思ってるのよ」と憤慨しているのを、何度も見たことがある。
「冬弥さんは……姉さんを駄目にしたいわけじゃ、ないと思います」
「うん、僕もそう思ってる。雪が言ってくれたんだろう? さくらが大事だから、可愛いね、いい子だね、頼ってねって慈しんでるんだと思うよって」
「……ごめんなさい、勝手なことを」
「いいや。僕は君の言う通り、恋人を大事に大事に可愛がって、腕の中で幸せな顔にしてあげたい男だから。さくらは、そうやって可愛がられることを馬鹿にされてるみたいだって思う性格だったけどね」
どんな顔で姉の話をしているのか見たくなくて、中身のないお猪口を見下ろした。続きを注いで飲む気にはなれないが、胸の疼痛がマシになるのなら泥酔して眠ってしまうのもいい。
ぐるぐると考える間にも、機嫌のよさそうな冬弥の声が静かな縁側にふわりと散る。
「雪はいい子だね。どんな小さなことでも喜んで、素直で、可愛い」
お礼を言うべきなのに、声が震えて何も言えない気がして、口を噤む。
そのとき、耳の上あたりに何かが触れた。
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