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妹に頼まれたので、代筆をすることにした。ラブレターの。
女に縁のない十七年を生きてきたとはいえ、同じく異性に縁がなかった妹に比べれば男心の分かるぶん有利だろうという理屈だ。果たして男心なんていう普遍的心理などあるのだろうかという疑問はあれど、それが存在しなかったとしても実はそれほど大きな問題ではなかった。恋文を出す相手は兄たる俺とそれなりに親しい間柄だったから。だから問題は男心の有無ではなくて俺が彼の心理を読めるかという点なのだった。
放課後の教室に残って下書きのノートを広げる。あくまで広げるだけだ。この席からは受取人であるあいつの席がよく見える。斜め前の空席を眺めながら、白いシャツの後ろ姿を思い出そうとする。あいつはノートを真面目にとるくせに字が恐ろしく汚い。借りる度にげんなりする。
好きなところ。声のでかいところ、運動部で脚が早いところ、奴の特徴なんてそのくらいしか思い付かない。がさつなあの男のどこを気に入ったのだろう? 『声が大きくて好きです』なんて書いて喜ぶものだろうか。俺が女にラブレターを貰ったなら、きっとそんなのでも浮かれてしまいそうだけど。
「何やってん」
「ラブレター書いてる」
「は? 誰に?」
答えない。教室に残ったのは失敗だった。正直に答えたのも間違いだった。どすどす入ってきた富士山は俺の前の席に勝手に座ってしまった。富士山というのは渾名だ。でかいから。
「なあ誰に書いてんだよ?」
ぬっと視界に入り込んでくる。図体もでかければ態度もでかい。根が良い奴だからあんま気になんないけど。一般的にラブレターを書こうという時に居てほしいタイプじゃない。
「妹のなんだよ」
「妹に!?」
「違う! 代筆なんだよ、妹の」
「はあん!」
富士山はようやく理解したのかうるさく相槌を打つ。こいつはあまり頭が良くない。だけど話は最後まで聴いてくれる。
「仲良いんだな、妹と」
「まあ普通に……男みたいな奴だし」
妹の姿を思い浮かべる。髪は一つ結びで中二で百五十センチ四十二キロでテニス部で俺のことを兄貴と呼ぶような奴だ。初恋は幼稚園だけど色恋沙汰とは縁がなくて、これが初めての挑戦で俺を頼ってきた。
「ラブレターとかかわいいじゃん」
「何しに来たんだよ?」
「ああそうだった」
立ち上がって自席から教科書か何かを引っ張り出し、そのまま去ろうとする富士山のでかい背中がなんとなく惜しくなって、思わず「あ」とかなんとか意味のない声が出た。
「何?」
振り返る富士山は相変わらずいちいち動きがうるさい。
「手伝わねえ?」
「何を?」
「これ、代筆」
「まあいいけど」
どすんと椅子に座る富士山を見る度によく椅子が保つものだと思う。座面から尻をはみ出させたまま前の席の椅子に横向きに座って首を伸ばしてくる。まだまっ白のノートにがっかりしたみたいだった。
「まず自己紹介じゃね」
「それは後で足すから。本文の参考が欲しい」
「相手って俺も知ってるやつ?」
「プライバシー」
「じゃあ書けねえだろ」
彼は顔をしかめる。表情までうるさいくらいに豊かだ。大雑把な癖に変なところでロマンチストなやつ。
「そいつのどこが好きだってちゃんと書いてやれって言っといて。じゃ」
入ってきたときと同じようにどすどすと富士山は出ていって、後には俺と白いままのノートと、奴の汗臭い匂いが少しだけ残された。
「添削して」
「部活あるから」
六限のチャイムの直後に奴の席に向かった。断られたかと思ったが、すぐ済ませる、の意だったらしい。ああやっぱり変に誠実だ。立ったままノートに目を通して富士山は頷く。教室はまだざわざわとうるさい。彼の口元に集中する。彼の言葉を、判決のような気持ちで待っている。
「良いんじゃねえの」
判定はあっさりと下された。あんまり気軽だったからちょっと笑えた。断絶。友達の妹のラブレターなんて所詮は娯楽でしかなくて、それに落胆して、少し安心した。
「それだけかよ」
「俺専門家じゃねえし別に国語も得意じゃないから」
そんなの知っている。あんな汚い字の男に繊細な手紙なんか頼む方がおかしくて、だけど俺は、こいつがあの時教室に戻ってきたのが奇跡みたいに嬉しかった。
「これ、どう思った?」
どうでもいい世間話を装って訊いた。合格発表くらいの緊張。正々堂々と受験もしてないくせに、俺は結果だけ盗み見ようとしている。
「良いよな、これ。『声が大きくて好き』って、よく分からんけど本当にこの相手のこと好きって感じする」
富士山は笑った。こんな風に好かれてみたいよな、とノートを返してくる彼に、これお前宛てなんだって言ったらどう思うだろう。羨ましそうに眉を下げる顔が子犬みたいでかわいくて、本当は妹なんて居ないんだ、とはまだ言えずにいる。
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