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3 回想
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「松戸先輩の作品に感銘を受けて、文芸部に入りました。よろしくお願いします」
その嘘が、すべての始まりだった。
松戸さんとの付き合いは高校の文芸部からだ。
小説なんて、片手で数えられる程しか読破していない。特に好きな作家がいるわけでもなかった。ただ松戸さんに近づきたいがために、場当たり的な嘘をついた。
知的で深い色を称えた瞳や、憂いのある眉に、控えめな笑み。繰り出される言葉の流麗さ。誰も彼もが松戸さんに恋をする中、松戸さんが恋をしているのは小説なのだった。
同じ部活に入れば、小説で肩を並べれば、その視界で暮らせると思っていた。
だが、そんな大それたこと、俺のような書けない奴は、願うべくもなかった。
書ける者ですら、松戸さんに肩を並べることなど出来はしなかったのだから。
しだいに、小説も彼の才能も、憎くすら思うようになった。あの時、小説を理由に嘘をついて取り入ろうとした自分に対しても。
だが、彼のそばに居続けるためには、小説に関わることから逃れられない。
書けもしない俺にとっては茨の道だ。
文才のない俺が出来ることは、一つしかなかった。
部誌の編集の代行や雑用、資料集めや校正など……俺は松戸さんの創作活動に貢献することで、未練がましく彼の隣に居続けたのだった。
終わった恋を引きずり続ける、それは痛々しい幸福と甘ったるい不幸のないまぜだった。
もうあんな思いはごめんだと思っていたのに。
松戸さんと大学であっさりと再会してしまった。文芸誌への投稿の傍ら、文芸サークルにも所属しているのだという。
……本当に小説バカだ。
案の定、恋人もいないという。
もう諦めて、決別したはずだった。冷たくあしらって、せめてモヤモヤした気持ちの一つでも植え付けてやろうと思っていた。
それなのに、高校の二年間で、俺の無意識にはあの人に尽くす行動が染みついてしまっているものだから、つい——
「また何かあったら、ご一緒しますよ」
なんて、馬鹿なことを嘯いてしまった。
社交辞令の範疇ともとれる約束を頼りに、松戸先輩が俺のところに来たのは七月のことだった。
「一緒に取材旅行に来てほしいんだ。東北を回れるだけ回ろうと思って。勿論、夏休みに予定が入っていなければ……。ほかに頼める人もいなくて」
来た。
思い詰めたように眉根を寄せた顔。もうこの時点で、彼の願いを片っ端から叶えてやりたくなってしまう。
スパッと断ろうという心算でいたのに、早くもその決意は揺らいでいた。
「……あぁ。別に大した予定もないしいいですよ」
駄目だった。
条件反射でイエスの返事をしてしまった。
「ほ……本当に? お願いしといて何だけど、かなり僕の都合で旅程を組んじゃってて……僕の作品に旅でのことを反映させたいと思ってるんだ。かなり実験的で」
先輩は恐る恐る言葉を続けた。信じられないという表情だ。
本当は予定がないというのは嘘だったが、今更そんなことを言っても話がややこしくなるだけだ。日程を調整すれば問題ないだろうと思い、俺は頭の中でリスケジュールした。
いまだに、松戸さんを優先させて予定を組む癖が抜けていない自分を、少しうらめしく思う。
「はあ。で、出発はいつなんですか?」
曇らせた表情が、パッと晴れやかになる瞬間の、蠱惑的な心地よさ。久々に胸の奥がジンと熱くなる、震えるような快感が走った。
先輩が高校を卒業してから一年余。もうこんな思いからは解放されたいと、ずっと目を背けてきた。でも——もう自分を騙すのは限界だった。
あの人の願いを断るなんて土台無理な話だ。
まだ、あの人が好きだ。
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