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「蚕の成虫ですか?」
「流石。詳しいな」
箱の中には、ふわふわした小さな真っ白い蛾が一匹、可愛らしくちょこちょこと足を動かしている。
この蚕蛾は、生物の授業で皆に見せようと思っていたものだった。
「本物は初めて見ました。こんなに綺麗なのに、すぐに死んじゃうんですよね。儚いなあ……」
雪本はそう答えながら、夢中で箱の中の蚕を見つめている。
その様子はいつもの大人ぶった態度とは違って、年相応で……不覚にも可愛いと思ってしまった。
二人きりの、青く薄暗い準備室。運動場を駆ける生徒の声がやけに遠くに聞こえる。
その中で雪本の存在が、異様に白く、光って見えた。
「雪本は、その……何で俺の事を好きになったんだ?」
そう聞くと雪本は顔を上げ、首を傾げた。
「俺、先生のこと好きとか、一言も言ってないですけど」
「は?! じゃあ、好きじゃない俺にあんなこと言ってたのかお前は?!」
「……………」
慌ててそう聞くと、雪本は黙り込む。
少し間が開いて、彼は静かに話し始めた。
「一年生のときも、綿部先生が担任だったじゃないですか」
「ああ、そうだな」
「覚えてます? 一対一で進路相談をしたとき」
一年生の進路相談。それは二年生からの文理選択を決めるために行うものだった。
二年以上前のことだったが、雪本の進路相談は印象的だったから、未だにはっきりと覚えていた。
「確か、将来は昆虫の研究者になりたいって……」
「覚えてくれてたんですね」
そう答えると、雪本は嬉しそうに頷いた。
「そのとき綿部先生は、『好きなことを研究したいなんて、いいじゃないか』って肯定してくれました」
「そんなことを言ったような……」
頬をかきながら返すと、雪本は微笑み、
「それが、すごく嬉しかったんです。夢を追ってもいいんだって、世界が明るくなったんです。……魔法みたいに」
そう言って、少し頬を赤らめた。
「その時から綿部先生のこと、一人の男性として気になり出して……最初は、もう彼女がいるんだろうなって思って諦めてたんですけど、先生が恋愛経験ないんじゃないかって噂を聞いて、誰かに取られたくないって、先生のこと独占したいって思い始めて、なんか、止まらなくなって……」
「そ……そんなことで?」
俺も照れ臭くなって、ちょっと笑ってそう聞き返した。
雪本は頷き、教科書の上にそっと木箱を置いた。
「親に自分の夢を話したときは、もっと安定した仕事につけって言われて、否定されたから」
「え? 研究者は安定してないって言うのか?」
「たぶん、普通の会社員になってほしいと思ってるんです。うちの親、心配性で……」
雪本はそう言って、窓際の壁に寄りかかった。
「俺、小さい頃は病弱で、入退院繰り返してたから。でも元気になってからも、友達と虫取りに行きたいって言ったとき、林は危ないからって行かせてもらえなくて。カブトムシも飼いたかったんだけど、細菌がどうとかで、ダメって言われて……」
涼しげな風が、白いカーテンと雪本の髪を揺らす。
「友達にも、俺が病弱っていうイメージがついちゃって。体育のときとか、遠出するときとか、未だに気を遣われるんです。……でも、やってみる前に、お前にはできないだろって思われるの、正直……しんどくて……」
そう静かに話す雪本が、美しく儚くて、今にも風と一緒にどこかへ消えてしまいそうで。
……でも、それは違う。
俺は知っている。雪本は、ちゃんとここに存在している。肌の温かい、一人の人間なんだ。
思わず、雪本に声を張った。
「行こう、昆虫採集!」
「……え?」
「今の季節は流石にカブトムシはいないから、来年の夏だ。学校の先生と一緒なら、親御さんも良いっていうだろ」
雪本は顔を上げ、瞬きした後、そしていつものように笑みを見せた。
「それは、卒業後も俺と一緒にいてくれるってことですか?」
「……嫌なら、行かなくていいけど」
そう保険をかけると、雪本はくすくす笑う。
雪本は窓際から離れ、俺に顔を近づけた。
「どこまで連れて行ってくれるんですか?」
そう聞かれて、雪本の目を見て答えた。
「お前の行きたいところなら、どこまででも」
雪本は笑みを崩し、目を見開く。
そして次には目を伏せて、俺の腕を掴んで、自分の胸に手を当てた。
「……わかりますか?」
「…………ああ」
俺の手のひらには、雪本の酷く早い鼓動が、確かに伝わっていた。
「先生のせいですよ」
雪本は俺の手を抑え、震えた声で、
「本当は、キスしたときも、抱かれたときも……先生に魔法みたいな言葉をかけられたときから、先生のことを見る度、ずっと……っ」
涙で潤んだその目で俺を見つめ、雪本は、真っ赤な頬をして言った。
「先生、好きです……!」
俺は、雪本を抱きしめた。
その返事は、お前が卒業したら、ちゃんと言うから。
《先生を魔法使いにはさせません 終》
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