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夜の新宿某所。一夜の相手を探そうと馴染みの店に入ったところで、「晴彦さん?」と声を掛けられた。
ギョッとしたのは、それが本名だったからだ。この界隈では「レイン」って呼び名で通ってる。今まで関係を持った相手は勿論、顔見知りの常連にも、店のスタッフやマスターにも
誰にも本名なんて名乗った覚えはなかったし、名乗る必要性もなかった。
振り向いて相手を見ると、かすかに見覚えのあるようなイケメンだ。
可愛い子なら忘れない自信あるけど、残念ながらあまり好みのタイプじゃない。精悍でスポーツマンっぽくて胸板も厚そうで、タチにもネコにもモテそうではある。
こんなイケメン、どこで会ったんだっけ? 下の名前で呼ぶってことは、少なくとも取引先関係じゃないよな?
大学? 遠い親戚? それとも友達の友達辺りか? 記憶を探りつつ向き直り、取り敢えず本名で呼ぶなとクギを刺す。
「レインと呼んでくれ。キミは?」
通り名を告げつつ問いかけると、ソイツは一瞬呆けたようにオレを見て、それから嬉し気に目を細めた。
「石柳です。先週はどうも」
だから本名を名乗るなと……苦言を呈することは、残念ながらできなかった。
石柳。それは先週、婚約者のフリしてくれって頼み込まれた先輩と同じ苗字、で。ソイツといつどこで会ったのか、今更ながらに思い出した。
石柳涼子は、会社の2つ上の先輩だ。チームは違うが同じ課に所属してて、時々仕事で協力し合うこともある。飲み会もたまに一緒になる。男しか好きになれないオレにとって、意外にも話しやすい女だった。
男を「男」として見ない、一切色目を使わない。それは二次元の男にしか興味がないからだと知ったのは、つい先日のことだ。二次元の男とは、つまり漫画やアニメ、小説などの登場人物のことである。
何々の誰それがホントに尊いんだと……その時にさんざん聞かされたけど、正直ほぼ頭には残ってない。本気でそう思ってるのかどうかはともかく、つまり彼女は今のところ恋愛をする気がないんだそうだ。
それならそれでいいんじゃないかと思ったが、現実社会で生きる以上、それが通用しない場合もあるらしい。
「お願い、祖父がもう長くないの。ちゃんとイイ人がいるんだからって、紹介して安心させたい。あと大量のお見合い写真、叩き返したい」
後半の方が本音なんじゃないかと思ったが、それは口に出さなかった。
こんなことはオレにしか頼めないんだ、と――低姿勢で頼みつつも、彼女はオレをぼそりと脅した。
「あんた、男が好きでしょ。分かってるのよ」
それが人にものを頼む態度かと思ったが、それも口には出さなかった。女って本当にメンドクサイ。見かけ上サバサバしてて付き合いやすいと思えても、決して近寄っちゃいけない存在だ。
とはいえ、女の情報網が侮れないのもまた事実。職場で性的志向を暴露されたくないとなれば、素直に協力するしかなさそうだった。
そうして彼女の婚約者を装い、彼女の親族と面会したのが先週のことだ。
「涼子さんとは将来を約束させていただいております」
オレは年下の求婚者を名乗り、病床の老人や口うるさそうな中高年たちに挨拶した。彼女の両親の他、弟妹とも挨拶して口先だけの談笑を交わした。
「お姉ちゃんのどこがよかったの? 色気なんかないでしょ?」
馴れ初めは、とか、告白はどっちからか、とか、ぐいぐい質問してくる妹に辟易してた一方で、弟の方には妙なことを言われた気がする。
「姉さんには勿体ないな」
とか。
「結婚式は、花婿の方が主役になるね」
とか。
「どういう意味よ!?」と彼女に怒られ蹴り出され、早々に会合からログアウトした――あの弟君が、そういえばこんな顔だったかも知れない。
1回だけって約束で赴いた会合でのことだったし、しょせんは偽りの婚約者だ。両親の顔も弟妹の顔も、覚える気なんて最初からなかった。まさかこんなとこで再会するなんて予想外もいいとこだ。
一方の石柳・弟はというと、「こんなとこで会えるなんて」って嬉しそうに笑ってる。
「よくオレの顔覚えてたな」
呆れながらそう言うと、ぐっと両手を握られた。
「そりゃ、ドストライクでしたし。忘れる訳ありませんよ」
ぐいっと身を乗り出して来られて、「ああ、そう」ってドン引く。確かにオレだって好みの子の顔は忘れないんだから、そういう気持ちもまあ分かる。
ただ、繰り返すが、細マッチョで精悍なイケメンはタイプじゃない。ドストライクだって言われたって、大して嬉しくもなかった。
「ここにいるってことは、えっと、レインさん、こっちもイケルってことですよね?」
「こっちって、まあ……」
握られた手に力を籠められ、振りほどこうにも振りほどけない。こっちも何も、そもそもオレは男にしか興味がないし、コイツの姉との婚約はウソだ。
けど、それはちょっと口に出したくはなかった。妹とは逆の意味でぐいぐい来られて、さすがに焦る。
握られた手を片方ずつ引き抜きながら店の奥に目を向けたけど、スタッフも常連も笑って見てるだけで助けては貰えない。赤いドレスを着た顔馴染みのオネエオーナーが、『妬けちゃうわ』と口パクで言いながらちろちろと指を振る。
本気で叫ぶなり怒鳴りつけるなりすりゃ、さすがに仲裁は入るだろうけど、馴染みの店でそんな醜態は晒したくなかった。
多少強引に誘うくらいはいつものことだし、オレだって押せ押せでウブそうな子を口説くこともある。不本意な誘いをうまく躱すのも粋の内だ。
「キミと会ったこと、涼子さんに伝えとくよ」
もう片方の手を引き抜いて、精一杯クールに会話を終了させる。
「あれ、姉も公認ですか?」
「まーね」
もう会話を続ける気はない、と、態度で示すべく背中を向けて店の奥へと歩き出す。狭い店内、入り口からカウンターまではほんの10歩前後。
「浮気も公認?」
そんな詮索には答えず、薄情なオネエオーナーをじとっと睨む。
この調子で粘着されたら面倒だなと思った。当分、この店に来るのは控えるべきだろうか。けどまあ、実際に結婚する訳でもないんだし、相手にしなけりゃその内フェードアウトするだろう。
「姉さんがそんな寛容だとは思えないし。もしかして偽装なんじゃ?」
尚も話しかけて来るのを無視して、カウンターの定位置に座る。
「ギブソン」
いつもの好みの酒を頼むと、オネエオーナーは「毎度」と笑って銀のカップを弄んだ。
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