アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
13
-
『氷室さん 氷室壱さん
第3診察室へどうぞ』
少しだけうとうとしていたせいで、スピーカーから呼ばれた声に瞼を擦ってから立ち上がった。
「失礼しまーす‥」
「こんにちは壱君。
おや‥寝不足ですか?」
「今日は待ち時間が長かったから‥」
ガラリと。
音を立てたドアの向こう。この先生の診察も、もう何度目になったか分からない。
「お待たせしてしまってすみません。空いてる病室で寝て行きますか?」
「遠慮します‥」
眼鏡の向こうで細まった目がフッと笑った。
最初に会ったのは一年以上も前の事。じじ先生が辞める代わりにオレの担当医になった九条先生。
ニカッと笑うじじ先生とは違い、フワリと笑うような人だった。
最近、少しだけ分かるようになってきた。
相槌や愛想なんかでする笑顔と、心から自然と滲む笑顔の違いが。
「体の調子はどうですか?」
「特に問題ないです!」
「痛んだり苦しくなったりは‥」
「全然!最近スッゴい健康体で病院とは無縁です!」
「フフッ、それは何よりです」
今のは自然と出た笑み。
少しだけ瞼を伏せて肩を下げる。
本当に微妙な違いだし、そんな気がするだけで本当は気のせいかもしれない。
「ではワイシャツ捲って頂けますか?」
「えぇー、健康体ですってば‥」
「それは壱君ではなく僕が診断します」
「‥聴診器冷たいんだもん」
「あぁ、では少し温めましょう」
耳に入れかけたそれを外して、聴診器の先を手の平で包む。オレより大きくてゴツゴツした大人な手だ。
「先生‥」
「はい?」
「九条先生‥って‥」
「?」
「あ‥あっ、イヤ何でもないです!」
口角を上げたただの笑顔。
オレは‥一体何を言いたかっんだろう。
「そろそろ大丈夫だと思いますよ」
「あ、ハイ」
ワイシャツを捲ると、ピタッと当たる聴診器から冷たさは感じなくて。
音を聞かれてるだけなのに、そこから優しさが入り込むような気がして‥何だか急に泣きたくなった。
「‥先生」
「はい」
「オレの心臓‥動いてる?」
「‥えぇ。ちゃんと」
「‥うん」
小さい頃から、診察の度にする質問。
じじ先生から九条先生に変わってもそれは相変わらずで。それでも九条先生はその度にフワリと笑ってくれる。
その顔はどうしてだか、じじ先生の笑顔よりも少し安心するような気がして‥
目を閉じて
大きく空気を吸い込み
吐き出して
そうして目を開ける
「‥先生?」
少し困ったように眉毛を下げて、フワリと笑う先生がオレを見ていた。
「壱君。」
「‥」
「大丈夫‥僕の音と同じようにちゃんと聞こえてますよ」
「‥」
「大丈夫です」
「っ‥」
コトリと。
デスクに置かれた聴診器。
キィっと。
椅子の動く音が聞こえて。
それからフワリと香る病院の匂いと、それに混ざったこの人の匂い。
ピシッと皺ひとつ無いような白衣にワイシャツ。
トクンと
先生の心音を探し当てて目を閉じる。
暖かく意外と逞しい腕の中
耳に付く服越しの体温
ドクドクと
心臓が動く所を想像しながら息を吸い込んだ
「聞こえますか?」
「‥んっ」
「そうですか」
柔らかい声が‥心からの優しさを含んでポンポンとあやすように背中に刻まれるリズムで、自分が泣いていたのだと気付いた。
先生がこうして背中にリズムを刻む時は、オレが涙を流した時だけだから。
「‥」
「‥」
無言の。
この空間がたまらなく好きだ。
トン‥トン‥
ゆっくり、ゆっくり‥
連なる音と息を繰り返す度に動く胸板と、それから衣服が擦れる音。
決して‥これ以上強く抱き締めてこない腕に越えられない壁を感じて。
だから少しだけ甘える。
俺が少しくらい縋った所で、何も崩れない事を知っているから。
だから少しだけ甘えられる。
何にも絶対に揺るがない、この人の性格とプライドと生き方を信用しているから。
だから少しだけ安心して、
少しだけ。
背中に回した腕に力を込めた。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
13 / 96