アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
95
-
「まあ‥今の例えは臭かったですし状況も違えばザックリしすぎましたが‥壱君が泣いたからといって、キミまで泣く必要はないんですからね?」
「‥っ」
壱君が泣く前の仕草と少し重なって見えたせいで、そっと彼の髪に手を伸ばす。
大人にだって耐え難い、そんな苦しみや恐怖を産まれた時から背負う痛さは本人にしか分からないのだろう。
けれど、それを間近で見続けて来たこの子だって、どれだけ背負ってきたものか。
人は皆、何かしらを背負って生きているものなのだろう。それを言ってしまえば、確かに地球上で起こったほんの些細なちっぽけな事。だからどうという事でもない、所詮人は産まれて生きて死んでいく、ゴミくずにも等しい生き物なのだ。
「君達はきっと‥優しすぎるんです」
「‥別に‥泣いてないですから」
「髪質も似ているようです」
「似ててすみませんね」
「誉めているのです。天然パーマに悪い人は居ないと聞きました」
「‥‥誰から?」
中学生の壱君を思い出すような黒髪。ふわふわしていてクルクルで、毛先が歌ってるみたいだ。
思う存分に撫でた後、手を下ろした丁度良いタイミングでドアがノックされた。
コンコン
「ハイ」
「失礼するよ」
そう言って入って来たのは安西教授だった。
「安西教授!」
「いやいや、さっき九条君から連絡が来てね。まだ君が居るっていうから、覗きに来たんだ」
「?」
「是非とも君の可愛い弟君に挨拶したいなと思ってね。まあこの様子だと挨拶は出来そうにないかな」
ベッドを覗き込んだ安西教授が振り返って微笑む。壱君は只今、夢の中なのだ。
「わざわざ足を運んで頂いたのにすみません」
「ホッホッ!病人相手に何を言ってるんだ君は。大した事じゃないさ。それに顔は見れたしね」
僕はこの人の笑顔しか見た事がないけれど、だからこそ腹の底に何を隠しているかも分からない危険因子。もしかしたら、大出先生のようなタイプかもしれない。あまりこの人を知らないが故に、大出先生より質が悪い場合だって考えられる。
「ところで九条君」
「なんでしょう」
「急患の方は大丈夫だったのかね。例の‥彼女なんだろう?」
「えぇ‥とりあえずは、としか言えませんが」
「危ういのか」
「一命は取り留めましたが何とも言えません。術後から状態が中々安定せずつい先日意識が戻りました。まあ手術が手術だったので多少のトラブルは覚悟していましたが、意識が戻ってからの数日間は悪化する事が無かったので‥このまま回復してくれたらと思っていた矢先です」
「‥そうか」
彼女もまた、幼き日より心臓に障害があった。
制限された生活の中、彼女はやっと自分の幸せを見付けられた所だったらしい。
末期の癌患者ではなかったが、彼女の障害を理解した上で、彼は愛を誓ったそうだ。
「九条君も苦労するな」
「いえ、僕は自分に出来る事を全力でやるのみですから」
「本音は?」
「‥次、何かあれば‥持つかどうか」
弱音ではない。
それが事実なのだ。
出来る事ならば、何としてでも生きていて欲しい。それが己の実績に関わる事だから、なんてそんな野望を持ち合わせている訳ではなくて、彼女の主治医として、彼女の笑顔を見た者として、救わねばならないのだ。
「‥幸い拒絶反応はありませんでした。引き続き、感染症には細心の注意を払っていこうと思います」
「退院まで漕ぎ着けられたらいいなあ」
「ははっ‥気の早い話しです」
道路に飛び出した子供を助けようとしたらしい。
脳死判定を受けた彼は、ドナーカードを所持していた。
今、彼の心臓は彼女の中に居る。
心臓の持ち主は、彼女の婚約者だった。
とても優しい笑い方をする人だった。
「最後の砦である医師も、祈る他ない時もある。なんとも歯痒い事だ」
「‥」
永遠を願っても、千年生きたいと思った訳じゃない。ただ明日、君の笑顔が見れたなら‥
「ん‥っ」
「おや、お目覚めかな?」
「‥‥」
「初めまして、壱君」
「‥‥」
話し声に目が覚めたのか、うなり声を上げた壱君が目を擦った。
話し掛けた目の前の安西教授に、ビックリするのも無理はない。
「ホッホッ、寝起きでビックリさせてしまったかな?」
「あ‥っ‥」
「ん?」
「あのっ‥」
「?」
「さっ、サンタさんですかっ?」
「‥」
「!」
「ホッホッホッホッ」
「‥‥」
盛大に笑う安西教授の斜め後ろで、頭を抱える譲君。
いや本当、脳の作りは似てるものなのか、はたまた安西教授がサンタクロースに似ているだけなのか。
「益々気に入ったよ譲」
「‥何で俺?」
「兄弟揃って少年のような事を言うからさ」
「‥いや、俺はただ」
「いいんだいいんだ、分かってるよ。今年はいつもより二つプレゼントを多く用意しなくてはね?可愛い可愛い兄弟の為にとびきりいいのを探そう」
実を言うとこの教授、最近はクリスマスになると小児科からお呼ばれするらしい。勿論、サンタ役をお願いされる訳だが‥
「いやー、こんな事を言うのも失礼かもしれないが、兄弟の幼き日も見てみたかったかなあ」
「安西教授は確か以前もこの病院にいらしたんですよね」
「そうそう。ずっと居たんだけど丁度十年くらい別の病院行っててね。五年前戻って来て小児科に呼ばれるようになったのもそれからだから、君らが病院居た時には居たはずなんだけど、それまでは小児科なんて全く関わりなかったしねえ」
要するに、他の病院に行っていた十年間でサンタクロースにお育ちになったという事なんだろう。
まあ大出先生曰わく元々巨漢ではあったらしいが、こちらの病院に戻ってからは十年でこさえた見事な白髪と脂質が貫禄さを増長させたのだろう。
「じゃ、そろそろ私は戻るとするかな。今日は譲も壱君と帰りなさい」
「ありがとうございます。お疲れ様です」
「うむ」
そう言って病室内から出て行くサンタクロースを見送った。
「二人は僕が車で送りましょう」
「いやそんな」
「任せてください」
「‥じゃあお言葉に甘えます。壱もその方が楽だろうし」
「ええ」
彼が何を思ったのか僕には分からない。
傷付いたかもしれないし、反省したかもしれないし、僕が呆れたと思ったのかもしれないし、見放されたとでも思ったかもしれない。
それは僕の予想に過ぎないけれど、ただ一つ確実な事は、この日僕が病室に戻ってから家へ送り届けるまでの間、会話も愚か壱君は僕と一度も視線を合わせようとはしなかった。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
95 / 96